7月 読書感想『薫くんシリーズ』
7月3日(日) 雨 3時38分
覚めた僕は言った。
「今日は随分暗いね」
雨戸を閉めながら母は言う。
「何寝惚けてるのよ」
そうだ、夕方だった。
また腰痛に悩まされている。定期試験が近づきつつある時のみ痛くなるのは、何か心理的に問題があるのだろうか。冗談にならん。
仕方なく医者に行くと、まぁ何とまた痛い採血か。場所も違えば針も違う。統一性は無いのかしら。
「白血球が少ないかな」
とかドキッとする事を医者はゴニョゴニョ言っていたが、果たして座薬を寄越した。
その白い流動型をした代物を眺めながら、また去りし日の情けない思いや憤りや悲しみが蘇ってくるのを朧毛に感じたので、腰痛に対する激しい感情は張り合いを失って引いて行った。
帰宅した父が、電話で医者に診察結果を聞いて言う。
「栄養を摂らなきゃいかん。痩せ過ぎだと先生が言った」
「大体において、あなたは血が薄いのよ」
と母も言う。すみません。
憤りと悲しみのドラマをすり抜けてきた座薬のお蔭だと思わざるを得ないが、痛みは消え勉強も出来る状態になった。
不思議かどうか知らぬが、痛みが消えると体を圧していた倦怠感も、頭を押さえていたペシミズム・厭世主義的考えも消え去り、スッキリ爽やか、まずまずの体調になった。
元気な状態で考えてみると、少しでも健康にフィジカルにと、やっていた柔軟体操がいけなかったのではないかと思えてきた。うん、無理に近い腰の回転運動をしたっけな。あれの所為かな。やらんどこう。
もし、また痛くなったら医者に何と言えば良いのか。
「治ったと思いましたが、やっぱり痛いです」
先生の第一声は分かっている。
「う〜ん」
だ。
7月8日(金)曇 小雨が降ったり止んだり 23時46分
今一番したい事。もっと具体的に言えば、
「する気になれる事は?」
と自問して得た答えが、
「文を書く事」
次点は勉強であった。
今だに、読点(、)と中点の使用法が分からない。意味の最も小さい区分が読点で、意味が変わると中点になるのか、またその逆か。たった二つの点が判然としない。いつもの分かり切ったパターンだが
「早くはっきりさせねば」
「日頃の文章に対する熱心さ不足の所為だ」
とか言って
「だから勉強せねば」
に帰着するのである。あぁ、ここまで書いて二重のパターンに気付いた。だめだなぁ。ここで三重になってしまったが。
庄司薫氏の書く所の『薫くんシリーズ』は大変面白く、青春で、その上その青春がとってもハイレベルで、憧憬と嫉妬と自己嫌悪とを読む度にローテーションに刺激する。
読みたくないが、凄くまた読みたくなる本だ。
7月10日(日) 23時42分
だから僕は『相当なメモ魔』になりたいと思い、ずーっとそれを実行している訳で、こんな風に何の脈略も無い、でも前記8日に続く共通要素を持って書き始めた。
落ち着いて物を書こうなんて思わずに、己の思いにボーっとなりながらスピードを重んじて書いてしまった方が、割と後で読んでみて、頭の中の血管の存在を意識できる幸運が得られるのではないかと思う。
ほーら、言っている事が分からない。いいぞいいぞ。
僕は本を読むときには、尤もこれは高校生になって意識と言うか『自我の目覚め・覚醒』をしてしまってからだが、後書きとか前書きと言ったものも、真面目に熱心に読むようにしている。
今『狼なんかこわくない』庄司薫氏を読み終え、当然知らない名前の人が書いている後書きを、読まなかった。それでも、チラチラと飛び飛びに目を通して、やはり読まない事は正しかったと、結論づけた。
普通、後書きという名の解説は、全体を見通した上で、その書き手のカラーで感想みたいな事が書かれている。僕はどうも内容理解が欠如しているのか、構成やその骨組の再確認にもなって、結構好ましくもまた情けなくも読むのだが、今回ははっきりと自発的に読まなかった。
何故なら、どう考えても本文の内容の方が上だから。当り前なのだが、これが一番良く言いたい事を代弁しているのだから仕方ない。
つまり庄司薫氏の豊かな表現力に頷いてしまって、それを全面肯定したので、そこで満足しちまったのだ。それだけの事。
この庄司さんが描くところの『天才に近いと思われる薫くん』と異なり、東大でその趣味を同じくする仲間達の間では、それらの意見を庄司さんが総括をしていたのではないか。
