第四十二話 終焉の再契
フィエルテはしばらく動かなかった。
布を持つ指が僅かに強張る。ディエラの言葉を確かめるようにその顔を見つめ、それから静かに視線を伏せた。
手にしていた布を盆へと戻す。布を整える指先が、ほんの一度だけ縁を掴み損ねた。
ディエラは何も言わず、その様子を眺めていた。
フィエルテがベッドの前に戻り、片膝をつく。深く下げた頭から、ヴァニーユの髪が一筋零れた。
「…そのお言葉を賜れましたこと、身に余る光栄にございます」
相変わらず、感情のない声色だった。
だが、その声は微かに震え、次の言葉を紡ぐまで僅かな間を作った。
「グレイス様にお仕えできたこと、そして、お嬢様のお傍に置いていただけたこと。それこそが私の生涯の誇りでございます」
その瞳には、薄く涙が浮かんでいた。次第に確かなものへと変わる口調に、感情が乗り始めていることを、ディエラは理解した。
「私の持つ力、知識、この身体、その全てをお嬢様に捧げます。どうぞ、お望みのままにお使いください」
ディエラは黙って聞いていた。
お母様の死を口にしたときだけ、フェルの声が僅かに沈んだ。
彼女もまた、あの日に縛られている。
「このフィエルテ・リーデンス。今一度、お嬢様に忠誠をお誓い申し上げます。…どうか、最後までお供をお許しくださいませ」
深々と頭を下げ、忠誠を誓うフィエルテの姿をディエラは見下ろしていた。
ディエラの言葉は、フィエルテに許しを与えるために告げたものではない。これから働かせると、その意思があるかを確認していた。
ディエラは手を伸ばし、伏せられた顎へ指を添えた。そのまま顔を上げさせると、フィエルテの瞳がディエラを映した。
「私は、傍に居ろと命じたのよ」
静かな声が、二人の間に落ちる。
「二度言わなければ分からないなんて、貴女を買い被っていたのかしら?」
フィエルテの瞳が揺れた。
ディエラは指を離さず、その目を見据える。
過去の失態を悔やむだけなら、これまでと変わらない。命令を待ちながら罰に耐えるだけの侍女なんて、必要ない。
フィエルテは唇を引き結び、静かに息を整えた。
「早々の失態をお許しください」
今度の声に、震えは無い。瞳には光が宿り、固い決意が浮かんでいる。
「挽回の機会を賜れましたら、必ずやお嬢様のご期待を裏切らぬ働きをお約束いたします」
跪いたまま、確固たる眼差しをディエラへと向ける。
許しを請う一切の甘えた感情は拭い去っていた。
「行動で示してみなさい。まずは、支度を済ませることね」
「…っはい。お嬢様」
ディエラは指を離し、再び目を瞑った。立ち上がる衣擦れの音が、耳を掠める。
盆へ伸ばされたフィエルテの手には、もう迷いも震えもない。
ディエラは静かに瞼を開き、その様子を横目で確かめた。新しい布を手に取り、湯の温度を確かめる所作は、先程と変わらず淀みがない。
それでいいのよ。
浮足立って注意力が疎かになるような半人前は要らない。一時の感情に揺さぶられず、仕事に私情を持ち込まない人間が今の私には心地良い。
口元を薄く緩め、ディエラは目を閉じた。




