第三学年 4月 読書感想『白鯨」 美術鑑賞『ピカソ』『ミュシャ』初バイト(仮)
未成年の飲酒・喫煙表現がございますが、それを推奨するものではありません。
第三学年 4月7日(木) 晴 0時36分
今日から新学期が始まった。憂えるべきだろうか、担任は一年と同じである。
昨日の疲れも見せず、学校へ行く。校門の前で兼部と会う。
「起きれなかった」と彼。
「俺は元気よ」と僕。
後で分かる事だが、やはりこれは空元気でしかなかった。
昨日、鬱陶しくてしょうがなかった『白鯨』ハーマン・メルヴィル著を読み切る。何故か身が入って面白く読めた。
破滅に向かって邁進するところの真に劇的な人物・エイハブは、結局その復讐を果たす事が出来ず、白鯨に引きずられて海へ消えてしまったわけだが、三日に及ぶ戦いにしろ、捕鯨船ピークォド号の終焉にしろ、どうも今一つ『真に劇的なドラマ』とは距離があると思える。
映像で映画にしてみたら、それは迫力も出るだろうが、あの文章だけでは白鯨だってあっけなさ過ぎる。あれではドラマになり得ない、と思うのは僕のクサイ演出からきているようだ。日本人的感覚かもしれない。
僕はいつの頃からか分からないが随分昔から、想像を超えた巨大な体と高い知性を持つ白いマッコウクジラ『モゥビィ・ディック』を知っていて、まだ読んでいないその物語を想い、その姿をイメージしていた。
そしてそれはもう
「手に汗握る」
「大スペクタルである」
は言うに及ばぬ程当然で、読んだりしたら、子供に帰った様なワクワクドキドキのお伽噺の世界に没頭出来るだろうと思い込んでいた。あながち間違ってはいなかったが、予想と大幅なズレが出来てしまった。
モゥビィ・ディックよ、お前はもっと凝縮された圧倒的パワーを持って、弾かれたような突撃をしてくれなければならなかったのに……。
少々面白くない本だね。全三巻。アメリカ文学最高峰の一つなのだそうだよ。
五日の火曜日(新年度始業式の前日)に兼部と東京まで文化ツアーに行った。翌日まで響く疲れは、まあ良しとして、その成果は。
ピカソ展 東京国立近代美術館
『ピカソは陽気な人だった』
これを知ってしまったから、絵を見ながら
「ピカソは陽気、ピカソは陽気」
と頭の中で唱えていたのだが、今まで珍奇な風変りなもの・ゲテモノの代名詞として使っていたピカソの名だから、陽気とかの感情を表す言葉を言われても、ピンと来ない。ましてや目の前はそのゲテモノたる作品である。
ブラマンクを見た時のように、必死に素直な心を持ってジロジロマジマジと見る事しか鑑賞法が無いのでそうしたのだが、素直さに欠けた所為か感動しなかった。
佐伯祐三氏・洋画家の方が良いと思ってしまった。
兼部曰く
「つまんねんな」
アルフォンス・ミュシャ展 新宿伊勢丹美術館
兼部の見解にとらわれずに、今、考えてみると、やはりミュシャには心動かされた。
ポスター画家であると言う、どうもピンと来ない事実が目の前に並んでいるので、その時代や国、世相といった環境も仕方なく、納得させられてしまった。美しかな、その作品。ハイセンスな美しさ。粋だね。
ちょっとくだらないポスターに感心する事が低俗であると、良く分かった。
「これはちょっと芸術的かな」
「ちょっと怖いな」
等の思い込みで感動してしまっていた事も、改めなければならない恥ずべき事であった。
見進んでいくうちに、些か食傷気味になってしまった。
「少し違うのも見せて欲しい」
と思っていると、後半は油絵になった。
それもやはり美しく、何とも魅かれる表情、しぐさをしている。それらが素晴らしすぎて、風景画はつまらなく物足りなく感じてしまう。
「油絵なんかつまらねぇな」
と賛意を求めているともとれる、兼部のいつもの口調。反論に迷いはない。満腹感を救われたのだから。
ミュシャはとても素晴らしかったが、その魅力の最たるものは表情である、と無知な僕は思っているのだが、どうだろう。無論、画風は大前提として。
アール・ヌーヴォーとは新しい芸術、と説明書きにあったが、これじゃ抽象的すぎて分かんないよ。
4月9日 曇 0時35分
十年早くに生まれていたら、やはり僕はフォークソングを聞いていただろう。兼部はレッド・ツェッペリン(イギリスのロックバンド一九六八年)に思いを馳せていたけれど、ぼくはやはりフォークを聞いて生きただろう。
それにしても、
『円熟した』『十年一区切り』『新天地を開く』
等々そんなつまらない、本当の自分を偽ったストレートではない表現をした彼の唄を、今、僕は何故聞かねばならぬのか。
十年前の悟ったような唄の方に、何故若い僕は共鳴するのだろう。
何故十年早く生まれなかったのか。つまらないつまらない。十年前の吉田拓郎氏と『落陽』を歌おう。
僕がもし十年早く生きていても、拓郎氏を好きになるという保障は無いけれど、その選択肢が得られる事が、もう意味のある事だ。
不安と焦燥、そして若さを我々と同じように持ち、同じ問題を抱え、同じ疑問を感じる。そんな人がシンガーなら、僕らはその唄をフィルターを通して眺めたりはしないだろうし出来ないだろうに。心から夢中になってクールになんか、なれないだろうに。
