蹴道士
「本当か? 本当に、アスランへの挑戦者が現れたのか?」
聞いてきたピーターに、アスランは苦笑しつつ頷いた。
「ええ。しかも、よりによってこの地下街で挑戦してくるらしいんですよ。どこまで身の程知らずなのか……」
「どっかのバカのイタズラなんじゃないのかい?」
言ったのはエドマンドだ。横では、スーザンがクスクス笑っている。酔っ払っているのか、あるいはおかしな薬でもやっているのか。
「その可能性もありますな。まあ、挑戦者がこなければ私の演武会ということでお開きにしますよ」
答えたアスランの顔に恐れはない。リラックスしきった表情は、己に対する圧倒的な自信を感じさせた。
彼らが今いるのは、地下街の闘技場だ。中心部には巨大な鉄の檻が設置されており、その横には物干し竿のような棒があちこちに張り巡らされている。
帝王であるアスランに喧嘩を売るようなバカ者がいた場合、ここで闘う。もっとも、この一年ほどは、そんな無謀な挑戦者はいなかった。
ところが、先日アスランの家に、いきなり挑戦状が投げ込まれた。そこには、こんなことが書かれていた。
(アスラン・ザラダンバーさん。もし度胸があるなら、このマスクド・スーパー・ソロめの挑戦を受けてくれませんか? 場所は地下街マロニア地区の闘技場。できれば、ペペロンチーノ家の子女も連れてきていただけるとありがたいですが……受ける度胸、あります?)
「私たちの関係を知っているとなると、ちょっと見逃せないわね。アスラン、ボコボコにしたら、誰から聞いたか吐かせといてね」
ルーシーの言葉に、アスランは笑みを浮かべ頷く。
「もちろんです。私にお任せください」
言った時だった。突然、ひとりの男が駆け寄ってきた。
「アスランさん、来ました! マスクド・スーパー・ソロです!」
「ほう、来たか」
アスランが言った時、一瞬にして人の波が分かれ、大きな道ができる。
その道を進んできたのは、ひとりの男であった。黒いバンダナを頭に巻きつけ、黒いアイマスクをつけている。
そう、マスクド・スーパー・ソロことケインが、闘技場に現れたのだ。
◆◆◆
ケインは、ゆっくりと進んでいた。
周囲からは、敵意……いや、殺意に満ちた視線がバシバシと飛んでくる。全員、アスランの味方なのだ。ここでアスランを倒してしまったら、全員が敵に回る。
ここの住人たちには、まともな者などいない。皆、上の世界で何かをやらかして地下街に逃げてきた者ばかりだ。人殺しなど、なんとも思っていない。
そんな連中に殺意を向けられているのに、ケインは笑みを浮かべていた。
「フッ、口の中に妙な味を感じるよ。これが、噂の恍惚と不安の味なのかね……やはり、僕は闘いが好きみたいだ」
そんなことを呟きながら、ケインは進んでいく。アスランから五メートルほど離れた位置で立ち止まると、にこやかな表情で口を開く。
「あなたが、アスラン・ザラダンバーさんですね。最強の蹴道士の名をほしいままにし、闇ギルドでも恐れられている。あなたの蹴り技は、もはや芸術的……そんな評価をする人もいるようですね」
「ほう、そこまで知っていて挑戦してくるとは、よほど頭が悪いようだな」
アスランの言葉を聞き、手下たちはつられるように笑った。
しかし、ケインは怯まず首を横に振る。
「待ってください、本題はここからですよ。アスランさん、あなたは確かに強い。でもね、世の中は広いんですよ。上には、上がいます」
途端に、アスランは目を細めた。
「ということは、私よりも上がいるということかい?」
「もちろんですよ」
「では、その私より上という者はどこにいる?」
「あなたの目の前にいますよ、ほら」
そう言うと、ケインは自らの顔を指さした。
