第十一話 思考する獣
「まさか」
ディエラは淡々と答え、エリノアへ視線を移す。
せめて顔だけは傷つけさせないというこの女なりの矜持だろうか。それとも、一思いに殺してほしいという無言の降伏なのだろうか。意地を張っているのなら、いつまで続けられるのか。
男は次の一歩を踏み出しながら、ディエラの睫毛に視線を向けた。
ゆっくりと瞼が下りる。
その瞬間、男の足が床を蹴った。
衣擦れの音が、遅れて響く。
ディエラが瞼を開けた時には、男はもう眼前に迫っていた。
黒い髪が視界を横切り、金の瞳が間近に迫る。
握られた短剣が、月明かりの中に鋭い弧を描いた。
刃は迷うことなく、ディエラの喉元へ振り抜かれた。
「君、死にたいの?」
男の手が、ピタリと止まった。
刃先が喉元に浅く食い込み、裂けた肌から血が滲む。赤い筋が首を伝っても、ディエラは身じろぎ一つしなかった。
「なんで避けなかったの?」
あと少し腕を振り切れば、殺せる。
この女がこちらへ少し体重を預けるだけでも、刃はさらに深く沈むだろう。
今、この女の命運を握っているのは僕だ。どんなに現実逃避しようが変わることのない事実と、実際に向けられた刃先。
それなのに、目の前の女は不気味なほどに表情が変わらない。肩が強張ることも、呼吸が乱れることも無い。刃のすぐ傍で、リスクも顧みず喉を静かに上下させている。
「”なんで””どうして”って、貴方さっきからそればっかりね」
ディエラの口から発せられた言葉は、男の望む回答ではなかった。
呆れたように紡がれる言葉に、男は耳を傾ける。
「ようやく続きを見せる気になったのかと思ったのに。拍子抜けだわ」
この女は何を言っている?
何を言いたいのか、そう問いかけて男は口を噤んだ。
男が口を開きかけた途端、ディエラの眉が僅かながらに心情を滲ませた。
鬱陶しそうに機嫌を損ねる仕草であるそれは、質問ばかりしてないで少しは自分の頭で考えなさい、というディエラの心情の表れだった。
男はディエラの言動を思い返した。
表情を完全に取り繕っている女だと思っていたが、意外にもその節々に感情を見せている。こうして近くでよく見てみると、それはよりあからさまに感じた。
ふと、男の中である言葉が引っ掛かった。
「……わざと?」
その問いかけとも独り言とも取れる言葉に、ディエラが口を出す様子は無い。




