第四十六話 忘却の擬態
フィエルテの手元をディエラが鏡越しに眺めていると、扉を叩く音がした。
「ディエラお嬢様。シルヴァンにございます」
ディエラの視線が、ピタリと止まった。
”シルヴァン・クローデル”
レイヴンの側近であり、執事を務める男。
数多居る使用人の中で、レイヴンが個人として認識し、傍に置くことを許している。その立場は、ディエラが回帰する前の五年間、一度も揺らぐことは無かった。
復讐のために情報収集を行う際、ディエラは当然リスト内にシルヴァンを入れていた。
だが、ディエラが調べた限りでは、シルヴァンの素性に関する情報の一片すら掴むことができなかった。
その頃には、既にフィエルテを失っていたため、使える手段は少なかった。怪しまれることを避けるには、必然と表立っての行動も制限される。
ただ、素性を掴めなかった主な要因はそこではない。
シルヴァンは、異様なまでに隙が無かった。
普段はレイヴンの傍に控え、ディエラの元を訪れるのは言伝があるときぐらいぐらいだった。顔を合わせても表情は変わらず、要件以上のものが得られたこともない。
ディエラが知見で得られた情報としては、隙の無さに見合う能力と、異常なまでに正確な記憶力。
レイヴンが来訪者について尋ねた際、素性はおろか、以前に交わした話の細部まで伝えていた。エリノアが何気なく口にした言葉も、ディエラが欲しいと強請ったドレスも、屋敷内の序列問わず記憶していた。
けれど、それはひとえに主人の為であり、レイヴンの側近としての務めを果たしているに過ぎなかった。
いつ何時、何を問われても、レイヴンへ確かな情報を伝える。そのために、目についた全てを記憶へ納めていた。
ヴァルディア家には、魔導士や学者が感涙するほどの立派な書庫がある。だが、シルヴァンに尋ねれば、分かりやすく簡潔に伝えてくれるため、宝の持ち腐れと成り果てている。
歩く書庫と称されるシルヴァンは、些末な変化も見落とさない。その記憶に収めるときは、ディエラの意思が介入している必要があった。
視られるのではなく、見せる。
レイヴンがディエラを顧みなかったのは、娘として愛せなかったからではない。傍に置くほどの価値が無いと判断し、見限っていた。
そのレイヴンが、憎悪を隠して牙を研いでいた娘を前に、どんな目を向けたか。ディエラは知っている。
愚かだと切り捨てた娘の価値を測り直し、使える駒かどうかを、自分の目で確かめようとするだろう。
その関心には、利用する余地があった。
だが、男の所在も掴めていない今、レイヴンの目がディエラへ向けば、回帰前以上に動きが制限される。フィエルテに命じた捜索まで探られることを、ディエラは良しとしなかった。
何を見せるかも、いつ見せるかも、私が決める。
ディエラは鏡台へ手を伸ばすと、並べらていた小物や化粧品を乱暴に薙ぎ払った。




