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スノウ・インカネーション/十三

 ジュリは朝になっても帰って来なかった。私は彼女が帰ってくるのを身構えて待っていたが結局ジュリから連絡が来たのはその日のお昼過ぎだった。その時間、私はユウリとコレクターズのライブビデオを見ていた。ダブルアンコールの僕の時間機械のときにジュリから着信があって私のスマートフォンを震わせた。電話に出れば彼女の声は不気味なほどに上機嫌だった。「あ、もしもしユキコさん、突然なんだけれどお友達と今から旅行に行くことになってね、オーストラリアに、実はもう空港にいるのだけれど、それでユキコさん、申し訳なんだけれど、あの人も出張だし、これから一週間くらいユウリの面倒を見て貰ってもいいかしら? 大学なんて一週間くらい行かなくっても平気よね?」

 子供みたいにはしゃぐジュリの声を聞いて私は苦笑しながら頷いた。「……ええ、もちろん構いませんよ、そうですね、大学なんて一週間くらい休んでも平気ですから、はい、全然平気ですよ、私に気兼ねなく、楽しんで来て下さいね」

 私は言葉に精一杯の皮肉を声に込めたつもりである。

 でもジュリは私の皮肉になんて気付いていないのでしょうね。

「ありがとう、ユキコさん」

 なんて素直に喜んでいる。

 私のことなんてどうだっていいから。

 そしてユウリのこともどうだっていいから、ジュリはこちらからの攻撃に気付かない。

 お友達って男でしょ?

 私はジュリが色んな男と遊んでいるのになんとなく、いいえ、ハッキリと気付いていた。兄もそれは一緒だろう。兄以外の男のことを考えているときのジュリって人が変わってしまったように無邪気になる。男の前でジュリは愛らしい少女を装うんだ。

 もう三十なのにキモいよ。

 あんたには七歳の子供がいるんだよ。

 母親なんだよ。

 ママなんだ。

 莫迦みたいだって思わない?

 私は思うよ。

 軽蔑するよ。

 あんたのそういう生き方が私は大嫌いだ。「……ジュリさん、オーストラリアに行くのでしたら、あの、一つお願いがあるんですけど聞いてもらえますか?」

「お願い? なぁに?」

「アボリジニの絵を買ってきて欲しいんです」

「あら、ユキコさん、そんなものが好きだったの?」

「はい、最近、好きになりまして、一枚、本物が欲しいと思っていたんです」

「いいわよ、もちろん、どんな絵がいいの?」

「そうですね、ああ、そうだ、あれがいいかな、」私は講義で魅了されたあの絵を思い浮かべた。「蛇と人間と森と夜の絵を」

 そういうわけで私は一週間、ユウリと同じ時間を過ごすことになった。私は誰にも邪魔されずに二人きりで同じ場所に一緒にいられるのが嬉しかった。きっとユウリも同じ気持ちだったと思う。私はまるで彼女の母親になった気分でユウリに接し、ユウリもまるで私の子供になった風に接してくれた。ユウリは私のことを一回だけ間違えて、ママと呼んだ。私は気付かないふりをした。咄嗟に反応出来なかったこともあるし、何よりもその間違いを指摘するのが嫌だったし、恥ずかしかったからだ。私はユウリのママになりたいけれど、なれないことはきちんと自覚している。しかし一週間だけでもユウリのママを装い、時に褒めて、時に叱って、時に笑い合ったりして、彼女と暮らせて幸福だった。特別なことは何もなかったけれど、ユウリはきちんと学校に通っていたし、私は家事をしてやることがなくなれば本を読む、という何の変哲もない日常だったのだけれど、その時間、今までにない至福の色に心は染まっていたんだ。

 私が通っていた錦景女子高校の軽音楽部出身のコレクチブ・ロウテイションというロックンロール・バンドの新譜がインディーズでリリースされたのは、その何の変哲もない一週間のうちの水曜日だった。タイトルはスノウ・インカネーション。一曲入りのシングルCDだった。それを発見したのは本当に偶然で、ふらりと立ち寄った錦景ターゲット・ビルのタワー・レコードでCDを見た帰り、タワー・レコードの倉庫の向かいにあるマシロの家という占いの館の横に新しく、以前は確かミリタリー系のアパレルショップだった場所に、インディーズ専門のCDショップが出来ていた。私はそこでちょうどその日にリリースになっていたスノウ・インカネーションを見つけてセンチメンタルな気分になった。私は彼女たちのファースト・ライブを知っているしその後に彼女たちに起こった様々なドラマも知っていたからだ。私は躊躇いなくそれを買って帰り、ユウリが学校から帰って来るのを待ってリビングで二人で聞いたのだ。

 ギタリストのアプリコット・ゼプテンバの高速カッティングは彼女が錦景女子だった頃よりさらに進化していて、ギターは最初から最後まで激しく舞い吹雪いていた。

 それに哀しくて切なくて絶望的な真実に挑み春の兆しの幻想を雲の隙間に見て精一杯手を伸ばすという歌詞が乗る。

 そんな血をたぎらせるような衝撃的な冬のロックンロールだった。

「お姉ちゃん、この歌は誰の歌?」

「コレクチブ・ロウテイションっていうバンドの歌よ、お姉ちゃんと同じ錦景女子高校出身のバンドなんだよ」

「これくちぶ・ろうていしょん」

 ユウリは歌詞カードをじっと見つめながら、どうやらスノウ・インカネーションの激しいメロディが気に入ったみたいで、何度もリピートする一曲を聞き続けていた。そしていつの間にかユウリはスノウ・インカネーションを口ずさんでいて、そのアプリコット・ゼプテンバとユウリの二人の天使の絶唱が私にはとても心地よく、時間が経つのを忘れて私はいつまでも聞いていた。

 強くなれそうな予感がする。

 スノウ・インカネーションはそんな歌。


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