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6月 入院日記 その6 読書感想『太陽の季節』 ギリギリセーフ


 6月1日(火) どんより雨模様ナイター有

 

 『太陽の季節』(石原慎太郎氏著)を読んでいた。途中にトイレに行った。その時、シリアスな口調で自身の行動を追っている自分に気づいた。何とも影響されやすい事か。そして読みながら思う。これが小説ならば、僕が書こうとしてないるものは果して何か? 小説を書く自分の前途に暗雲が立ち込めた。


 掃除のオバサンについて書こうと思ったが、あの足音を思い出すだけで気分が悪くなったので止め。嫌な事は考えないようにしておかないと、狂い出してしまいそうだ。

 

 やはり僅かでも勉強らしいものをした方が気分が楽になる。北杜夫・畑正憲両氏共に、そう書いておいでであるが、この点だけは同意見と言えなくも……言えないか。

 

 ラジオを聞いている。プロ野球解説者は

「カケフ」

と言えず

「カキフ」

と言う。ダブルプレーや際どいランナー等の色々言う事が増えてくると

「とりました」「セーフ」

等、結論だけ言って実況しているつもりになっている。酷いものだ。

 某女性アイドルは

「あらためまして」

が言えない。彼女はアナウンサーじゃ無いし、好きだから許してあげる。

それにしても何故、彼女達と電話が出来るのに皆

「はい……、はい……」

なのか。アイドルとの生電話だからとあがっている場合じゃないだろう。もうこんなチャンスは無いのだぞ。僕であったらもちろん

「お願いです!受話器に()()の音をさせてください!」

と頼むのだがな。

 


 6月3日(木) 雨 

 

 凄い雨だそうだが、室内で暮す僕には分からない。ナイター有。久し振りネオンきれい。ラジオ視聴中。

 


 昨日、ラリった。(麻薬で局所麻酔)今日も検査後の背中が痛い。

 

 昨日の処置と検査。

 右足の抜糸をした。少し化膿していた。恐ろしい事をされた。

 抜糸をするという名目で何とスバラシ、外科医が二人も来ていじくりよった。糸を抜いたら何か出てきた。

「……出てきちゃいましたネ」

「でも、出しちゃわないと……」

と怖ろしきかな、傷口をハサミで押し広げるわ、金属棒でかき回すわ、おお、こわ。

 

 骨髄穿刺、生検検査。背骨からと、骨盤・腸骨の後ろから二か所にぐっさりと、まるで馬用ではないかと思われる程のでっかい注射をした。あれは人間様には打ってはいけないものでは?参った。

 まぁ、万全を期して(麻薬で局所麻酔)くださって痛みはさほど無かった。でも何とも言えない巨人の力。


 

 あっ、ジャイアンツは江川投手がまた負けた。ひとえに三・四・五番打者のせいだ。篠塚選手!お前が帰ってこないと、巨人軍はどうにもならん!

 


 で、背骨と言うか、打たれた箇所が今、いたーい! 

「天にも昇るような」

「痛いのなんか気にならない」

と言われながら打たれた『ま・や・く』うわー! 凄い経験をしてしまった。

 Dr.エンジェルは好奇心丸出しで

「どんな感じ? 教えて」

僕「どーいう意味ですか?」

Dr.「だって小さい子は言葉で上手く表せないから教えてくれないでしょう?」

……ラリってしもた。

 

 でもこれで経過が良ければ家に帰れる。嬉しい。でもでも、今週は外泊無し。苦しい。狂わずに居られるだろうか。


 検査の後、手を動かすのも面倒臭くて、気を付け・直立不動の姿勢のまま寝た。三時間も動かなかった自分が、不思議なぐらい。

 その後、伯母さんが面会に来てくれた。パイとパンとコーヒーとポテトの差し入れ。ありがたや。

 そして今日に至る。

 


 外は雨。かなり眠いけど 金パを聞く為にコーヒーをすすって起きている。0時ちょい過ぎ。流石、都会。車の音は止まない。

 今日は雨降りだからタイヤが良い音をたてている。その音が好きと言っていたチャコ様は嬉しい事だろう。

 21時頃、窓から見える渋谷のビルも東京タワーも鮮やかに見えていたのに、今は雨が降り出して霧がかかってしまった。それにしても車が多いな。

 

 小児病院も夜は静かだ。ガキの喧嘩も、女のどうしょうもないおしゃべりも、苛立つ掃除のババァも、必要以上に煩い看護婦いけないかなも今は静か。夜だけが安息の時間であり、物事を考えるのに適した一時なのだ。


