5月 入院日記 その5 そろそろ限界 従兄再参上 バイブル『青春記』
5月11日(火) 光化学スモックが出る様な不快に暑い晴
今日は参った。午前中のリニアックから帰って来てからメチャ気持ちが悪かった。今21時18分で一日それで昏れてしまった。不快この上も無し。
吐気を頑張って押さえていたが、13時頃白旗を掲げ、病室内の流しで吐こうと思ったのだが、横に同室くんの顔があったんじゃねぇ。
で、トイレへ。でも何も出てきやしないの。黄緑色の液体だけ。
「いかん、薬吐いてしもた」
と思った。だって、味が似てるんだもの。後で聞くと胃液とか十二指腸液だとかだそうだ。酸性だそうな。
気持ち悪かったので、こりゃ伯母さんがお見舞いに来るけど、どうすべぇと困っていた。その上、昨晩電話でハンバーガーの差し入れを頼んでしまっていた。でも結局
「あー気持ち悪い」
と言いつつも彼女としっかり話をした。
面会時間の後、眠って目覚めるといやに気分がすっとしていて
「おっ、いかった〜」
と思った。おかげでちょっと味の落ちたハンバーガーを、三つ平らげ、人目に隠れてすするコーヒーの味を知る事になった。伯母さんありがとう!
『光化学スモック注意報が群馬・栃木両県を除く関東各都県に出ております』
あっ、群馬って良い所だなぁ。今日は三十℃を超えたんだって。あっついなぁ。
おかしいな、ジャイアンツ。ゲーム無い筈は無いのだが、と思ったら、今日はデイゲームだったそうな。原選手の十一号ホームランで勝ったそうな。がんばってるな。
昨夜、何かと色々シリアスに悩んだ。本来ならここに書き留めておくべきだろうが、今日随分楽観的になれていたし、今この時期に落ち込むのは考えものだから止しときましょう。
こうしてみると、一日経っただけでこうも簡単に気分が変えられるなんて、やっぱり熱し易く冷め易い、上州人たる所以だろうか。考えようによっては得だね。
あの骨髄検査、早くやりゃあいいのに。ほっとくから、ほら見ろ、僕の元気が無くなってしまった。今日気分が優れない事を知ったからって、また延びたら許さんぞ。痛いのは僕なんだから。
病院てのは不思議だね。本当に病人を作っちゃうんだね。環境って大事だ。
親父がいい加減な奴が多いとこぼしていた。親父の会社の入社面接に紺の背広を着て、女物のサンダルをつっかけて来るんだそうだ。そりゃ、参るよ。でも、参るばがりじゃいられない所が親父の辛いところだ。
『いい加減な奴』と言うが、世間はどうもそういう人口の方が多い様だ。実際は学が無くても情熱や目的を持って働いている人が居るから、そんな事は無いのだろうが、変な格好をして、車の運転と女の尻しか興味の無い連中を見ていると、そう思わざるを得ない。
中学時代に友人の家で、級友らと会った時、自分の成績の悪さを教えあって(僕もその一人であったが)どうも格好と後味の悪い笑いを作りながら思った。
「こいつら将来どうするのだろう」
それは突然感じたにしては大きな問題で、こんな事を考えるきっかけになった疑問だった。体格のいいヤツは体育教師にでもなれそうだ。家業は継ぐのか。どうするのだろう。
これは大家さん答えてくれた。
「そりゃあね、一つのものを売る事だけ、作る事だけを教え込まされるんだから、それでいいんじゃない?」
つまりセールスマンを指しているそうだ。ちょっと技術を教え込まれ、それだけを繰り返すだけの仕事。そんな仕事はいっぱいあるじゃないか。
と、思えば職を何度も変えたり、変な格好をして車を乗り回し、遊ぶ事ばかり考える生活も、少し理解できる。
僕は仕事に情熱も持てずに扶養家族もいないなんて耐えられないよ。
