決着
イライザのハイキックは、ケインの頭部を打ち抜いた。
一瞬遅れて、バタリと倒れる。
「や、やりましたわ。あの最強の男に、わたくしは勝ちました……」
イライザの口から飛び出したのは、震える声であった。
これまで、ケインの強さを間近で見てきた。まともに闘えば、百回闘って百回負けるであろう実力差……しかし今、その男を倒してしまったのだ。
だが、そこでイライザはハッとなった。ケインは、倒れたきり動かないのだ。
ひょっとしたら、脳にダメージを負ってしまったのだろうか。
「ケ、ケインさん! わたくしは勝ちましてよ! お認めになるわよね!」
口ではそんなセリフを吐きながらも、顔は青くなっていた。慌ててしゃがみこむと、ケインの胸に手を触れる。鼓動を確かめようとしたのだ。
だが、そこでケインの目が開かれる──
「引っかかりましたね」
彼の口から、そんな言葉が聞こえた。直後、横から何かが飛んでくる。
それがケインの手だ、と気づいた時には遅かった。完全に不意を突かれ、横殴りの掌底打ちをまともに顎に受ける。
イライザの意識は闇に沈んだ。
イライザは目を開けた。
まず視界に入ってきたのは、心配そうなケインと、呆れた猫耳小僧の顔だ。
「わたくし、負けたのですね」
言いながら、イライザは上体を起こした。途端に、ケインが頭を下げる。
「すみません。やられたふりをして、あなたの油断を誘いました……卑怯なやり方でしたね」
「何を言っているの。ボロボロの体調のあなたに、無理やり決闘を仕掛けたわたくしの方が、よっぽど卑怯ですわ」
そこで、イライザは自嘲の笑みを浮かべる。
「そんな真似をしておきながら、わたくしは勝てなかった。もはや、情けなくて涙も出ませんわ」
「何を言ってるニャ。本当は嬉しいんだニャ」
横から口を挟んだ猫耳小僧を、イライザは睨みつける。
「はあ? 何を言っているのかしら? わたくし、こんな情けない気分は初めてよ」
「その割には、妙にスッキリした顔してるニャ」
実のところ、猫耳小僧の言ったことは当たっていた。
今日は、勝つために全力を投入した。自分よりも遥かに上の闘士に立ち向かい、ダウンまで追い込めたのだ。
久しぶりに、全力を出し切った……それでも、負けは負けだ。
「ケインさん、わたくしは負けました。さあ、何なりと申しつけください。できることなら、なんでもします」
「だから、それはいいです。僕も卑怯な手を使いましたし、これで痛み分けということで……」
言った途端、イライザの目が吊り上がる。
「どういうことですの!? わたくしを子供扱いする気ですか!?」
「いや、そういうわけでは……」
「わたくしは、今の勝負に全てを懸けていました! そして敗れたのです! 勝者は全てを肯定され、敗者は全てを否定される! これが勝負なのです! さあケイン、わたくしに何なりと命令しなさい!」
敗者と言っている割には、やけに偉そうである。さすがのケインも、どうしたものか悩んだ。今になって気づいたが、イライザは思考がセバスチャンに似ているのだ。
その時、ある考えが浮かんだ。
「わかりました。では、今からあなたに命令します。どんなに苦しくても、つらくても、僕の言う通りにするのですよ。いいですね? あ、でも嫌だと言うなら──」
「グレイス家の女に、二言はありません! さあ、早くしなさい!」
ケインの言葉を遮り、ピシャリと言ってのけるイライザ。
「わかりました。では……」
そこで、ケインは顔を近づけていく。イライザは、頬を赤くして顔をそむけた。
「な、何をするのです?」
「黙って言うことを聞いてください」
そこで、ケインは言葉を止めた。もったいぶるかのような間を置き、そっと囁く。
「これからも、兄とシーラさんの良き友でいてあげてください」
すると、イライザはじろりと彼を睨む。
「なんですって!? それがあなたの願いなの!?」
「そうです。兄もシーラさんも、あなたのことが好き……あ、好きと言っても、友だちとして好きという意味ですよ。とにかく、あなたには兄やシーラさんの友だちでいてほしいのです。いいですね?」
「わかりましたよ!」
不機嫌そうな表情で答え、イライザは立ち上がる。プンプン! という擬音が聞こえてきそうな態度だ。
