泣いたセバスチャン
その日、ケインは疲れていた。
まず、前日の夜にはドッグマン兄弟との死闘があった。これだけでも、疲労には充分だ。事実、その夜ケインは泥のように眠った。
そのためか、翌朝は寝坊である。父とセバスチャンにしこたま叱られ、遅刻しそうになりながらも、どうにか学園へと辿り着いた。
しかし、そこからはイライザの追及に遭う。頼みの猫耳小僧はというと「ほっときゃ、そのうち飽きるニャよ」と、助ける気ゼロの発言である。
どうにかイライザを躱しつつ、帰ってきたケインだったが……待っていたのは、これまでよりもさらに危険な雰囲気のセバスチャンであった。
「坊っちゃん! 私は悔しいです! あなたは、未だに奇行種だの出がらしだのといった汚名を挽回できていない! これでいいのですか!?」
「あ、うん。しょうがないですよ」
そう言いながらも、心の中では汚名を挽回って間違ってないか? などと思っているケインであった。
と、セバスチャンが顔を近づけてくる。
「私は今、猛烈に怒っています! 今の私なら、神をも打ち倒せる……と思えるくらいに怒っているんです!」
「はい? 何かあったのですか?」
「坊っちゃん、あなたは私がなぜ怒っているのかわかっていないようですね! なら、教えてあげましょう……それはですね、あなたの生きる姿勢です! 坊っちゃんは、どうでもいいと勝負を投げているからです!」
勝負って何だよ? と思いつつ、ケインは仕方なく相槌を打つ。
「はあ、勝負ですか」
「そうです! 勝負です! 人生とは、これすなわち勝負の連続! 私が、なぜ怒ったか……それは、坊っちゃんが勝負をナメてるからです! 人間としての生き方をバカにしてるからです! 今、あなたがしていることに真剣に取り組まないで、いつ真剣になるんですか! 坊っちゃん、あなたはそれでも男ですか! それでも軍人ですか!」
いや、軍人ではないぞ……と心の中で呟くケインだったが、セバスチャンはさらなる攻撃を仕掛けてくる。
「あなたは悔しくないんですか!?」
「えっ? あ、いや、全然悔しくないです」
ケインは普通に答えた。実際、陰で何を言われようが構わなかったからだ。
すると、セバスチャンの目から涙が流れる──
「嘘だぁ! 坊っちゃん、あなただって本当は悔しいはずです! さあ、ありのままの自分を私の前にさらけ出すのです! 坊っちゃん、私には本音を言ってください! あなたは悔しいのですよね!?」
悔しい、と言わなければ話が終わらないようだ。ケインは、仕方なく答える。
「は、はい。本音を言えば悔しいです」
途端に、セバスチャンの表情が一変する。
「今、悔しいと言いましたね!? 私の前ではっきりと、奇行種だの出がらしだの言われるのは悔しいと言いましたね!?」
いや、そこまでは言ってないよ……などと思いつつも、ケインは話を合わせる。
「は、はい。言いました」
「今、悔しいと口にしましたね! しかし、悔しいと思うだけなら誰にでもできます! 坊っちゃん、あなたは何がしたいですか!?」
いや、何もしたくないから! と叫びたい気持ちをグッと堪え、ケインは下を向きつつ口を開く。
「えっ、ええと……な、何をすればいいでしょうか?」
聞き返したケインの両肩を、セバスチャンはガッチリとつかむ。
「あなたは、なぜこう言ってくれないのですか!? 勝ちたいです! 勝って、世間の評価を変えさせてやりたいです、と!」
だから何に勝つんだよ? などと心の中でツッコミつつも、ケインは言われたことを繰り返す。
「は、はい。勝ちたいです。勝って、世間の評判を変えさせてやりたいですぅ」
「なんですか、その脱力感に満ちた情けない声は! もっと気合を入れて! 腹から声を出しなさい!」
うっとうしかったが、言わないと解放してもらえそうもない。ケインは、今度は大きな声を出す。