例えば『俺は頭が悪いから』なんて理由だけで、情熱の無い生活をし、いい年をしてまでそんな事を言うなんて、情けないと思わないのか。それなりの努力をしようじゃないか。生き甲斐を無くしてどうする。ただ年を食っていくだけなんて、考えただけで背筋がゾッとする。僕は努力したい。本当にしたい。こんな事を書くのはもう嫌だ。努力したい。
「早く親に頼らずに経済的に自立したいと思う事自体が甘えである」
と鹿児島ラサール高の寮生新入生の男子がホームシック(五月病)について語った。分からん分からん。
僕の育った環境。それらから考えて、やはり『いい加減に生きる』なんて不自然で不機嫌なものだ。『俺は頭が悪いから』からの泣き寝入り、開き直り根性のまま劣等感を持っている人。そしてまた、各種の犯罪はその劣等感を刺激される事によって生じる様な気がする。その人の弱さ、それが故に可哀相な犯罪者達も生まれる。
日本の若い世代、これから社会の核と推進力となっていく人達は、活力と情熱に燃える、または冷めているとしても、優秀な人材となり得る人達と、劣等感に凝り固まって自分はこれで良いのだと、下手な理屈をこねて現状に甘んじてしまった人達とに、はっきりと分かれてしまった様に思える。
申し訳ないが、これに結論を出せる程に、成長していない。でも、この事を皆に考えて欲しい。これから社会に出る社会人予備軍たる学生諸君に。
この二つの階層は絶対的に在るものだけど、学生のうちに出来る事はまだ多くある筈だ。
考えて欲しい。もう世間の全てを知ってしまった様な顔をした冷めた若者達に。
青臭い事を言う奴だと言われそうだが、青臭い事を真剣に考えられる事だって若い今だけだ。結論なんか出なくても、それだけで素晴らしく価値ある事だと思うのだが。
北杜夫氏『青春記』を兼部くんに読ませよう。
5月12日(水) 19時
日が落ちてようやくクーラーの回っている事に気づいた。全く終日暑い日だった。今日は特筆すべき出来事は何も無い。ただ午過ぎからの眠りが大変心地良かったとでも書いておこうか。
あの検査がなかなか始まらない。体調の良い日にやってくれ。鼻は不快である。熱を帯びた様でくしゃみもでる。鼻風邪とはかようなものか。アレルギーかも。
どうも一日置きに陰気と陽気が入れ替わる様で、今日は随分気分が沈んでいる。嫌な時期に入院してしまった。十六歳だなんて多感な時期なのになぁ。『人生経験』だなんて言って、ケロッとしていられるものか。
5月13日(木) 晴
病室の窓から見える夜景は、都会の夜景にしてはかなり物足りないが、僕のインスタントラーメンがごとく本当に安っぽい感傷をつくるには、十分である。今度外泊したら双眼鏡を忘れずに持ってこよう。窓からの風景が面白いかどうかは怪しいところであるが。
いよいよ危険な時期に入って来たと言える。何の話か? 何を隠そう僕の苛立ち、ストレス、焦り、とまぁそんな類いの事が限界に近づいているらしい。大挙して押し寄せてきている様で、理性の堤防もいつ崩れるか分からん。恐いところである。
具体的に二、三例を挙げるなら、看護婦さんの言う事を煩いと感じる様になった。平然な顔をして、
「そうかよ、分かったよ」
なんて内心で思っているのだから、疑う余地無し。
隣のベットの同室くんをまた煩がっている。自分でも呆れる程、雰囲気を大切にするムード好きだから、浸っている時にガサゴソやられてムードを壊されるのは全く腹が立つ。
「気を付けて欲しいな」
と、ラジオばかり聞いていながら、自分本位こんな要求をする。
危険だ。これを抑えきれねば、最近自らの成長を吹聴している僕としては、その喜びがたった一言で無残にも崩れ去る事になってしまう。先に発狂の兆し有りと告げたが、遂にいよいよをもって自己を理性によって抑制する事が難しくなってきた。
ついては今一度勧告する。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
看護婦諸君に告ぐ!
