イライザの誓い
「えっ、ちょっと待ってくださいよ。僕は、その会話に加われないのですか?」
尋ねたのはケインだ。気分を害したような態度ではないが、かといって納得もしづらいものがあるらしい。
エマの方は、冷静に答える。
「そうです。私とイライザさまは、これから淑女の語らいをします。男性の耳には入れたくない話題もあります。そこにケインさまが入るのは、野暮というものではないですか?」
この返しには、さすがのケインも脱帽だった。苦笑しつつ、イライザに頭を下げる。
「もう、これなんですよ。エマさんは無敵です。まあ、そういうことなら仕方ないですね。ただ、僕の悪口は控えめにお願いします」
エマは、人気のない場所で立ち止まった。イライザも、歩みを止める。
少しの間を置き、エマが悲しげな表情で口を開く。
「確認ですが、ケインさまの過去の話は、既に聞かれたのですね?」
「はい、聞きました。そのようなことが起きることに驚きました。わたくしは、美学のない悪人が何より嫌いなのですよ。もし、グレイス家の屋敷でそのようなことがあれば、わたくしはケインと同じことをしたでしょうね」
イライザの言葉には、怒気が含まれていた。それを感じ取ったエマは、クスリと笑う。
「あなたは、本当に真っ直ぐな性格なのですね。ケインさまが心を開かれたのも、わかる気がします。ケインさまにとって、あなたは特別な存在なのですね」
「えっ? いや、それは……」
途端に狼狽えるイライザ。エマは口元に笑みを浮かべたが、すぐに表情は変わった。
「当時、私はケインさまに嫌がらせをしなかった唯一の使用人……と思われているようです。しかし、それは違うのですよ。私は、確かに嫌がらせやイジメには加わっていませんし、手も下していません。ただ、見て見ぬふりをしました。あの方が苦しんでいることを知りながら、何もしなかった……これは、同罪ではないでしょうか?」
エマの口調は静かだったが、言葉の奥に悲しみと怒りが感じられる。ケインを助けられなかった悲しみと、見て見ぬふりをした自分に対する怒り。さすがのイライザも、何も言えずエマの次の言葉を待った。
「ところが、ある日を境に状況は一変しました。ケインさまに嫌がらせをしていた者たちは、次々に辞めていったのです。その理由は、既におわかりですね」
「はい、彼から聞きました」
イライザはそう答えるが、話はまだこれからだった。
「ある日、屋根の修繕のため、ハシゴの上で作業をしていた使用人がいました。ケインさまはそこを通りかかった時、ハシゴを蹴飛ばしたのです。ハシゴは倒れ、使用人は落下しましたが、目撃したのは私ひとりのようでした。運良く軽いケガですみましたが、死んでいてもおかしくはなかったでしょうね」
「なるほど。しかし、今のケインは違いますよ。トラブルは基本的に避けるし、世間の噂などは完全に無視しているように見えます。心配する必要があるのですか?」
「ええ。ケインさまは、時おり不思議な表情をなさるのです。嬉しくて楽しくてたまらない、とでも言いたげな様子で帰ってくることがあるのです。最初、学園で何かいいことがあったのだろう、くらいに思っていました。ところが、その翌日には必ず掠り傷を負ったり、夜中に出入りしている音が聞こえるのです。 そう、ケインさまは闘いそのものに喜びを見出す方だったのです。勝ち負けは関係ない。闘うことが、ケインさまの内なる感情を呼び覚ますのですよ」
「わかりますわ。学園でのケインは、何も考えていない木偶の坊のようです。ところが、闘技場で見た彼は全くの別人に見えました」
「そうなのです。屋敷にいる時も、ケインさまは何事にもやる気を見せません。しかし、ひとたび闘いとなれば、ケインさまは己の持てる全てを発揮できます。私は、危ういものを感じるのですよ」
その時、イライザは不思議そうに首を傾げた。
