第四十八話 狂乱の芝居
ディエラは顔を伏せたまま、焦点の周りのぼんやりとした視界で、シルヴァンが下がるのを待っていた。
だが、シルヴァンに動く気配がない。
普段であれば、要件が終わると癇癪に巻き込まれないようにすぐに退出していた。覚えている限りでも、回帰前には無かった行動だ。
ディエラは不審に思い、口を開こうと小さく息を吸った。
「外出のご予定でも?」
ディエラが言葉を発するより早く、シルヴァンが問いを放った。
身支度を整えているディエラと床に落ちた髪飾りを見て、外出の選択肢が浮かんだのだろう。ただ、その視線には探るような挙動は無く、様子を窺う気配もない。
どうやら、変化に気付いたわけではなさそうだ。
ひとまず安堵したディエラだったが、その問いに聞き慣れない違和感を感じた。
シルヴァンがディエラに外出の予定を尋ねることは少ない。回帰前、ディエラが母の死の真相を知った後、要件を済ませに定期的に街へ出ていた。
だが、その際に行き先を含め、シルヴァンが口を出してきた記憶はない。
ディエラは、ゆっくりと顔を上げると、鏡の中のシルヴァンを見据えた。
「それを、いちいち、貴方に言う必要があって?」
差し出がましい問いを咎めるように、静かな圧を滲ませる。ローズピンクの瞳の中で、瞳孔が僅かに開く。
以前のディエラは、使用人に対して横柄な態度をとっていた。それが、レイヴンの側近であろうと、例外は無い。
ディエラはレイヴンの関心を求めていたのであって、その執事には興味が無かった。あくまでも、括りは使用人。シルヴァン相手にも下手に出たことは無い。
その為、多少の感情は乗せてよいと考えたのだろう。現に、シルヴァンはディエラの態度に不審感を感じなかった。
「出過ぎた真似をお許しください」
シルヴァンは表情を変えず、頭を下げた。
その滞りのない対応には、機嫌を損ねたディエラの扱いに慣れていることが窺える。
「さっさと下がりなさい」
「畏まりました。失礼いたします」
顔を上げたシルヴァンが、ほんの一瞬フィエルテに視線を映した。
ディエラは鏡越しにその動きを追った。不機嫌を向けられる侍女への気遣いのようにも見えたが、シルヴァンの表情からは確かなものが読み取れない。
フィエルテは床に散らばった品々を、黙って拾い集めている。シルヴァンに向けられた視線にも、気が付いていない様子だった。
シルヴァンは扉の前で一礼すると、部屋を後にした。
扉が閉まる直前、ディエラは鏡台に残っていた髪飾りを手に取り、壁目掛けて無造作に投げつけた。
「いつまで這いつくばってるつもり?片付けも満足に出来ないなんて、本当に役立たずね!」
「申し訳ございません」
怒りの感情を全てぶつけるように、廊下まで届くよう声を張り上げた。
フィエルテの感情のない声色を聞きつつ、ディエラは閉ざされた扉の方へ視線を向けた。
今の罵声を、シルヴァンは扉の向こうで耳にしたことだろう。
お父様からの関心を欲しがり、期待が外れた悲しみや自分への怒りを侍女に当たり散らす。見聞きの慣れた日常の一端。
今は、そう記憶させておけばいい。
ディエラは遠ざかる足音を聞きながら、空になった鏡台を眺めていた。




