スノウ・インカネーション/十二
私はもう一度、左の手首の裏側を傷つけることはしなかった。
私は扉の隙間に立ったパンダのぬいぐるみを抱いたパジャマ姿のユウリを目にして包丁をシンクに投げ捨てて膝から崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込み両手で顔を覆って、頑張って堪えたんだけれど、結局また、泣いてしまった。さっきからずっと泣きっぱなしで顔はユウリに見せられないくらいに赤らんで汚いと思ったからとりあえず両手で精一杯隠したんだ。腰から下の部分の力が抜けてしまって感覚がなかった。もしかしたら漏らしてしまっているかもしれない。上半身のあらゆる部分は電気に痺れたみたいに震えている。私は、私の状態というものが全く分からなかった。実は泣いているのではなくて笑っているのかもしれない。笑っているのではなくて怒っているのかもしれない。そのすべてなのかもしれない。
分からなかった。
私の手を濡らす涙の理由。
それは何?
「お姉ちゃん、大丈夫?」
ユウリの幼い声が聞こえた。
ユウリの幼い足音が私に近付く。
ユウリの小さな手が私の頭を撫でた。「……お姉ちゃん、これは夢なの?」
私ははっとなって顔を覆っていた両手を退けて顔を上げてユウリのことを見た。
ユウリの目は半開きだった。口もそうだ。夢か、現実か、パンダのぬいぐるみを抱き締めたユウリは寝ぼけていてそのどちらが今なのか分からないんだ。ユウリは私がここに来ることをジュリから知らされていなかったのだろう。だから判断がつかなくって困った顔をしている。ユウリからすれば沖ノ宮市にいる私がここにいるわけがないのだ。しかし私はここにいる。私はこれが確実に夢ではなく現実だと知っている。
そしてユウリは現実にここにいることを知っている。
「夢じゃないんだ、」私は自分に言い聞かせるように言ってユウリの小さな体をぎゅっと抱き締めた。「ユウリ、これは夢じゃないんだよ、現実なんだよ」
私は死ねない理由を思い出したんだ。
ユウリなんだよ。
私はそれを思い出した喜びに、目が回りそうな程の歓喜に、泣いたんだ。
「夢じゃないならどうしてお姉ちゃんはここにいるの?」
「ユウリに会いに来たんだよ、ごめんね、お土産を買ってくるの、忘れちゃった」
「ううん、」ユウリは小さく首を振る。「そんなのどうだっていいよ、お姉ちゃんはどうして泣いているの?」
「ユウリとまた会えて嬉しいからよ、」私は抱き締める腕に力を込め、ユウリの体は温かかった、ユウリの頬にキスして言った。「嬉しくて涙がこぼれたんだ、本当よ」
「私もお姉ちゃんに会えて嬉しい、」ユウリは笑って私の頬にキスしてくれた。「私もお姉ちゃんにずっと会いたかったの」
そして涙が止まった私はユウリとソファに並んで座り、ユウリがしたことは何も間違っていないのだと伝えた。ユウリを非難するジュリや先生の方が間違っているのだ言った。
「やっぱりそうだよね、」ユウリは大きく頷いた。「私は間違ってないよね、ママと先生は私のことを怒ったけど、私は間違ったことをしていないんだよね」
「うん、そうだよ」
私は頷きユウリの頭を左手で撫でる。
あなたが掬ってくれた左手に、私は永遠にあなたの味方だよ、という思いを込めた。
これからの未来にユウリのことだけは絶対に裏切らない、と私はこの時に決めたのだ。