 なのに

「早く寝なさい」

「体に悪い」

冗談じゃない。物思いに耽る時間も無いんじゃ、神経がピリピリしてそれこそ狂っちゃうよ。

 ほら、書いてる側から

「目が悪くなる」

「まだ寝ないの?」

つくづくもっともな事を言うのだから困る。僕だっていちいちとぼけて返事するのは疲れるんだから。

 食事だって、三度のメシの度に似た様な言葉を言い換えて、食べ残す説明をせねばならない。本当に疲れる。

 

 昼間寝ていると

「なんで寝てるの?」

「気分が悪いのか?」

と聞くんだ。僕は本当に悪い時には、自分から言い出したじゃないか。

 病院として、また個々の医師・看護婦がここほど働く所は無いと思うよ。素晴らしい環境だよ。

 でも、僕は疲れた。

「何の本を読んでるの?」

と尋ねられても不愛想にしか答えてあげられないよ。ほとんど限界だ。


 今はまだ、にこやかに話せる時もあるけど、じきに陰気だけになる。その時、僕はどうするのだろう。

 と、思いながら、以前行く末を案じて落ち込んだ事があったが、あれ以来反省して、なるだけ感情が渦巻く胸の内を考えずに、一日一日その日()()を考えて暮らしている。それが今だ。

 どうもこれは長期戦に用いられる方法らしい。向かいの同室くんはそんな感じでがんばっている様に見受けられる。隣の女子は知らん、分からん。

 とに角、それでも僕はもうおかしくなる一歩手前まで来ている。後は理性で如何に抑えるか。

 早く退院したい。即刻したい。兎に角したい。



 隣の同室くんはいじめられやすいタイプらしい。何かのきっかけでそういう形が生まれて、その時点で彼の立ち位置は決まったそうだ。

 それにしても昨日、僕が直立不動で寝ている時、彼の泣いている声を聞きながら、昔を思い出していた。看護婦は


「男ならいつまでもメソメソ泣くな」


と言うけれど、そうじゃないんだよな。悔しいんだよ。女なんかには分かるもんか。あれは本人は一生懸命に止めたがっているんだ。それでも腹が立つ事に、どうしょうも無いんだ。好きであんなに苦しい泣き方が出来るか。  

 分かる。分かるよ。泣いて良いよ。今のうちだよ、泣けるのは。大きくなったら恥ずかしくて泣けなくなる。周りを気遣って泣けなくなる。自分だけの為に、泣いとけ泣いとけ。

 

 今週は外泊無しか。いや、退院を思えば、それ位頑張れるさ。退院したら忙しいから、今のうちに手紙何ぞ書いておこう。そして小説も。書けるかな。自信喪失しちゃったからなぁ。ま、気軽に書きましょ、気楽にね。



 6月4日(金)どんより曇 灰色の都会

 

 もうダメ。何をする気も起きず、目が覚めていれば気分は暗く、看護婦にも医者にも無愛想となる。よって一日中寝ておった。

 一日中と言っても、素晴らしきかな、この環境。メシだ、薬だ、ガーゼの交換、掃除、それにガキがチョロチョロ入り、果ては同室くんの独り言、聞いているのかいないのか、雑音だらけで合わせようとしないラジオが、新しく仲間入り。それに加え主治医くんのお説教。どうもあの人には言う事が通じない。少しかわっているのか?

 

 もう腹が立つが、夜の一時となり、時間が苛立ちを鎮めてくれたから、今更怒り直すのは止めにして、自分の時間に浸ろう。




 6月6日(日) 晴ネオンがはっきり見えない  

 

 引き続き落ち込んでいた午前中。伯母さんとカアチャンが来るからと、それに望みを託し、寝転んでいた。のんびりとカアチャンがやって来た。伯母さんは来なかった。これがまずかった。

 母親相手ではそんなに話す事も無く、気も起きない。予想に反して、返って気分は一本調子で仏頂面をしていた。あちらも心得たもので、別に何話そうともせず顔色を伺い、言い合いにならずに帰って行った。

 その後、前にも増して扱い難い患者となってしまった。それにしても、まだ日中に布団を引っ被って寝ようとしているのだから、看護婦に額を触れられても仕方あるまい。

 

 日曜日は寂しいな。早く寝てしまおうか。そうもいかないしな。

 



 6月7日(月) 学習室にて勉強中

 

 もう狂いそうだ。20時を過ぎやっと静かな一時が、と思いきや、隣の部屋からは勉強を名目にダベッている、くだらない女子の会話が聞こえ、その向こうではギャンギャン泣きわめく知性の乏しいガキが騒ぐ。

 仕方ないと言えばそれまでか! せめて女共だけでも黙らせるわけにはいかんのか! もう寝ろよ。昼間騒いでいるくせにグダグダぬかすな!

 

 ここまで感情が昂ぶったのは、全てもう限界に来ている証拠である。

 廊下を走るな! 

