平和
「坊っちゃん! 私は、坊っちゃんを信じています! ですから、坊っちゃんも自分を信じてください!」
今日もまた、セバスチャンは元気であった。朝からそんなことを言われ、ケインはあやふやな態度で微笑み返す。
「はい、わかりました。自分を信じます」
話を合わせるため、そう答えた。だが、その態度はセバスチャンのお気に召さなかったらしい。
「坊っちゃん……今のあなたは、自分を信じられますか?」
いや、お前が自分を信じろって言ったんじゃないかよ? などと思いつつも、ケインは仕方なく首を傾げる。
「いや、どうでしょうね?」
「でしょう! あなたは自分を信じられない! しかしね、それは当然なんですよ! なぜかわかりますか?」
「いえ、わかりません」
「知りたいですか!?」
んなもん知りたくねえよ、との言葉が出かかった。が、それを言うとセバスチャンがいじけることになる。この巨体でいじけられると厄介だ。
なので、目を輝かせ首を縦に振る。
「はい、知りたいです」
「ほう、知りたいですか。では仕方ない、教えてあげましょう。ズバリ、筋トレです!」
いつもと同じじゃねえか! とツッコミたい気持ちを堪え、ケインはもっともらしい顔で頷いた。
「はあ、なるほど。筋トレですか」
「そうです。自分を信じるには、その根拠が必要です。筋トレをすればキツい。しかし、そのキツさに耐えて続けていく。そうすれば、体は変わる。自分も変わる。その時、あなたは大いなる自信を手に入れられるのです! キツさに耐えた経験こそ、本物の自信になるのです! わかりましたか!?」
「はい、わかったであります」
答えた時、エマがようやく入ってきてくれた。
「はい、筋トレするにも、まずは食べなくてはなりませんね。朝食にしましょう」
「ハッハッハ、今日もセバスチャンは元気だったな」
登校中の道で笑いながら話しかけてきたアベルに対し、ケインは不満そうな表情で返していく。
「笑い事じゃないよ。あの人、なんで朝からあんなに元気なのかなあ」
ぼやいた時、聞き覚えのある声が響き渡る。
「アベルさまー!」
叫びながら、駆け寄ってきたのはシーラである。アベルもまた、笑顔で迎えた。
「おや、誰かと思えばシーラさんか。私はまた、女神ヴィーナスが地上に降り立ったのかと思ったよ」
「もう、またからかって!」
「いやいや、からかってはいない。私は真面目に言っている」
さっそく始まったバカップルの会話を、ケインは顔を引きつらせつつも聞いていた。だが、そこに嵐を呼ぶ女が現れる──
「あーら、ケインさん。昨日は、ずいぶんと激しかったわねえ」
このセリフの主は、言うまでもなくイライザだ。何やら勝ち誇ったような表情で、こちらに歩いてくる。昨日の地下闘技場での闘いぶりを見たせいか、彼女のケインを見る目には、それまでとは違う何かが感じられる。
そんなイライザを見て、誤解してしまうのがシーラだ。
「き、昨日は激しかった!? お、おふたりは、ついにそこまで!?」
とんでもないことを連想し、びっくり仰天している。アベルもまた、驚愕の表情を浮かべていた。
アチャーという顔つきのケインだが、イライザはまったく気づいていない。ケインに近づき、耳元で囁く。
「土曜日のお約束、忘れていないですよね?」
「は、はい、もちろんです」
ケインが即答すると、イライザは満足げな表情でその場を離れていく。と、そこに食いついていったのはシーラだ。
「イライザさん! 昨日は、そんなに激しい夜を!?」
「ええ、激しかったですわ。あ、でも彼に口止めされていますので、これ以上のことは言えません。でも、本当に凄かった。わたくし、昇天するかと思ったくらい……」
そこで、イライザはうっとりした表情を浮かべる。もちろん、彼女が思い浮かべているのはケイン対スラムコングの対決だ。脳筋格闘少女であるイライザであっても、あれほど見事な闘いは見たことがない。