我を怖れよ。遠目に見て『機嫌悪し』と察したら、すみやかに立ち去るべし。業務上、止むを得ぬ場合は何より速さを重んじ、事を済ませるべし。
さもなくば、どんな事になろうとも責任はとらない。もし、訴えても狂人には刑事責任は問えない故、諸君らの泣き寝入りに終わるだろう。
以上、肝に銘じて行動して貰いたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
まずこれを掲げ、少し本気で見てもらおう。もう少し僕が真剣である事をアピールするべきだろうか。
5月17日(月) 晴 テキ面に晴
半袖になったら、ちと寒かった。
週末外泊日に学校に行ってみた。授業が無かったのはやっぱり残念かな。二年生になって受けた事無いんだものネ。様子が分からないと対策もたてられん。情報収集の一つよ。
家でパックに手紙を書くことはエラく難解らしい。なんたって一回も成功しとらん。今週も見送り。金パが終る事を、俺は本当に悲しんでいるのか? 比熱の低い男なのか? しっかりやれよ、上州人。
『プチホーン』(イヤフォン)良いネ。なかなかのものだよ、これ。耳の形によって異なってきちゃうのが問題だけど。兼部くんに教えてあげちゃお。
いよいよ僕は不愛想になってきた。看護婦さんが話しかけてきても
「うん……うん……」
どう思われたかしら。でも前からその傾向はあったから、それほど変わらない。大丈夫大丈夫。
級友に
「暗いな〜」
って言われたけど、お前此処に来て見やがれ。暗くもなるぜ。
しかし実際、病院ってのは病人を作るネ。寝巻も、そう見えないものを着ているけど、ベットに乗ったら途端に気分が暗くなったもの。仕方ないけどネ。
今回の外泊は気分がよろしくなかった。どうも少し運動すると怠く気持ち悪くなる。放射線治療の所為か。何しろ早く治って欲しい。
5月18日(火) 結構暑い 曇
あっ、もうチョコが終ってしもた。割と少ないんだね。
リニアックが終った。やはり僕の計算は間違えてなかった。技師の記録ミスで、余計にやる羽目になるところだった。冗談じゃない。
落ち込んでいたが、今は割とケロッとしている。青春テープをリアルに聞いているからか元気になった。
5月20日(木) 雨 おかげで野球のナイターが流れた
コーヒーを飲んだ。
「ん? 濃いな」
と思ったけどもっと飲んだ。飲み終えると喉がチリチリ痛んだ。
「煙草を吸った後みたい」
幼馴染は手紙にどうでもいい事ばかり書いていて、聞きたい事知りたい事はたった三行で片付けている。新しい金パメイトを見つけた? 一人級友にいたそうだ。その上、元中級友と『ラ・ブーム』(ソフィー・マルソー主演青春映画)を見ただとォ! あホ!明日、電話をせねばならんじゃないか!