「やだぁ〜」「えーっ」

は言うな! 知らないぞ、俺が暴れ出しても!

 

 ダメだ、このままでいたら本当におかしくなってしまう、絶対に。限界がきている爆弾みたいなものだ。もう導火線に火は着いている。

 寝ろよ、もう。女共。神経が休まらない。ノイローゼになったらどうしてくれるんだ。このままでもう少しここ居たら、退院しても、後遺症で正常に戻れなくなりそう。

 君ら、いい加減にしてくれよ。もうすぐ21時になる。寝ろって。てめーら、しゃべらずにはいられねぇのか。  

 これは勉強できる状態ではない。僕が言っている事は無理なのか。それとも向こうがバカなのか。


 北杜夫氏はマンボウ航海の終りの方で、もう寄る港も無くなり、後は日本に帰るだけとなった時

『もうマンガは難しくて読めず、ヌードも単に索漠たる眺めに過ぎない』

と書いていたが、マンガは手持ちにないが、もう文庫本も難しくて意味を部分的にしか拾えず、エロ本も無い僕は、何をすべきか。隣の女共を叩き出すか。


 ……と、感情が激した所で、天使の様な看護婦様が僕に

「隣の部屋が煩いでしょう?」

と言って注意をしに行ってくれた。効果はその時だけであろうとも、嬉しい!僕の味方がいた!

 21時になる。ラジオでも聞いて、この女共が寝る頃にもう一度この学習部屋に来よう。

 

 まだベットの上だが、少し体を動かしたので(病室⇆学習室)幾分気を取り直している。気分を自分で良い方向に持っていかねば。

 しかしやっと、この時間は静かだ。嬉しい、嬉しい。気が落ち着くとこうも気分が良いものか。

 煩いから、もうちったぁ大人になって欲しいものよ。ガキじゃ無いよ、女共だ。性格と親のバカさ加減によるのかね。誰か分かってくれる人がいるっていうのは、いいね。




 6月8日(火) 暑い 日本特有の天気だった様だがネオンは良く見えない


 あそこで伯母さんが来てくれなかったら、今なおイライラガッカリしていたであろう。良かったな。

 

 さて何を書こう。いやに気分が浮ついている。このままで良いものか、クールにキメる事をモットーとしてきた僕が。しかし残念な事に、このモットーの真相が悲しい事であるのは良く知っている。

 

 嬉しい事に、何とも迫力のある事に『吉里吉里人』井上ひさし氏著が今、手元にある。伯母さんが新しい単行本を買ってくだされた。読み応えがありそ。

 

 今日、以前27日に切開した右足が痛かった。踏み込むと少し痛むだけだが、僕には多いに困る。すごく気になっているのに、いつもの様に遅れがちに、日が昏れて少したって、看護婦さんがガーゼの取り換えに来た。切開痕は何ら変わりなく見えた。良かった。でも心配だから大事にしておく。

 



 6月9日(水) 雷が鳴った

 

 退院。退院である。

 喜びが予定の様には心に現れなかったが、現実と幾分の隔たりがあっても仕方ない。

 退院だ。今度こそ本当に退院だ!


 何も書けん。書かない。




 6月10日(木) 晴 例年より三℃暑い

 

 10時48分。時間よ、ちょっと急いでくれよ。これでこことも、おさらばである。この日をどんなにか、待った事であろう。

 

 ここで思うのは何故か文章作りの事である。

 気持ちを文にするのだから、サラサラ書けても良いと思うのだが出来ませんな。気分が落ち着いていない所為だろうか、はて。

 

 とにかく考えようによっては、尤もそれはずっと分かっていた事なのだが、こんなにノホホンと朝のラジオなぞ聞けるのは、もう暫く無い事なのだ。また、ちょくちょくあったのでは、僕はメチャクチャになってしまう。そう思うと、ラジオの音も Hi―Fi Sound に聞こえるな。

 

 さて、これからどうしょう。今まで考えていた具体的な事は、どうしても頭の中のものでしかなく、現実にはちょっと無理がくっついている。


「退院したら……」

 

が全ての予定の枕詞になっているのだ。そう思うと些か憂鬱になってくる。この喜ぶべき、バンザイを唱えながら廊下を走り回るべき感動の数時間に、先行を考えて憂鬱になると言う事は、今この時には合わないと思うが、悲しいかな、現実は相当厳しいのである。

 いつもならこれから、その厳しき事実のいくつかを列挙羅列して、嘆かわしく情けなくささやかに自分を励まして終りにしてしまうが、いささか鼻についてきたので止す。

 

 退院後、僕は忙しく飛び回るであろう。そうこなくてはいけない。人間は抑えつけられると、反って激しく求めるものだ。

 

 病室が安静時間に入った。静かだね。            

        祝!!入院日記 完



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