第十話 獲物と狩人
月明りを受けたローズピンクの瞳が、真っ直ぐに男を捉える。
それまで受け流していた視線を、今度はディエラの方から刺し返す。
男の笑みが止まった。
息を吸いかけた胸が、一瞬、空気を含んだ状態で停止した。
声を荒げたわけでも、武器を向けられたわけでもない。
ただ、目の前の女に見つめられている。
文字に起こすとたったそれだけの事象が、男の喉の奥を僅かに詰まらせる。
不興を隠そうともしない眼差し。相手の機嫌や力を窺うことなく、返答を待つ静けさ。
その目に、自分を殺せる男が立っているという躊躇や怯えは無い。息を吸うことすらディエラの許可を得なければならないのではないかという妄信に囚われそうになる。
男はこれまで多くの人間を見て、知っていた。
身分を盾に怒鳴る貴族も、守られることに慣れ、自分まで強くなったつもりでいる者も。
だが、目の前の女は、そのどちらとも違う。
背後には誰もおらず、呼べる護衛も、庇ってくれる家族もいない。その家族を殺した者を前に、それでも尚、こちらが態度を改めるのを待っている。
「……はは、」
小さな笑いが零れた。
背筋が、ぞくりと波を打つ。
男の表情に恐怖の色は窺えない。息を詰めたことさえ愉快だったのか、男の口元には笑みが戻り始めている。
殺されるかもしれない状況を、あの女が理解していないはずが無い。これだけのことを見抜く女が、そんな単純な事実を見落とすわけがない。
ならば、理解した上で、引く気が無いというのか。
男は組んでいた腕の中で、ゆっくりと慣らすように指を動かす。
この目が変わるところを、見てみたかった。
言葉で煽っても、死者を見せても、あの女は怯えなかった。むしろ、臆さず不快を叩きつけてくる始末。
その余裕が、喉元へ刃が添えられても続くのか。
男の金の瞳が、月明りに照らされて青白く光るディエラの細い首筋を辿り、ゆっくりと顔へと戻る。
「それが君の答えか」
弾んでいた声が、静かに落ちる。
「残念だよ。君はもう少し利口な人間だと思ってたんだけど」
男の口元から笑みが消えた。壁に預けていた背を離し、段々とディエラの方に歩を進める。
靴底が床を打つ音が響く。
「この状況下において、狩る側は”僕”で狩られるのは”君”だ」
先程まで軽口を叩いていた男が、一歩、また一歩と距離を詰める。肩の力は抜け、足取りに急ぐ様子は無い。
それでも、確実に広間の空気は変わっていた。
「君の反応によっては生かしておく手もあったけど、主人に嚙み付くような犬なら要らないや」
ディエラへ向けられた金の瞳から、戯れの色が失せている。
男の腕が僅かに動いた。
裾口から滑り出た短剣が、男の手に収まる。薄い刃が月明かりを拾い、白く光りを帯びる。
ディエラは顔を動かさず、視線だけを落とした。
「何?今更怖くなったの?」
まるで諭すような口調だが、その声に温かさは無い。
ディエラは刃先から柄へ目を滑らせ、それから男の顔へと戻す。
男は、その小さな動きも見落とすまいとするように、ディエラを見据えている。
「それとも、自分は殺されないとでも思ってた?」
もう一歩近づく。男は月明かりの下に姿を現した。
男の短剣を持つ指が柄を握り直す。
ディエラは目を伏せた。




