第十六話 内界の変質
「どこ行くの?出口はそっちじゃないよ」
大広間を出てしばらくしてから、男は声をかけた。
廊下には、窓から差し込む月明かりだけが落ちていた。
ディエラは玄関へ続く階段を通り過ぎ、屋敷の奥へと向かっている。
男はディエラの少し後ろを歩きながら、その足取りを眺めていた。
彼女が逃げ出すとは思っていなかった。だが、もし彼女が逃げるなら、しばらくは好きにさせてやるつもりだった。
振り返りもせず駆けだすのか。それとも、こちらに気取られないよう隙を窺うのか。
どちらにせよ、男はディエラを逃がすつもりは毛頭無かった。
だが、ディエラが選んだのは、男が案内しようとしていた道だった。
彼女の足がピタリと止まる。
「本命は、まだこの先でしょう?」
肩越しに振り返った顔には、薄い苛立ちが浮かんでいた。
「それとも、あれで終わりのつもり?」
静かな声だった。
だが、男には、答えによっては許さないと言わんばかりに、鋭く光る瞳が見えていた。
殺された三人を見ても取り乱さず、刃を突きつけられても引かなかった彼女が、今度は贈り物の続きを催促している。
男の口元に笑みが浮かぶ。
当然のように続きを促す、その不遜な顔が妙に好ましかった。
もう少し待たせれば、どんな顔をするのだろう。
そう考え、やめた。進展を先延ばしにし、退屈そうに視線を向けてきた彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
同じことを繰り返せば、今度こそ彼女は僕への興味を失くすだろう。それもまた一興だが、今は一先ず彼女の望みを叶えてやることにした。
「まさか。メインディッシュはこれからだよ」
ディエラは表情を変えずに前を向き、再び歩き出した。満足のいく答えだったのか、その瞳に秘めていた鋭さは消えていた。
男は歩幅を広げると、ディエラの隣に並んだ。
「ねえ、質問とかないの?」
大広間の出来事が幻であったかと錯覚するほど、男の声は明るく、返事を待つ目にも隠し切れない期待があった。
ディエラは前を向いたまま、歩みを止める様子も男に視線を向ける様子もない。
「何でもいいよ。今なら答えてあげる」
まるで別人のような言動を重ねる男は、ディエラの少し前を先導し、砕けた様子でディエラの顔を覗き込んだ。
その発言は機嫌を窺うためでも、褒められた行動を繰り返しているわけでもない。男はディエラが何を質問するのかを知りたかった。
知りたいのは、質問の内容だけではなかった。
彼女が何に関心を向け、何を切り捨てるのか。どう答えれば振り向き、どんな言葉なら、あの涼しい顔を動かせるのか。
男にとってこれまで退屈でしかなかった沈黙は、ディエラが見せる次の反応を待つ期待の時間へと変貌していた。