テレビ局勤めの伯父さんのところにRC(RCサクセション忌野清志郎ボーカルロックバンド)を出せという意見が多いそうな。そんで、伯父さんは当然RCが何であるか知らんと。あー、皆さん、これがテレビ局の現状です。
〜~〜~〜~〜~〜~〜~〜~〜~〜
金パの『独り言』コーナーのバージョン
テレビ局勤務の伯父によると、FMでRCの公開録音をするか否かで、もめているそうだ。彼は言った。
「RCって何?」
皆さん、現場はこんなもんです。
上州 Brown
〜~〜~〜~〜~〜~〜~〜~〜~〜
ちょっとたまげた事に、見たい映画が七本もある。七本で七千円。パンフレット各二百円足したら、八千四百円。うわぁ、どうしたら良いかのォ。
Mr.アーサー(ダドリー・ムーア主演)
刑事物語(武田鉄也主演)
スターウォーズ帝国の逆襲
窓からローマが見える(池田満寿夫小説)
チャタレイ夫人の恋人
ラ・ブーム
ロッキーⅢ
ご親切に僕の勉強時間を増やしてくれるそうな。病内学習指導室。もうお言葉に甘えても構わない時期ですから、僕も頭を下げたけど、病室のベットの上で『ながら勉強』が出来なくなっちゃうね。
『パパラギ』という南洋の酋長さんが書いた本が欲しい。はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集(ドイツ エーリッヒ・ショイルマン著)。
5月25日(火)晴 今日で四日間連続五月晴
昨日、憂鬱であった。病院に向かうバスに乗る時
「あぁ、これで世間とまたしばらくお別れかぁ」
と思った。その夜、僕はもの凄く可哀相な子であった。日記をつけよう。この気分を書いておこうと思ったが、遊び疲れか断然寝てしまった。今日つけようと思ったのだが、出来るもんじゃないね、昨日の事を書くなんて。
従兄が来た。かなり意外だったがまぁ良い。一人で本を読んでいるよりずっと良い。彼はいつも通り、オーバーオールを着てむさ苦しい顔をし、なんでもない話をして、僕の相手をしてくれた。彼は気になる事を言う。
「百日、学校を休んだらダメでしょう」
計算してみようか。でも、越えていたらもう耐えられないし、あれこれ悩むとまた大変だから止めにした。彼はこうも言う。
「成績が良ければ問題ない」
仰る通りです。がんばります。
今日は本当なら検査で足に傷が増えている筈だが、木曜に延期だと。それなら木曜まで外泊して遊べたのに残念だ。でも気分は既に諦めていたので悪く、そんなに悪くはならなかった。
詳細は後に気力があれば書くが、日曜のデートは気ばかり使って気疲れする、もう嫌になっちゃうものだった。何せ14時には兼部くん家でガックリしていたのだから。書きたくないが彼の一言。
「今頃、ここにいる様じゃ、大したデートじゃないね」
さらに弓道の家へ行って帰宅は19時。男と付き合うのは楽だ。
今日、学習指導室へ行く。初日だから少しだけ勉強しよう。体の良い逃げだ。
5月27日(木) 晴
痛かった。三時間半。腰抜けそう。右足の焦り。イライラ昂じてメスを振りかざす医師。
「これかな?」
「……血管ですね」
あァッ、おォ、バァカァーン!
後に「血管かなァ」
僕「痛いです」
医師「フッー」
乱暴に揉む。足は見事に腫れる。ミスばかりで注射をはじく事四回。二十針以上縫う。骨髄採取。
5月28日(金) 見事に晴
日頃の妄想癖で今日は文化祭の出し物を考えていた。何が良いかなと思ったら目の前、つまり本を読みながら考えていたのだが、『看板集め』が載っていた。そうだ、北杜夫氏の青春記にもこれはあったぞ。これをクラスでしたらどうだろう。きゃあ楽し。
それから明日は外泊になった。仕方ない。来週はみっちり勉強せねばなるまい。
5月31日(月) 久し振りの雨
ノートを開いてふと見れば、このページ。大分威勢良く書いたものである。
しかし、文化祭は僕が考える様には進まない。先日、級友にTELして文化祭の状勢を尋ねた。答えはやはりバンカラは前世紀の遺物と成り果てたかと、寂しい気分にさせる物であった。
彼の話によると(大体その言い方がいかにも活動の乏しい事を感じさせる)しばらく前に僕も知っていた、兼部くん力作案のプリントが配られただけで、他は何の案も無い。文化祭がどうのと言う話題も出無いと言う。
あァ、バンカラは遠くなりにけり。
足の腫れはまだ引かず、看護婦さんをビビらせるには十分である。彼女はその前を知らぬから驚くだろうが、もっと凄いのも見ている僕の目からすると、かなり引いてきていると思う。何より痛みが減っているから。早く治って貰いたい。
今日は余り『外泊終り』であると言う事を意識しないようにしていた。割と普通に病人に戻れた。幸である。
それでも食事の時間になる度に、自分が入院していると言う事実が、あのソースの臭いと伴に僕をいじめる。
何にしても意識せずに学問に励め。