直後、ケインに背を向けてズカズカ歩いていく。ケインは、慌てて後を追った。
「ちょっと待ってください。なんか怒らせてしまいましたか?」
「怒ってませんわ」
「いや、その顔は怒ってますよね?」
「怒っていません」
「その顔は完全に怒ってるニャ」
横から、猫耳小僧が口を挟んだ。すると、イライザが凄まじい形相で睨みつける。
「いい加減にしなさい! わたくしは、ぜーんぜん怒っていません! 明鏡止水のごとき静かな心持ちですわ!」
怒鳴ると、イライザは大股で去っていこうとした。しかし、ケインがその行く手を塞ぐ。
直後、予想もしていなかった言葉が飛び出した。
「すみません。あの、来週ウチでパーティーがあるのですよ。そちらに、できれば出席していただきたいなあ、なんて……」
「はい?」
怪訝そうな顔で聞き返したイライザに向かい、ケインは若干恥ずかしそうな様子で繰り返す。
「ええと、ですから、来週はアリティー家でパーティーが開催されるのですよ。兄は、このパーティーにシーラさんを呼ぶつもりです。できれば、そこにイライザさんも来ていただけるとありがたいな、なんて……」
「それも命令ですか?」
そんなことを聞いてきたイライザに、ケインは慌てて首を横に振った。
「いえ! それとこれとは別です! 嫌だったり、予定が入っている場合はですね──」
「誰が行かないと言いました? もちろん行きますよ」
◆◆◆
そして、パーティーの当日。
庭にテーブルが並べられ、料理や高級な酒が並べられている。地方の名士や貴族たちが大勢呼ばれており、笑顔で挨拶を交わしていた。
その中に、イライザも入っていた。
「あ、あなたがイライザさまですか!? 私がケイン坊っちゃまの教育係を務めておりますセバスチャン・タキザワです!」
イライザはパーティーに来た途端、いきなり正装したセバスチャンに捕まってしまったのだ。
さすがのイライザも、こんな事態は予測していなかった。顔を引きつらせ、傍らにいるケインにそっと尋ねる。
「な、なんですの? この暑苦しい怪人は?」
「すみません。悪い人間ではないのですが、ちょっと一般人とはズレておりまして……」
恐縮しつつ答えたケインだったが、セバスチャンの勢いは止まらない。イライザを、頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと見つめる。
そして、感心したように首をブルブルと振った。
「いやあ、素晴らしい! 実に素晴らしい! イライザさま、あなたは私の理論が正しかったことを証明してくれました!」
「理論? なんですかそれは?」
困惑しつつ尋ねたイライザ。ケインは、こいつに話を振ると面倒なことになるよ……としきりに顔で合図していたのだが、イライザは気づかなかったらしい。
「聞きたいですか? いいでしょう、教えてさしあげます……それはズバリ、筋肉は世界を救う!」
言いながら、セバスチャンは両腕の筋肉を盛り上げる。上腕二頭筋を誇示するポーズだ。
「は、はあ!?」
呆れた顔のイライザに、セバスチャンはなおも語り続ける。
「私はですね、坊っちゃんにもっともっと強く逞しくなってほしいのですよ! そのためにはですね──」
「ちょっとお待ちなさい」
言いながら、イライザは右手を前に突き出した。静かに、というジェスチャーのようだ。
なぜか、その顔には鋭い表情が浮かんでいる。尋常でない何かを感じ取ったのか、セバスチャンも黙ってしまった。
「あなた、今ケインにもっと強く逞しくなってほしい、と言いましたね? あなた、今のケインがどれくらい強いかわかって言ってるの?」
「は、はひ?」
詰め寄るイライザに、さすがのセバスチャンもたじたじだ。
マズいと思ったケインは、すぐさま彼女の手を握りその場から離れる。あのままでは、ケインの秘密をバラしかねない。
だが、そこでふたりの前に現れたのはエマだ。恭しい態度で、イライザに挨拶する。
「はじめまして、私はエマと申します。こちらのお屋敷にお仕えしておりますわ」
「え、エマさん、いったい何の用です?」
今度は、ケインが顔を引きつらせる番だった。しかし、エマは構わずイライザの手を取る。
「イライザさま、是非ともふたりきりでお話ししたいことがあります。来ていただけますか?」