だいたい彼に近いような人の集まりで、意見の総括など想像に易しくない。つまり彼の発言そのものが、その代表となり得るような人間の意見で、またもっと視野を広げて見ても、やはり主になる才能であった事を知ったのだ。
これに僕は嬉しくなってしまった。また天才を一人知ったのだから。
このような天才が、また東大なんて所には山と積まれて蠢いているのかな、と不確かな事実にまた畏れを感じていたのだが、庄司さんがそれらを総括する頂点と知ったら嬉しくなって当然でしょう。やはり天才は天才じゃなきゃね。
糸井重里氏が『羞恥もなく古今の名著を読めるのは若さの特権』と言っていたが、これまた成程、賢い人である。
しかし古今の名著は実際多い。時間の有効利用とか気張っても、人にはリズムがある。片端から片付けてやろうと思っていた僕であるが、本棚の一列しかない世界文学全集に背を向けて文庫本ばかり重宝がり、好みの本ばかり反覆して読む。どうもこのペースが最適で、最も完全に近い。これで今のところいってみよう。
大学に入ってさらに勉強意欲に燃えた時『古今東西・岩波文庫』といこうではないか。
0時47分
7月11日(火) 曇り
数学先生が授業中に、我子の話を初めて口にした。
その語り口を見ると、なんだか結構かなり、春風秋風交わるがごとき思いが、胸の奥底に沁み渡った。凄く国語の担任先生と被って見えて仕方が無かった。彼もお年を召して、最後のツッパリを無くしてしまったのだろうか。
難しい複雑な気持ちになってしまったな。
7月14日(金) 晴 2時8分
人と勉強の話をすると、自然と体がそれに合うようになる。それを合図に体の構造が変化する。スイッチ一つでパネルが変わり操縦桿がでてくるマンガのように。
何故かと言うと、自信が無い所をつつかれるのではないかという恐れから事無きを得る為に、ボロを出さない為に、自分を低く見せない為に、買い被っていたと見せない為に。何て悲しい習性なのだろう。
亀の様なものだが、亀の甲羅は守りとして完璧だが、僕がいくら『身を固く』しようとそれは容易に破られそうだ。
だから僕は臆病だ。この臆病が勉強に関してのみだったら、僕の幼年時代がいかに輝かしく、それを思い出す度に満ち足りた気分になれるものであっただろう。
ところが今、事実はそれを追いつつ、そう常に願いながら、惨めで悲しませるものなのだから。やり切れなさをまた味わっていると言う現状が、今更輝いていた昔を思い出させてくれるよ。
このままセンチになってしまうと恐らく長くなっていまうからもう止めよう。このセンチもいつか陽の目をみる事になるだろう。ずーっとずーっと後で。
「未来を見つめなきゃ」
何て突然思い出したからセンチに浸るのを避けたのである。
「もっとアクティヴにに生きなきゃ」
何て過去の為に思ったのだから。
未来に向かって過去の為、ひいてはこれからの為に。
『身を固く』してボロを出さない様に、事無きを得る為に、自身を低く見せない様にするのは、つまり虚栄の為の様だ。これ程のレベルで僕はいるんだ。だからこれ以上低く見られる要素を提供したのでは、プライドが傷つけられる。そうかそうか分かったぞ。
『人に良く見られたい』という気持ちは誰も持っている。だからこそ自分をより理想に近づける為に、向上心なんてものまで働き出す。理想は高くとも現実はままならぬ。すると気位は高くなってるから、低く見られるのが嫌になる。そこで虚栄が出てくる。
何時もそうだが、ものを考えてきれいにまとまった事など一度も無い。
「知識不足、情報不足でプログラム不足のコンピューターの様だ」
と、とぼけている程、馬鹿ではなくなった。凄く頭を使わねばならなくなった。しかし、お蔭で気分が良い。頭を使おう。頭を使おう。
もう寝ないといけないと思うので寝る。寝ながら考えようか。
2時54分
7月15日(土) 雨降り 1時45分
球技大会に不参加で終ったけど、まぁいいか。
自分の存在理由の上っ面が気になりそうだけど、まぁいいか。
最近のテレビ・ラジオは、こうまでもつまらないものになってしまったのか。あぁ、何か打ち込めるようなものが出来ないかな。僕は頭が悪いらしい。
もう面白くないから寝る。




