第三十六話 焼尽に浮かぶ赤眼
ディエラとレイヴンが視線を交わす傍らで、男はその景色に目を奪われていた。
膨大な魔力量を表す劫火の炎。手足のように操る洗練された魔法。尋常一様ではないその行動を涼しい顔で行う類稀なる才能。
男は、魔法に美しさを覚えたのは初めてだった。こんなにも魅了され、圧倒する魔力を扱い、その中心で佇むディエラの神々しさは、男でなくとも魅入られるだろう。
男の表情は、もはや思案する審判者ではなく、神秘を前にした狂信者のような魅了へと変貌していた。
ディエラは男の心情など知る由もない。ただ、その歪んだ笑みに、自分を含めた能力の如何を評した内容が含まれていることには気が付いた。
その様子を一瞥すると、ディエラは能力の制御を緩めた。
「私は復讐を遂げられなかった人生に、いつまでも縋りはしないわ」
ディエラは静かに言い放った。
制御を失った炎が、徐々にディエラのドレスを焦がしていく。
この男も、お父様と同列だ。
言葉や態度は異なれど、私に自分の欲望を押し付ける。
私が何を考え、どう動くのか。それを高見で見物して愉しんでいる。
「これ以上何かを言っても、貴方達の余興に一役買うだけでしょう?」
彼らを殺しても、それもまた、一種の興になり果てるだろう。
誰かの道化になるなんて、たまったものじゃない。
「…ディエラ、何をして.…..」
「生憎だけど、貴方達の為に生きてやるほどおめでたい思考は持ち合わせてないの」
統率を失って崩壊を始める魔力の変化に、男達は焦りを覚えた。
踏み出した足に、熱風が走る。
近づこうにも、炎の威力が高すぎて、立っているだけで息が焼け、その場に居ることすら身体が拒否反応を起こしている。
顔を庇う間にも炎は膨れ上がり、ディエラの姿を包み込む。
窓硝子が軋み、壁に掛けられた布が一斉に揺れた。
ディエラはゆっくりと目を瞑った。
「私は私を誰にも渡さない」
生きる意味も、復讐も、誰かに与えられる人生なんて望んでない。
復讐がなし得ないこの世で、無駄な息苦しさを抱えて生き永らえることに執着なんて無い。
ディエラの髪が、熱を孕んだ風に乗って浮いていく。
左腕で光を帯びていた小さな宝石が、熱を帯びて溶けていく。
それは、ディエラの母が贈った形見の腕輪だった。
宝石を囲んでいた金具が崩れ、炎の中へと消えていく。
ディエラは閉じていた瞳を開いた。
「貴方達の遊戯の駒にはならないわ」
その奥から現れたのは、赤く燃えるルージュの瞳だった。
レイヴンは目を見開き、娘の顔を確かめるように目を凝らした。熱に視界が揺れても、その鮮やかな色は見間違えようが無かった。
「…ディエラ」
男が名前を呼んだ。
だが、その問いかけに返事は無い。
炎の向こうで、ドレスの輪郭が崩れていく。ディエラの長い髪が揺れ、その姿が次第に白い光に紛れていく。
「っ、ディエラ!!」
男が炎の中へ腕を伸ばした。
焼けるような痛みが走ろうが、お構いなしに中心へと歩を進める。
つい先程まで、すぐ傍にいた。手を伸ばせば触れられる距離で、男を見上げていた。
だが、その手を掴もうとしたとき、彼女は自分の足で止まり、僕を拒絶した。
勝手に終わらせるなんて許さない。
男の中でディエラが、反応を楽しむ玩具ではなく、一人の人間として認識し始めていたところだった。
それを男自身も、今になってようやく気付く。
「ディエラ───!」
遠くの方で微かに声が聞こえた。
誰かが自分の名前を呼んでいる。
ディエラはもはや痛みすら感じない瞼を開け、声のする方へ目を向けた。
炎の向こうで、薄っすらと男の顔が見える。何かを言っているようだが、もう、上手く聞こえない。
男の顔は、思い通りにならないものを初めて前にし、焦りと公開、困惑が浮かんでいるようだった。
ディエラの唇が、微かに上がる。
ざまあみなさい
その言葉が声になったのかも分からない。
視界が白く霞んでいく。
最期に、もう感覚の遠のいた腕を、誰かが掴んだ気がした。
それを確かめることなく、ディエラは意識を手放した。
────────第一章 灰に帰す矜持 [完]




