地下闘技場
ヨンフランシス国の地下闘技場で行われる闘いは、一般人では見ることはできない。そもそも、国民の大半はその存在すら知らないのだ。
今夜イライザは、その地下闘技場に初めて足を踏み入れることとなった。目当てはもちろん、マスクド・スーパー・ソロの試合である。
アスラン・ザラダンバーに案内され、イライザは夜の街を歩いていく。傍らには、猫耳小僧も付いてきていた。どちらも、黒いマントを羽織りフードをすっぽりと被っている。そのため、道行く人から顔は見えていない。
「それにしても、あなたが彼の正体に気づいていたとは驚きでした。ウルテミス学園は俗人の集まりかと思っていましたが、どうやら違っていたようですね」
不意に話しかけてきたアスランに向かい、イライザは得意気に胸を張った。
「フッ、当然ですわ。わたくしを、あんな凡人共と一緒にされては困ります。わたくし、あのケインが真の実力を隠していることなど、入学の時から既に見抜いていましたわ」
「何を言ってるニャ。ついこの前まで、あいつは奇行種だの出がらしだの言ってたニャ」
猫耳小僧が小声でツッコんだが、イライザには聞こえていなかった。彼女は、なぜか勝ち誇った顔つきで歩いていく。
だが、次の瞬間に表情が一変した。
「ところで、おふたりはどのような関係なのですか?」
アスランから放たれた思わぬ質問に、イライザは焦りながらも答える。
「は、はい!? 関係!? 何をおっしゃるのかしら!? わたくし、ケインとは何の関係もありませんわ!」
「ほう、そうでしたか。昨日ケインは私の前に現れ、申し訳ないがイライザさんをエスコートしてくれ……と頼んできたのですよ。ケインにとって、あなたは本当に特別な存在なのだと思っておりました」
「と、特別な存在!?」
「はい。わざわざ地下まで降りてきて、私に頼みにくる……これは、彼にとってよほどの事態だということでしょう。ケインは、あなたに特別な感情を抱いていると思っていました。しかし、あなたにその気はないようですな。実に残念です」
そんなことを言って、大袈裟に頭を振るアスラン。イライザは、頬を真っ赤にしながら目を逸らす。
「か、彼はあくまで友だちですわ! それ以上でも、それ以下でもありません!」
地下闘技場は、イライザの想像を遥かに超える場所だった。
まず、アスランが古びた倉庫のような建物の前で立ち止まった。その扉を開け、中に入っていく。
内部には何もなく、ガランとしている。奥にはもうひとつ扉があるが、そこにはいかつい風貌の大男がふたり立っていた。
アスランは大男に近づき、何事か囁いた。大男は頷き、扉を開ける。
中には、地下へと続く階段があった。降りていくと、現れたのは円形の金網に覆われた闘技場だ。天井には、強い光を放つ石が埋め込まれている。一瞬、その眩しさゆえに目をつぶってしまったほどだ。
客席には、人相の悪い男たちが座っていた。だが、どこかのパーティーで会ったような顔もちらほら見かけるのだ。となると、貴族だろうか。
あちこちを見回すイライザに、アスランはそっと説明を始める。
「ここはね、上の世界のお偉いさんもお忍びで観にくるような場所なんですよ。中には、あっと驚くような人に会えたりもします。この地下闘技場に入れること自体が、ひとつのステータスなんですよ」
「そのようですね。では、わたくしもそのステータスを得たと思っていいのでしょうか?」
「もちろんですよ。あなたは、もはや顔パスで入ることができるはずです」
「ところで……今宵のケインの対戦相手は、何者なのでしょうか?」
不安そうな顔で尋ねたイライザに向かい、アスランは笑みを浮かべ答えた。
「その名前は、あまり大きな声で言わない方がいいですよ。ここでは、彼はマスクド・スーパー・ソロです」
「そ、そうですね。すみません」
「今夜の対戦相手ですが、名はスラムコング。地下闘技場の中でも、グッと上り調子の闘士です。今回、マスクド・スーパー・ソロに勝てば、チャンピオンと対戦できるとのことです」
「強いのですか?」
「もちろん強いですよ。正直、ソロとて危ういかもしれません」
「そんな……」
「ただ、だからといって我々にできることは何もありません。ここで見守るだけです。ソロの力を信じましょう」
アスランが言った時、猫耳小僧がそっとイライザの手を握った。
「大丈夫だニャ。あいつはアホだけど、闘いとなればベラボーに強いニャ。心配ないニャよ」
途端に、イライザの表情が一変する。
「はい!? 心配ですって!? わたくしは心配などしておりません! ただ、皆の前でケインが敗北し、無様な姿を晒したら……と思ったら、哀れになっただけよ!」
「だからお嬢、その名前は言っちゃいけないニャよ……」
困り顔で猫耳小僧がツッコんだ時、闘技場の中に現れた者がいる。道化師のような格好をした男だ。
彼は中央まで行くと、立ち止まり周囲をぐるっと見回した。
何をするのかと思いきや、いきなり叫び出す。
「では皆さん! 本日は特別な試合が開催されます! まずは、巷で噂の暴発野郎! 闘技場のトリックスター! マスクド・スーパー・ソロの入場だ!」
さほど声を張り上げているようにも見えないのに、道化師の叫びは場内の隅々まで届いていた。魔法により、声が増幅しているらしい。
直後、片方の扉が開く。入ってきたのは、マスクド・スーパー・ソロことケインだ。黒いバンダナに黒いアイマスクはいつもの通りである。ニコニコしながら、客席に手を振ったりしているのだ。これから恐ろしい闘いが待っているというのに、まったく緊張していない。それどころか、嬉しくて楽しくて仕方ないという様子である。
さらには、闘技場内で不思議な踊りを始めたのだ。ピョンピョン飛び跳ねながら、腕をぐるぐる回して体をくねらせている。
観客席からは、笑い声が漏れた。
「な、なんですの、あの態度は……やっぱり、あの男は奇行種ですわ」
思わず呟いたイライザに、猫耳小僧もウンウン頷く。
「あいつは、いっつもああだニャ。闘うとなったら、ワクワクが止まらないんだニャ。本当にバトルジャンキーなのニャ」
本人は何気ない一言のつもりだったのだろうが、聞いたイライザの目つきが変わる。
「ちょっと待ちなさい。あなたは、彼の闘いを毎回見ていたというのですか?」
「そうだニャ」
「なぜです? なぜ、わたくしに教えてくれなかったのです?」
「えっ? それは、その……聞かれなかったからだニャ」
何とか誤魔化そうとする猫耳小僧だったが、イライザには通じなかった。
「はあ!? 何を言ってますの!? あなたは、自分だけこんな楽しそうなものを間近で見ていたのですか!?」
「ニャニャ!? 楽しそう!?」
「そうですわ! こんな面白そうな闘いを、自分ひとりで楽しむなんてズルいわ! なぜ、わたくしを誘ってくれなかったのですか!?」
「何を言ってるニャ……」
苦り切った表情の猫耳小僧だったが、そこで救いの手が差し伸べられる。
「イライザさん、そろそろ対戦相手が入ってきますよ」
その言葉に、イライザはピタッとおとなしくなった。真剣な眼差しで、じっと闘技場を見つめる。
一瞬の間を置き、道化師が叫ぶ。
「さて、この陽気なトリックスターの対戦相手は……あらゆるものをパワーで壊す! 邪魔するものは弾き飛ばす! 動物をも超越した超獣! スラムコングの登場だ!」
その声とともに、反対側の扉が開かれる。直後、人のものは思えぬような唸り声が聞こえてきた──




