お友達
ウルテミス園は、貴族の子女のみが通える学校である。当然ながら授業のレベルは高く、一般教養以外のさま々な授業を受けられるのだ。
そして今から、学園の一限目の授業が始まる。皆、背筋を伸ばし真面目に授業を受けている……はずだった。
しかし、約一名よからぬことを考えている者もいた。先ほど悪だくみをケインに防がれたイライザ・グレイスである。
授業中であるにもかかわらず、シーラの方をチラチラ見ている。どうやら、授業中に何か仕掛ける腹積もりのようだ。
そんなイライザを、後ろの席でじっと見ているのはケインだ。彼は既に、イライザが何かやらかすつもりなのを見抜いていた。
さて、何をするのか……獲物を狙う狩人のような目で、イライザの一挙手一投足を監視している。まあ、大したことはしないだろうとは思うが、万一ということもある。小さなイタズラが、大きなアクシデントになってしまうのは避けたい。
その時、歴史の教師ロッテンマイヤーが、黒板に年表を書き始めた。生徒たちは皆、筆記帳に書き写している。
同時に、イライザも動いた。この瞬間を待っていたらしい。何かを丸め、シーラに投げつける。
一瞬、ケインの目つきが変わった。だが、すぐに元に戻る。投げられたものは、紙を折り飛びやすくした物体である。当たってもダメージはない。
投げられた物体は、シーラの頭に見事に命中した。シーラは、ハッとなり顔をあげる。いったい何事が起きたのかと、あちこちを見回した。
その瞬間、イライザと目が合ってしまう──
イライザは恐ろしい顔をしていた。目は、因縁をつけるチンピラのように細めていた。そして鼻の下は、ゴリラのように思い切り伸ばしている。誰が見ても変な顔だ。
残念なことに、シーラは笑いの沸点が低い少女であった。アベルの「布団が吹っ飛んだ」という駄洒落で大爆笑してしまうような女の子である。
そんなシーラが、イライザの変顔をまともに見てしまったのだ。耐えられるはずがない。
「ぶわっはっはっは!」
授業中だというのに、シーラは声をあげて笑ってしまった。そうなると、黙っていないのがロッテンマイヤーだ。
「シーラさん、なんですか今のは!?」
鋭い表情で、シーラに詰め寄っていく。しかし、シーラはまだ笑い続けている。一方、イライザはガッツポーズを何度もとっている。シーラが怒られたことが、よほど嬉しいのだろう。
一部始終を見ていたケインは、思わず頭を抱えていた。あんな変顔を見られたら、イライザの方にも少なからずダメージがあるように思うのだが……彼女にとっては、シーラがダメージを受けたことの方が重要らしい。
そして今も、シーラはロッテンマイヤーに叱られている。
「授業中に大口開けて笑うとは何事ですか!? そんなことでは、立派な貴婦人にはなれませんよ!」
「は、はい! 申し訳ありませんでした!」
ペコペコ頭を下げるシーラを見て、イライザはまたしてもガッツポーズをする。嬉しくて楽しくて仕方ない、という感じだ。
まあ、あの程度で済んだなら良しとしよう。だが、これ以上のことをするなら、こちらもそれなりの対処をしなくてはなるまい。ケインはあくびをしながらも、イライザの動向に目を光らせていた。
そしてロッテンマイヤーの授業が終わると、思わぬことが起きる──
休み時間に入ると同時に、シーラは立ち上がった。とある席を目指し、真っ直ぐ歩いていく。その進行方向にいるのは、他ならぬイライザなのだ。
ケインは思わず顔をしかめる。シーラは、むやみやたらと喧嘩を売るタイプではない。だが、先ほどの行為はさすがのシーラをも怒らせてしまったのかもしれない。
一方、イライザもまた近づいてくるシーラに気づいていた。その顔には不敵な表情が浮かんでいる。来るなら来いや、とでも言いたげなさま子だ。
ここで両者を争わせるのは、どう考えてもマズい。ケインは、すっと立ち上がった。
いざとなったら「シーラさん! 遊ぼ遊ぼ!」とバカ丸出しの態度で手を引っ張って無理やり両者を引き離す。その上で、アベルになだめてもらおう……以上の作戦を、零コンマ何秒かで考えついた。実行に移すべく、音も立てずに近寄っていく。
しかし、それは杞憂であった。イライザと向き合ったシーラの口から、とんでもないセリフが飛び出したのだ。
「あなた、とってもユニークな方なのね!」
「は、はあ!?」
さすがのイライザも、この言葉は予想外だったらしい。鳩が豆鉄砲を食らったような表情になっている。
しかし、シーラの攻撃はまだ終わっていなかった。彼女は目を輝かせ、こんなことを言い出したのだ。
「イライザさん、私とお友達になってください!」
「は、はあぁぁ! な、何を言い出すの! あなたはバカなの!? アホなの!?」
悪口以外の何物でもないイライザの言葉を、シーラはニコニコ笑いながら受け流す。
「ふふふ、本当に面白い人ね。前から思っていたのだけど、あなたは学園でも最高にユニークな方よ! さっきの顔も、凄く面白かった。ねえ、私とお友達になって!」
「あ、あなた自分で何を言ってるかわかってるの!? ととと友達だなんて……」
しどろもどろになっているイライザだったが、シーラはお構いなしだ。手を伸ばし、イライザと無理やり握手する。
と、その表情が一変した。
「まあ! あなたの手は、なんて大きいの! こんな逞しい手、初めてですわ! ゴツくて、本当に頼もしいわ!」
そう、イライザは背が高い。肩幅も広く、ゴツい体格である。しかし、それをよりによってシーラから指摘されてしまったのである。しかも、ゴツいというおまけ付きだ。
たちまち、イライザの表情が変わった。歴戦の海賊もビビって逃げ出すような顔つきで、ゆっくりと声を絞り出す。
「何ですって? 今、なんと仰ったの? わたくしの手がゴツいと?」
低く凄むような声だ。マズい。このままでは、イライザが手を出しかねない。
ケインは音もなく動き、イライザの席まで到着した。後はバカのふりをして「シーラさん! 遊ぼ遊ぼ!」と、シーラを廊下に連れ出すだけだ。後のフォローは、あの猫に頼むとしよう。
しかし、またしても予想外のことが起きる。その場にアベルが現れたのだ。
「おやおやシーラ、どうしたんだい?」
「あ、アベルさま! 私、こちらのイライザさんとお友達になりましたの!」
「えっ!? アベルさま!?」
たちまち、イライザの表情が変わった。シーラの手を握りながら、微笑んでみせているではないか。
ケインはホッとした。イライザは、アベルに気があるのだ。そのアベルの前では、さすがに暴力は振るわないであろう。
そしてケインの予想通り、イライザは可愛らしい表情を作り、はにかんでいた。一方、シーラは得意げな表情でアベルに語り出す。
「アベルさま! 私、こちらにいるイライザさんとお友達になったのよ!」
言った後、笑顔でイライザの方を向いた。
「ねえ、イライザさん」
話を振られたイライザは、にこやかな表情のまま頷いた。
「はい。わたくし、シーラさんとお友達になりました。嬉しいですわ」
心にもないセリフに、ケインは笑いを堪えつつ成り行きを見守る。
アベルはというと、本当に嬉しそうな表情でふたりを見つめる。
「そうか。友達の友達は皆友達、これはアリティー家の家訓だ。すなわち、シーラさんの友達であるイライザさんもまた、私の友達になったということだね。よろしく、イライザさん」
そのやり取りを見ながら、ケインはホッと胸を撫で下ろしていた。とりあえず、今のところ自分の出る幕はなさそうだ。




