第三十七話 泡沫の亡霊
目を覚ますと、最初に見えたのは薄い天蓋だった。
見慣れた布の向こうに、白い天井が透けている。昨夜、目覚めたときと同じ寝室の景色が眼前に広がっている。
異なるのは、カーテンの隙間から差し込む明るい日差しと、扉の外を行き交う人の気配。すでに日は高く昇り、足音は複数名の人の気配を漂わせている。
何てことない、平穏な日常。
あの出来事がまるで嘘のように、屋敷内は穏やかさに包まれている。
ああ、いつものか。
ディエラは内心で呟きながら、小さく息を吐いた。
膨らんだ期待と積み重なったストレスで、ディエラの夢の大半は悪夢が占めていた。
死者の並んだ広間。フィオルナの悲鳴。お父様に向けられた笑み。そして、私を観察する金色の瞳。
今回の夢は随分と鮮明で、質の悪い悪夢だった。
炎の熱さも、身体を蝕む痛みも、最後に腕を掴まれた何かの感触も、目を閉じれば脳裏に浮かぶ。
だが、灰に帰した身体に痛みは無く、心臓も何事も無かったように脈打っている。
左腕を持ち上げると、ディエラの手首には、確かに母の形見である腕輪が括られていた。
小さな宝石が日の光を受け、淡く輝く。
確かめるように伸ばした右手に、金具の硬く冷たい感触が指先に伝わった。宝石にも傷は見当たらない。
……夢。そう、夢よ。大丈夫。私の計画に狂いはないわ。
悪夢に慣れたはずのディエラでも、これまでにはない程鮮明さを帯びた夢だった。
今夜に迫る復讐を前に、気を緩めるなと脳が警告を出したのね。
関係性の薄い影の隊長が出てきたのは、昨日彼について聞いたからかしら。
…念のため、計画に穴が無いか見直した方がよさそうね。
ディエラはゆっくりと重たい体を起こし、顔にかかった髪をかきあげようと額に手を伸ばした。
「─────おはようございます。お嬢様」
扉の傍らから聞き覚えのある冷淡な声が聞こえ、ディエラの手がピタリと止まった。
影になった場所で、一人の侍女が背筋を伸ばして立っている。ディエラが目覚めたのを確認すると、慣れた仕草で起床の挨拶を済ませた。
……なぜ、貴女が…
まるで鈍器で殴られたかのような衝撃だった。
暴君のディエラに、好き好んで侍女を申し出る者はいない。そのため、ディエラの侍女の席は長らく空席となっていた。
朝の挨拶を告げる侍女など、本邸に移ってから、新たに付いたことはない。
ただ、一人。
「………フェル?」
昔から傍にいた彼女を除いて。




