第二十二話 記憶の軌跡
フィオルナは熟思していた。
懇願しかけた口が僅かに開いたまま、次の指示を呆然と待っている。
ディエラはその様子を、ただ黙って見下ろしていた。急かすこともなく、問い直すこともしない。
その沈黙の中で、フィオルナの脳裏に、忘れていた記憶が鮮明に蘇った。
あの女は、レイヴンの妻という至上の座に我が物顔で居座り、皆に祝福されながら盛大な結婚式を挙げた。
社交界の華という呼称も一時あの女のものとなった。
お飾りだと後ろ指を指されても、平気そうに澄ましたあの顔を、脳内で何度手にかけたことか。
公爵夫人という立場上、レイヴンの顔に泥を塗るような真似はできず、苦汁を舐めることしかできなかった屈辱の日々。
社交界に知れ渡る寵愛を受けている誉れも、あくまで内々に過ぎない。私的なパーティーに同席することはあっても、公の場で彼がエスコートするのはあの女だった。
やがて、第二夫人と召し上げられたが、あくまでも二番目。
離れに追いやっても、子どもたちに囲まれていても、あの人が私だけを見つめていても、不快感が拭えなかった。
だから、殺した。
礼儀の知らぬ雌犬の悲痛な叫びを聞くと心地良く感じた。
痛みに歪んだ無様な表情は極上の愉悦に満たされた。
『あの子には、手を出さないで』
歪んだ表情で何度も訴えるあの女にとって、最悪のシナリオを描く言葉が流暢に口から零れ落ちた。
その惨めな姿が酷く滑稽だった。自分の命さえ守れない女が、刃を向ける相手に、娘の命を請う。その必死さも、縋る眼差しも、ただただ愉快だった。
今、同じように子どもの安否を求めている自分の前に、かつて嘲笑った女の娘が立っている。
「…そう。交渉決裂ね」
「ま、待って!」
自分を見下ろす冷めた瞳が、見限るように私から離れた。
フィオルナは慌てて言葉を紡ぐ。同時に椅子の足が床を擦り、不協和音と化した耳障りな音を奏でた。
「違うの!話すわ!話すから…!」
ディエラが、一度逸らしかけた視線を戻す。
フィオルナの目が、忙しなく泳ぐ。
あの女の死について、どこまで知っているのか。誰から聞いたのか。なぜ今まで黙っていたのか。確かめたいことはいくつもあった。だが、どれを口にしてもディエラの瞳が嫌悪に歪むことは想像できた。
「その前に、あの子たちが無事なのか、それだけでも───」
「条件を出せる立場だと思っているの?」
フィオルナの声を遮り、静かに放たれたディエラの声は、これが最後の忠告だとでも言わんばかりの圧迫感を浴びていた。
フィオルナの唇が震える。ディエラの表情を窺うが、そこに交渉の余地は無い。
それは、かつての自分の姿と重なった。