「それの何がいけないのですか? ケインの能力は超人的ですよ。アベルさんとシーラさんは、ケインさんに救われています。ケインさんの強さがあれば、大勢の人を救えるかもしれません」
「はい、その通りです。しかし、今のケインさまには、自身の力を向けるべきほどの相手がいません。私の気のせいかもしれませんが、時おり祭りの後の寂しさ……そんな表情が浮かぶことがあるのですよ。確かに、今もアベルさまを守るという使命はあります。さらに、以前には闇の生徒会という確固たる敵がいました。しかし、闇の生徒会は闘いを降りてしまいました」
語っていくエマの分析と情報収集力に、イライザは圧倒されるばかりだった。
貴族の使用人と一口に言っても、セバスチャンのような男がいるかと思うと、エマのように淡々とした態度で、スパイ顔負けの仕事をこなす女もいる。
「こうなると、ケインさまが再び闘志を蘇らせるような敵が、この先に現れてくれるか? となりますが……今のところ、その気配はなさそうです」
「そうですね」
相槌を打ったイライザに、エマは真剣な眼差しを向けた。
「あなたにお願いがあります。今後とも、ケインさまのお側にいてあげてください」
「は、はい?」
思わず頬を赤らめるイライザに向かい、エマは深々と頭を下げる。
「あの方に、闘うこと以外の喜びを教えてあげてください。今、それができるのはあなただけです。これからも、よろしくお願いします」
イライザが会場に戻ると、ケインはなぜかセバスチャンの横にいた。
何をしているのかと思い観察していると、セバスチャンは他の客に大袈裟な身振り手振りで話しかけていく。だが、ふたりの間にケインが割って入り、なんとか引き離していった。あの暴走教育係を止めるため、横に付いているのだ。
その時、足元から声が聞こえてきた。
「まったく、あいつは本当にお人好しだニャ」
猫耳小僧である。彼は猫の姿で、パーティーに参加(?)していたのだ。
「そうね。人の心配ばかりして、困ったものだわ」
そんなことを言いつつ、イライザはアベルとシーラに視線を移す。
ふたりは、とても楽しそうだ。仲良く語り合い、時にはじゃれ合うような動きもしている。あのバカップルが今も平和でいられるのは、ケインが人知れず陰から守っていたからなのだ。
にもかかわらず、誰もケインの闘いを知らない。誰も、ケインの成したことを評価しない。
なぜか、イライザの目からひとすじの涙が流れた。彼女は、さっと涙を拭う。
だが、そこに現れたのはケインだ。彼は、真剣な面持ちでイライザの前に立った。
◆◆◆
ケインは見逃していなかった。
イライザが、イチャついているアベルとシーラの様子を見ながら、ひとすじの涙を流していたことを……。
ここは、自分が行くしかない。ケインは音もなく近づき、イライザの前に立った。
そして、とんでもないセリフを吐く──
「イライザさん、そう気を落とさないでください。あなたみたいな強い女性が好きという男性は、世の中にごまんといます」
「はい? 何を言っているの?」
困惑するイライザに向かい、ケインはさらにとんでもないことを言う。
「アベル兄さんのことなど、早く忘れましょう。それよりも、このパーティーであなたに相応しい男性が来ているかもしれません。一緒に探しましょう」
そこで、ようやくイライザも彼の思考を理解した。苦笑し、すっと立ち上がる。
「結構です。それに、勘違いなされているようなので言っておきます。わたくし、アベルさんのことはとうに諦めておりますから」
「えっ? ああ、そうでしたか」
キョトンとしているケインだったが、イライザは足元の猫耳小僧に視線を移す。
「さあ猫耳小僧、帰るわよ! これから、屋敷で新しい作戦を考えるのです!」
「えっ? 何の作戦だニャ?」
「彼に新しい喜びを見つけさせる、そのための作戦です! さあ、ついてらっしゃい!」
そう言うと、イライザは唖然としているケインを尻目に、大股で屋敷を出ていく。猫耳小僧は、慌てて後を追って行った。