『新しい展開』とか言うけれど、若者なら、そして自分の存在を確かめたいのなら、出来る事は何でもするだろうし、藻掻くだろう。才能を隠す何て真似は出来ない。だって若いのだから、不安で焦っているのだから。
つまり、その人が自分を売り出す時の表現が最も一番最大最高の自分であって、『新展開』を披露する時はどんなに優れていても二番手でしかない。夢中に我武者羅に作り上げたものは、後に経験を積んで、あちこちで練り返され、例えそれが高度なものとしても、敵わないと思う。
その圧倒的熱量の素晴らしさにおいて、敵う訳がないと僕は思う。
ラジオで武田鉄也氏が本当に何でも言ってくれるので、実態が分かって嬉しいのだが、
「ほら、こんなところも彼がそれを計算に入れて喋っているのでは……」
と考えてしまうのは、仕方ない。
彼の話によると、やはり不安と焦りの毎日だったと言う。自分を信じて体一つで市場に出て来て、つまずき、自分を疑い自信を失う。何とかしなければ、でもどうしたら。毎日毎日未来を憂い、やっと綱渡りのように自分を信じて暮らしてゆく。それでも仲間の内に入れば飲んで騒いでお祭りして過ごす。
そう仲間、この仲間こそが、不安に押し潰されたり焦りに引きずり込まれない為の、安全弁なんだ。若者には仲間が居なければ。仲間こそが若さの証なのだろうか。青春の陽の側なのか。
本当の仲間を求めてやまない筈なのに、その事を考えると空虚な気分になる。
今日八日、数学の授業があった。きっかけは勉強法に事寄せた皮肉っぽい訓話だったが、先生が学生の頃に深夜ラジオ放送を聞いていたという事実が分かった。彼の皮肉っぽいいつもの口調を聞きながら、彼の信奉者であるにもかかわらず、僕は以外にもその話に
「そうかな?」
と疑いを持った。
その当時は彼だって十分若かった筈だ。不安と焦り(実に多用している言葉だが、ピッタリと適うのが凄く分かるから懲りずに使うけど)だって当然持っていただろう。
そして深夜放送、本物の深夜放送だ。何て羨ましい! 落合恵子様だって! その口調とは裏腹に、彼も共感しながらラジオの前にいたはずだ。なのに今、彼は皮肉っぽい口調でそれを喋る。
僕は思うのだ。例えその当時は感動し心底愛し信じていたとしても、齢を重ねるにつれ、『それは若さの成せる事』だと、成長と経験によって起る錯覚から自分を客観視するようになり、冷めた目で過去を思い出すようになっていく。これが大人なんだ。
でもしかし、決してその感動には偽りはないと思う。
「現実は……」
何て口上も、夢を見なくなり、または見れる可能性が薄れていってしまった事から言えるのであって、言うなれば大人のかわいいツッパリではないのか。その口上は体のいいすり替えで、経験という『現実』は夢を壊したのではなく、隠れ蓑ではないか。そして錯覚を起したまま、彼らはもっと大人になってしまう。いつまでも子供心を持っていなければ、淋しいだろうに。
「もしかして先生なら、若くてもフィルターを通してラジオを聞くぐらいしていたのでは」
という何とも言いようがない嫌な思いが、頭を支配しかけたが、それでも否定したかった。若さは誰にだってある。
武田氏が『幸せの黄色いハンカチ』(山田洋次監督映画)を撮り終えた時の話。
「ご苦労さん」
と監督に言われた時に、この映画の仕事が終るとは思えなかったと言う。そして解放感・安堵感その他諸々の気持ちが混ざり合って、逃げる様に着替え、撮影所を出た時、一つの仕事をやり終えた高揚感と共に
「俺、明日から何をしたらいいんだろう」
と、途方に暮れたと言う。彼は六十代の老人の様に、溜息を吐き言ったそうだ。
「思えば遠くへ来たもんだ」
以来、何か節目ごとに同じ感慨に耽るそうだ。
そしてラジオから唄が流れた。
1時59分
4月11日(日) 雨 1時24分
今日はバイトの日。どうもバイトとさりげなく言いづらい。これは何となく、くすぐったいような、世間で言う感じのものではなく、単に独立心を満足させるべきバイトが親の庇護下で行われ、ましてや僕はそれを情けないとか普通ではないとかあまり思わずに、素直に受け入れている。はっきり言っちゃうと、その二点が後ろめたく、バイトと言いづらいのだが。
朝っぱらから約束通り、兼部とロッカーはちゃんと我家に来て、余り活気の無いまま出発したが、その開店お祭りムードの勢いで、仕事終わりは皆でまた我家に帰って来てしまった。
父の新事業開店日のお手伝いバイトであったのだが、売れ行きも客足も空模様に適っていた。でも前宣伝もしていないし、内輪のお祝い買いがほとんどだったから、まあ良き。
それにしても初日終了後、バーベキューパーティーが始まっちゃうのはまだ良いのだけど、流石にカラオケ……とはならなかったのには安堵した。皆さん、それはちょっと異常だと気づく人達だったんだね。よかったよ。
メインは何だったのかと言うと、もうメチャクチャ暇なんだから話ばかり。割に会話って続くもので、でも話掛けるのが一番多いのは僕なのかしら? やはりお喋りなのだろうか?