アスランの表情が歪む。先ほどまでの紳士的な態度が消え失せ、地下街の帝王の素顔が剥き出しになったのだ。このまま飛びかかってくるかと思いきや、アスランは余裕を見せる。
「ならば、お前に面白いものを見せてやる」
言った直後、アスランは手下たちの方を向いた。
「お前ら、あれやるぞ。五つだ」
「えっ、五個いくんですか?」
ひとりの手下が聞くと、アスランは苛立った様子で言い返す。
「私が五つと言ったら、五つだ。聞こえなかったのか?」
「は、はひ! すみません!」
手下たちは、たちまち散っていった。一方、ケインは不敵な表情を浮かべる。
「なんだか知りませんが、アスランさんが面白いという以上は、よほど面白いものなのでしょうなあ。期待しておりますよ」
「見終わった後でも、そんな軽口が叩けたら……それだけで、お前の度胸は一級品だと認めてやるよ」
アスランの凄むような言葉に、ケインは大袈裟な態度でお辞儀をしてみせた。
「おお、それは光栄です。ありがたい話ですね」
やがて、天井近くに設置されている物干し竿のような棒に、紐で繋がれた瓶が五個吊るされた。瓶は全て等間隔に離れており、地上からは二メートルを超える高さにぶら下げられている。常人では、飛び上がって手を伸ばしても届かないかもしれない。
アスランの方は、上衣を脱いでいく。鍛え抜かれた上半身が露わになった。
その状態で、彼はウォームアップを始める。虚空に放たれたパンチやキックは、速さもキレも充分なものだ。全ての技が、非常に高いレベルまで練り上げられているのを感じさせた。
しかし、その動きは突然に止まる。ソロを睨みつけ、声を放った。
「では、いくぞ! よく見ておけ!」
直後、アスランは飛んだ──
「なんだこれ……」
唖然として呟いたのはピーターだ。他の三人も、開いた口が塞がらない状態である。
だが、それも仕方ないだろう。今、アスランは空中五段蹴りで、瓶を全て蹴り割ったのだ。
高く飛び上がり、五回連続で蹴りを出す……これだけでも、高度なテクニックが要求される。しかもアスランの場合は、そこから吊るされた瓶五個を、一瞬にして蹴り割ってしまったのである。
紐で吊るされた瓶を蹴りで割るには、単純な力のみでは絶対に無理だ。正確さ、スピード、タイミング、バランスなどなど……それら全ての要素がひとつになった時、初めて可能な芸当となるのだ。
ましてや、それを五個連続など……これは、極めし者にしかできない技である。
手下たちは、少しの間静まり返っていた。だが、すぐにドッと騒ぎ出す。
「凄えぞ!」
「見たかクソガキ!」
「尻尾巻いて帰るなら、今のうちだ!」
「ビビってションベン漏らすなよ!」
ケインに浴びせられる罵詈雑言の嵐。しかし、当のケインは涼しい表情だ。
「いやぁ、素晴らしい技だ。大したものですね。では、僕の番です。すみませんが、同じように瓶を五つ結んでもらえますか?」
口調は丁寧だが不敵な表情で言い放ったケインに、手下たちは怒り出した。
「はあ!? ざけんな!」
「何で俺たちが、そんなことしなきゃなんねえんだよ!」
「てめえでやれや!」
しかし、アスランが一喝する。
「静まれ! いいから、こいつの言う通りにしてやれ!」
言われた手下たちは、慌てて動き出した。割れた瓶の破片を片付け、五個の瓶を紐で吊るしていく。アスランの時と、ほぼ同じ高さだ。
その時、小さな影がケインへと駆け寄っていく。猫耳小僧である。彼も、なんやかんや言っても心配してついてきてしまったのだ。
猫耳小僧は、ケインをつつき尋ねる。
「お前、また面倒くさいことやってるニャ。なんでさっさと闘わないのかニャ?」
「だってさ、ああいうの見せられたら、こっちもやんないわけにはいかないだろ。まあ、見とけ。面白いもの見せてやるからさ」
そう言って、ケインはニヤリと笑った。