「勝ちたいです! 勝って、世間の評判を変えさせてやりたいです!」
大きな声で叫んだケイン。すると、セバスチャンは満足げな表情で頷いた。
フウ、これで終わりか……と思いきや、まだ最後の関門が残っていたのだ。
「よく言いました。では、私が必ずあなたを勝たせてみせましょう。だが、その前に……」
そう言うと、セバスチャンは拳を握りしめケインに見せつける。
次の瞬間、とんでもない言葉が飛び出した。
「坊っちゃん! 私は今から、あなたを殴ります! さあ、歯を食いしばってください!」
「はい? なんで殴るんですか?」
言いながら、後ずさるケイン。さすがに、これはちょっとシャレにならない。
しかし、セバスチャンに引く気配はなかった。
「いいですか、殴られた痛みは三日もあれば消えます。しかし、貴族のあなたが教育係の私ごときに殴られた……この屈辱感は、消えることはありません。苦しい時、つらい時、悲しい時は、今日のことを思い出してください。教育係ごときに殴られたという屈辱感に比べれば、大抵のことには耐えられるはずです!」
そう言うと、セバスチャンは拳を振り上げる。
「さあ、いきますよ! 歯を食いしばってください!」
「ちょっと待って。まずは落ち着きましょう。それは暴力です」
言いながら、ケインはパッと両手を前に出した、まあまあ、のジェスチャーだ。
しかし、セバスチャンに引く気配はない。
「何を言っているんですかぁ! 坊っちゃん、これはあなたと私との絆を深める行為! 断じて暴力などではありません! もし、これを暴力などと曲解する者がいるなら……私は、出るところに出ても構いません!」
なんとセバスチャンは、感極まったのか叫びながら泣いていたのだ。その拳を、本気で振り下ろすつもりらしい。
これはマズいぞ……と思った瞬間、セバスチャンの後ろから声をかけた者がいる。
「セバスチャンさん、何をしているのですか?」
途端にセバスチャンは、くるりと振り向いた。
「あっ、エマさん! ちょうどいいところに来てくれました──」
そこまでしか言えなかった。振り向いた一瞬の隙をついて、ケインが首筋に手刀を叩き込んだのだ。それも、本気の一撃である。
さすがのセバスチャンも、これにはたまらなかった。意識を失い、膝から崩れ落ちる。
倒れたセバスチャンを、ケインは仰向けに寝かせた。そして、エマに向かいペコリと頭を下げる。
「いやあ、本当に助かりました。この人、とんでもなくしつこいんですよ」
「それだけあなたのことを心配しているのです。悪い人ではないですよ」
「いや、悪い人の方がまだマシですよ。悪人なら、さっさとふん縛って憲兵の詰め所の前に置いておけばいいだけです。しかし、この人はそうもいきませんからね」
すました顔で答えたケインを、エマはじっと見つめた。
少しの間を置き、そっと尋ねる。
「で、昨夜はどちらに?」
「どちらに、と言いますと?」
とぼけた顔で聞き返したケインだったが、エマには通じなかった。
「わたくし相手に、しらを切れるとお思いですか?」
「すみません。実は、闇ギルドの殺し屋が動きましてね、シーラさんにまで手を出そうとしていたので、仕方なく相手をしました」
「なるほど。アベルさまはわかりますが、シーラさまのことまでお守りしているのですか?」
「仕方ないですよ。シーラさんは、兄さんの婚約者です。そうなれば、守らないわけにもいきません」
「そうでしたか。で、あなたご自身はどうなさりたいのですか?」
「はい? ご自身とは、僕のことですか?」
「ええ、あなたご自身の人生はどうなさるのです? 一生、おふたりの影となるおつもりですか?」
「必要とあらば、そうするつもりです」
すると、エマの顔に悲しげな表情が浮かぶ。
「あの方は、そこまで望んでおいででしょうか?」
その問いに、ケインは答えられなかった。




