第十四話 狩人と獲物
刃先が沈む。皮膚を裂く感触が短剣越しに男の指へと伝わっていく。
感触が男の指へ伝わるまでの間、男は身動き一つできなかった。
いつでも喉を掻き切れるように見える体勢を維持するべく、男の重心は前傾に寄っていた。それ故に、前に移動することはあれど、すぐさま後ろに引くのは容易ではなかった。
ほんの一瞬遅れて動いた男は、短剣を手放し、倒れこんでくる身体へ両手を伸ばした。
「────っは、?」
男の口から言葉にならない吐息が漏れた。
その手が触れる直前、ディエラの足が床を捉えていた。片足に移した重心を支え直し、傾いた身体にブレーキをかける。
揺れたブロンドの髪が男の手のひらを掠めたが、その指先はディエラには届かなかった。
短剣が床を打つ。
音の余韻が消えないうちに、ディエラはゆっくりと姿勢を戻した。
「……なにを、試した…?僕を?」
今度の声はかろうじて言葉の形状を成した。
だが、その言葉は脳裏に浮かんだものを口にしている様子で、意味を成さない単語の羅列だった。
考えるより先に動いた自分の身体にでも驚いているのか、脳の処理が追い付いていないのか、男は自分の言葉を確かめているように見えた。
ディエラは男を一瞥すると、ふと視界に入った男の手に視線を合わせた。
背と腰を受け止めようとした形のまま、宙に浮いている。身体との間には、指が数本入る程度の隙間しかなかった。
見せかけではなく、男は本当に受け止めようとしていた。
ディエラの男への想像に誤差が混じる。
刃を引くとは思っていた。だが、捨てた上で私を抱えようとまでするとは。
最も、ディエラにその手を借りるなどの選択肢は無かった。
ディエラは顔にかかった髪を払い、首筋へ指を添えた。指先についた血は、ディエラの瞳に重なった。
*
一方で、男は自分の両手を見下ろしていた。
女が倒れこんだ瞬間、刃を捨てた。考えるより先に、身体を支えようと手を伸ばしていた。
だが、その手に重みを感じることは無く、さらりとした髪が一束落ちただけ。
軸を外し、こちらがどう動くかを確かめておいて、その手を借りることは視野に含まない。手を伸ばした自分だけが、触れることさえ許されず滑稽に残っている。
いつ、そこまで決めたのか。
刃を捨てなかったら、どうするつもりだったのか。
問いが浮かぶたびに、先程の短い動きが違う意味を成し、それが新たな問いを生み出す。
男は顔を上げ、口を開きかけた。
ディエラと視線がぶつかった。
彼女は軽く顎を上げた。質問は許さないと静かな圧を滲ませる。
髪を整え終えた指を下ろし、まだそこに立ち尽くす僕を退屈そうに眺めている。
男は言葉を呑み込んだ。
自分の反応を視られていた。
試したのはこちらのはずだったのに、いつから逆転していたのか。
背筋にぞくりとしたものが走る。
口元が緩み、問い詰めるはずの息が無意識に口角を上げていた。