僕らの会話も、そりゃ庄司薫くんみたいに垢抜けて猛烈に知的でもないし、北杜夫氏みたいにロゴス(哲学・理性)とパトス(感情的・熱情的な精神)に溢れてもいないけれど、大分落ち着いてきたんじゃないか。これが僕のスタイルなのかしら。
弓道部に復帰、否、復活して早や二日。ブランクが一年も(二年次の入院から休部)あるくせに、十七日の試合に出る事に。
友人達の笑い話を提供するのも良いけど、冗談じゃ済まされない部分もあるのが、弓を引くと全筋肉が訴えてきて、分かる。
「弓道部に復帰しちゃったよ〜。で、十日後に試合に出るの。どーすべ。人間とか打っちゃったら、どーすべ」
皆、笑ってくれて、色々言ってくれるんだけど、やっぱりこれは自分でも言ったのだけれど、一番合っているは
「無謀」
2時3分
4月20日(水) 0時56分
軽佻浮薄に重々しく始めよう。
やはりラムちゃんは良い。素晴らしい。がしかし、あれから
「いかったな、いかったな」
と反覆して考えていたら、ごく自然にストーリーの無理・矛盾に気づいた。が、ここで『無理』なんて言葉は使いたくない。
それというのも、我校アニメ同好会の会誌を読んでしまった為である。
そこいらの雑誌の評論部分だけを模倣したもので、自己中心で主観だけで評論の何たるかを、良く弁えていらっしゃるようなのである。と、それを三冊もエッチラオッチラ読んでみると、評論の書き手の好みに反する事には、皆ケチがつけられている。いや、それは当然なのだが、そのつけ方に問題がある。
ただ、つけられている。文句の羅列=アニメ評となっている。
この点、流石に書店が取り扱うような本は巧妙に出来ていて、読者に嫌われないように文章もさる事ながら上手に書かれている。嫌味も無い。いやはや、文章力は必要です。
閑話休題。
つまり文句ばかり並べられると、最初は共感していても、じきに意見に食い違いができ、仕舞には
「うるせえ」
となる。食傷気味も考えられる。
で何故『無理』は使いたくないかというと、その彼等の評の中に
「話に無理がある」
という感じの言い方を見つけたからである。
「無理がある」
なんて威丈高に出ずに、もっと可愛らしく楽しみたい。
感動の余り、頭の中でラムちゃんを何度も何度も再生しながら思った、感想である。
1時30分
今日は進学の事とか部活の事とか、その精神面の動揺や、そこから枝が伸びて広がることによって気づいた自分の弱さ、また己の運動能力と思いとのギャップからくる寂しさ情けなさ等々を書き連れ、そうすることによって心の中を整理したかったのに。
実に混沌とした乏しい知識と感情を持っているから、出来る事なら整理したいと思うのだが。
禅でもしたいな。
4月29日(金) 曇 2時56分
現在の僕の態度や振る舞い方が、鼻についてきた。
こんな風になってからどのくらい経っただろうか。中三、いやあの頃はもっと怒っていたし、人付き合いの軽さから見て中二でしょうな。すると、三、四年もこの感じで暮している。
さて、これを果たして良しとするべきか。もう進歩があっても良い時期じゃないかしら。もっと大人になって然るべきと思うようになったのだが。
こんな事を考えるようになったのも、たった今さっきの事なのだけれど。煙草が見つかったらどうするかを考えていた。
恐らく我が理解ある騒ぎ屋の母親が、偶然発見した場合は『狸と狐』をきどって下から責めてくるだろう。その時の僕の対処の仕方、これが大切。
「うん、そうだね」
これはだめだ。うーん、言葉に出来ませんな。
つまり無視するでなく反発するでなく、飽く迄クールで、且つ理屈をこねたり言い返したりせずに、それを認めるのである。正面から堂々と。
この時、決して笑ったりお茶を濁すといった『逃げ』に当る事は、絶対にしてはならない。自ら弱さを露呈してはいけないのである。うーん、良いな。これでいこう。このセンスこそ、これからを委ねるに値する。
ただ、このシーンだけしか思いつかないので、どのように応用していくかは、これからの生活の中で模索していくことになる。方向性が固まるだろうか。
3時24分




