蹴道からの刺客
その日の朝、セバスチャンはいつになく静かであった。なぜなら、アリティー家の当主である父レオンが、こんな話を切り出したのだ。
「昨日、グレイス家の方々と連絡を取り、それとなく探ってみた。お嬢さんであるイライザの口から、我が息子ケインの名前を聞いたことがありますか? と。結果はどうだったと思う?」
「はて、全くわかりません」
ケインとしては、とりあえずそう答えるしかなかった。もっとも、油断している訳ではない。
あのお嬢さまは基本ポンコツだが、いざ真剣になれば、粘り強く食らいついてきそうな気がする。武術をやってきた者に特有の要素である。
怖いのは、その粘り強さにより生まれる隙や、不運な偶然の重なりだ。自分でも気づかなかった隙があったかもしれない……ケインは返すセリフのパターンをいくつか用意し、父からの言葉を待つ。
しかし、それは杞憂であった。
「イライザさんの口から、特定の異性が気になる……というようなセリフは、一度も聞いたことがないそうだ。あのお嬢さんの話の種は、パンチとキックどちらが強いか? や、かつてパンクラチオンにて活躍し数々の伝説を残したギガンテス・イガリは本当に強かったのか? だそうだ」
そこでレオンは、フゥと溜息を吐いた。
「少し期待していたのだ。あのお嬢さんなら、ケインをグイグイと引っ張っていき、まともな貴族へと更生させてくれるのではないか? とな。しかし、今のところ可能性はなさそうだ」
いや、あの人もかなり変な貴族だよ? だいたい更生って何? 僕は犯罪者なの? などというセリフが頭に浮かんだが、口から出たのはこんな言葉であった。
「そうでしたか。実に残念な話です。まあ、人生は手数を出していく、それが大事ですからね。諦めず次の手を探していきますよ、ハハハ」
これにて会話は終わり……のはずだった。しかし、ここでついにあの男が動いたのだ。
「坊っちゃん、私は今日は黙っているつもりでした。しかし、あなたは今聞き逃せないことを言ってしまった! それが何かわかりますか?」
わかるわけがない。この男の思考回路は亜空間のようにねじれており、訳のわからない理屈がとんでもない場所で出てくるのだ。
もっとも「知らねえよ」と言ったら、確実にいじけてしまうだろう。ケインは、一瞬だけ難しい表情を作る。
少しの間を置き、何か閃いたという顔つきで答える。
「わかりました。手数の多さではなく、一発の重さを重視しろということですか?」
「違います! あなたは、なぜそんな簡単にイライザさまを諦めてしまうのですか?」
「いや、それはですね……」
「あなたは、全てにおいて諦めるのが早すぎます! 前にも、小雨が降ってきたからといってランニングを中止したことがありましたね! 男なら、雨が降ろうがバトルアックスが降ろうが、走り続けるべきなんですよ! それが男の花道です!」
男の花道って何だよ? 使い方を間違っているぞ。それに、空からバトルアックスが降ってくるのは、もはや異常現象だ。そんな日に、どうやって走れというのか。
そんなことを思いつつ、ケインはウンウンと頷いた。
「なるほど。確かに、諦めるのは早すぎたかもしれません」
言った直後、自分の発言のマズさに気づく。これでは、イライザさんを諦めるのは早すぎた、と解釈されても仕方ない。
「そうです! 今、目の前にあることに真剣に取り組まないで、いつ真剣になるんですか! やらないための言い訳など、いくらでも考えつくものなんです! 今、やらない奴が後でやるわけがない!」
それは時と場合によるだろ……などと思いつつ、ケインは真面目な表情で答える。
「はい、その通りですね。僕も、これからは目の前のことに全力で取り組んでみようと思います」
これで終わらせられるか……と思いきや、セバスチャンは止まらなかった。
「いいですか、蹴道という武術のチャンピオンだったアンソニー・ホークは、三十六歳の若さで亡くなりました! 人の一生はそんなに長くありません! だからこそ、目の前のことに真剣にぶつからねばならないのです! わかりましたか!?」
「はい、わかりました」
「ちなみに、ホークの必殺技は踵落としという技です! 見てください!」
そんなことを言ったかと思うと、セバスチャンはその場で立ち上がり、踵落としをしたのだ。斜め方向から足を振り上げ、真上に落とす。道場でやるならともかく、ここでやられると傍迷惑である。
しかも、その一発により、セバスチャンの胸にあるエンジンが発動してしまった。彼は、真剣な顔でシャドーを始めたのだ。
皆は顔を見合わせた。おいおい、誰か止めろよ……という空気の中、スッと動いたのはエマであった。
「はい、そこまで。食事にしますよ」
途端に、セバスチャンの動きは止まった。おとなしく席につく。
見ていたケインは、クスリと笑った。普段は目立たないよう行動しているが、いざという時に頼りになるのは、やはりエマだ。
◆◆◆
その夜、地下闘技場では──
「それでは、本日のメインイベント! 聞いて驚け見てチビれ! まずはドラゴンゲートより登場するのは……触れた物は何でも潰す! パワーこそが正義! 筋肉の集合住宅ザガリーノだ!」
道化師の格好をした男が叫ぶと、片方の門が開く。
現れたのは、金髪の大男だ。筋肉の集合住宅などと言われるだけあって、恐ろしい筋肉量である。黒いパンツを履いただけの姿で、筋肉を誇示するようなポーズを取りつつ、試合開始を待っている。
「続いては……その顔で泣かせた女と、技で倒した男の数はどちらが多いのか!? 蹴道からの刺客、アスラン・ザラダンバーだ!」
その言葉と共に、もうひとつの門が開く。同時に、女たちからの歓声が湧き上がる。
現れたのは黒髪の青年だ。女たちが黄色い声をあげるだけあって、どこか神秘的な雰囲気の漂う美しい顔立ちだ。手足は長く、スラリとした体型である。鍛え抜かれた体つきだが、さすがにザガリーノと比べると見劣りする。
ふたりは中央に行き、道化師から説明を受ける。その時、ザガリーノが囁いた。
「てめえのその面、グチャグチャに潰してやるぜ」
ニヤリと笑ったザガリーノに、アスランは冷たい目を向ける。
「私と闘った者は、みんなそう言っていたよ。レベルの低い者は、みな同じ発想をするのだね」
そこで、道化師がふたりに離れるよう指示する。アスランとザガリーノは、再び門の所まで離れていく。
「それでは……レディ、ゴー!」
声と共に試合が始まった。ザガリーノは、その太い両腕で顔面をガードしつつ、ジリジリと進んでいく。見た目に反し、慎重に闘うタイプのようだ。
一方、アスランは動かない。こちらに近づいて来るザガリーノを、じっと見つめている。
だが、何を思ったか突然走り出した──
ザガリーノは慌てず、低い姿勢で待つ。相手の攻撃を受けてのカウンター、それが彼の狙いだ。
しかし、次からの展開はザガリーノの想像を超えるものだった。アスランは、彼の目の前で飛び上がった──
「な、何だと!」
ザガリーノの表情が歪んだ。
アスランの体は、空中でくるりと一回転する。ならば、飛び後ろ回し蹴りか。ガードし、着地した瞬間に組み付く……ザガリーノは、咄嗟に顔の両サイドをガードする。
しかし、その読みは外れた。アスランの攻撃は、なんと真上から来たのだ。
凄まじい衝撃が、ザガリーノの脳天を襲う。耐えきれず、ザガリーノは昏倒する。
アスランの飛び後ろ回し踵落としを、まともに食らってしまったのだ。




