第二十話 変事の足音
「────これは…?」
フィオルナが顔を上げていた。
目の前のディエラを見て、傍らの男へ視線を向ける。最期にレイヴンへ視線を向けたとき、その顔には安堵が浮かんだ。
だが、レイヴンが座ったまま動かないことに気が付くと、次第に青ざめた唇が震え始める。
「どうなっているの…?ディエラ!どういうことなの!?」
甲高く忙しない声が、部屋に響く。
レイヴンは、そこで初めて隣に視線を移した。
重宝しているはずの女に視線を向けない違和感を不思議に感じていたが、どうやら今ようやくその存在を認識したらしい。
だが、その瞳はこれまでの愛おしいものを見つめる穏やかさは無く、鬱陶しさを含ませる冷たい瞳に、ディエラは眉をピクリと動かした。
フィオルナかろうじて動く指先で椅子の肘掛けを掴み、ディエラの方へ身を乗り出している。力が込められ、フィオルナが前のめりになろうとあがくたびに、椅子だけが小さく軋んでいた。
「ディエラ!答えなさい!あの子たちは!?レックスは、ロイは…エリノアはどこにいるの!?」
フィオルナの声は、自分を無視するディエラに対する怒りと子ども達への心配で段々と熱を帯びていく。
ディエラはフィオルナに視線を移した。
名前を呼ばれたからではない。ただ、フィオルナの心意気に僅かに感心を覚えたからであった。
お父様が優遇し、ヴァルディアという歪な環境に身を置きながらも、子を愛する心は抱くらしい。
だが、それだけだった。
フィオルナの声が震えようが、目に涙を浮かべようが、ディエラの中で何かが和らぐことは無い。
ただ、その姿を眺めているうちに、ディエラはある妙案が思い浮かんだ。
奪われたものが戻るわけではない。それでも、少しばかりの気晴らしにはなるかもしれない。
「良いわ。教えてあげる」
フィオルナの肩から、僅かに力が抜けたのが見えた。
話が通じる。と、そう思ったのだろう。掴んでいた肘掛けから指を緩め、縋るようにディエラを見上げている。
「ただし、条件があるわ」
安堵に緩んだその顔が、明らかに強張った。
ディエラは上下関係を思い知らせるように、ゆっくりと間を取りながら腕を組む。
フィオルナの視線が、その手と顔の間を行き来して、逸る気持ちが全面に表れる。
「い、今までのことなら、謝るわ!」
抑えきれない焦燥感に駆られ、必死に機嫌を取ろうと、フィオルナが早口でまくし立てる。
「貴方には、寂しい思いをさせたものね。ええ、そうよね、私が悪かったわ。これからは、エリノアたちと同じように…いいえ!それ以上に大切にするわ!だから…!」
懸命に思案を巡らせ、たどたどしく言葉を紡いでいく。
顔を下げ、上げ、必死な形相でディエラの反応を仰ぐも、ディエラの表情は変わらず、その口は堅く閉ざされている。
沈黙を続けるディエラの様子を、フィオルナは拒絶と受け取った。
フィオルナの脳内には焦りが募り、声がさらに上ずっていく。
「何か欲しいものがあるの?だったら、用意させるわ!希少な宝石でも、お金でも、貴方の望むものならすべて──」
「お母様の死の真相を」
フィオルナの口が、空いたまま静止した。
部屋の空気が静寂に包まれる。
ディエラは、フィオルナの顔を見つめていた。声は乱れず、問いかけた唇にも、震えは無い。
だが、組んだ腕の内側で、右手の指がきつく握りこまれていた。