ところが、シーラはまったく違うものを想像していた。
「しょ、昇天!? まあ、なんて凄いことを!?」
「ええ。あれほど凄いものを見たのは、生まれて初めてですわ。思い出すたび、あまりの見事さに溜息すら出ますわ」
「す、凄いモノ!? イライザさん! 是非とも詳しく教えてください!?」
「それは駄目です。わたくし、彼から口止めされています。詳しく語ることはできませんの」
「そんなこと言わずに……」
そんなことを言いながら、イライザとシーラはあっという間に遠ざかっていく。
一方、アベルはそんなふたりをじっと見ていたが、少しの間を置きケインの方を向いた。
「ケイン、ついに、そこまでやったのか。あのイライザさんに、あそこまで言わせるとは……いやあ、私はお前を尊敬する。お前を師匠と呼びたい気分だ」
「だから、それは誤解だってーの! 僕とあの人との間には、なーんにもないから!」
必死で誤解を解こうとするケインだったが、アベルも基本はアホである。それも、思い込みの激しいアホである。
「そうか。まあ、今のお前の立場では、そう言うしかないよな」
ウンウンと訳知り顔で頷いたアベル。こうなると何を言っても無駄なので、ケインは仕方なく歩きだした。
だが、そこでようやく異変に気づく。掲示板の前に、人だかりができているのだ。
ケインは何食わぬ顔で通りすぎていったが、横目でしっかりとチェックしていた。掲示板には、こう書かれていた。
(アベルとシーラ、両名のレッドカードは取り下げる。闇の生徒会)
ケインは、ようやく安堵した。これで、ふたりにも平和な日々が訪れるのだ。一時は、どうなることかと思っていた。
もっとも、当のアベルは掲示板など見もせずに通りすぎていく。本当に気楽な男だ……などと思っていたが、そこで自分を見ている者の存在に気づく。
それはイライザだった。ケインに、複雑な思いを込めた視線を送っている。
何だろうと思ったが、イライザはそのまま教室に入っていった。ケインもまた、アベルの後ろから教室へと入っていく。
昼休みになり、ケインは校舎裏へ行った。と、そこにはイライザが立っている。待ちぶせしていたのか。
「さあケイン、わたくしを屋根の上まで運びなさい」
どうやら、彼女も屋根の上でのランチが気に入ってしまったらしい。ケインは苦笑しつつ頷いた。
「お嬢、また来たのかニャ」
屋根の上に着くと、猫耳小僧が呆れた様子で声をかけてきた。すると、イライザはフンと鼻を鳴らす。
「何を言ってるのですか。あなたは、わたくしの使い魔ですよ。なのに、わたくしよりケインと仲良くなるなど……不愉快ですわ」
「何わけのわからんことを言ってるニャ」
そんなことを言いつつ、猫耳小僧はアンチョビサンドを口に運んでいく。
ケインもまた、いつものように黒パンをちぎり食べ始めた。だが、そこでイライザが顔をしかめる。
「前から思ってたのだけど、あなたのその食事は何なの? 仮にも貴族の子息ならば、もう少しマシなものを食べなさい」
「えっ、いや、僕は召使いたちからも嫌われていますから……」
「はあ? なぜですか? なぜ嫌われるのです?」
「それはですね、僕が奇行種の出がらしだからです」
「何を言っているの! あなたは、奇行種でも出がらしでもないわ! だいたい、あのレッドカードを取り下げさせたのだって、あなたの働きでしょう! なのに、アベルさんもシーラさんもそのことを知らないで普通に暮らしているのですよ! あなたは悔しくないのですか!?」
その時、ケインはクスッと笑った。
「似たようなこと、セバスチャンにも言われましたよ」
「はあ!? なんですかそれは!? ふざけているの!?」
「ごめんなさい。ふざけてなどいません。とにかく、僕は兄が幸せなら、それでいいんです」




