拳闘士
シモン・マイロードの家は、裏社会との繋がりが強い。ヨンフランシス国の闇の世界を牛耳るマフィアとは、家族ぐるみの付き合いがある。
今夜、シモンはそうした怪しげな連中の運営する場所にいた。地下格闘技場の控室である。試合を控えたマシアスの横で、トレーナーらと会話をしていた。
「さて、今日こそは観客を楽しませる試合をしてくれよ。でないと、俺が困る」
そんなことを言いながら、シモンはグラスに入ったワインを飲み干した。
この地下格闘技場において、ザコレベルの選手とマシアスのような有名選手とでは、扱いがまるで違う。彼らが今いる部屋には、高級ワインや食品が並べられており自由に飲み食いできる。なぜかは不明だが、生卵まで置かれていた。
そんな中、マシアスは面倒くさそうに椅子に座っていた。
「また、ろくでもねえザコの相手すんのかよ。ウルテミス学園にいたお嬢ちゃんの方が、よっぽど歯ごたえがあったぜ。あの娘とは、もう一度やりてえなあ」
そんなことを言った時だった。突然、ドアが開かれる。
入ってきたのは、黒いアイマスクを付けており頭に黒いバンダナを巻いた男であった。男は、大袈裟な態度で恭しくお辞儀をする。
「お初にお目にかかります。僕は、マスクド・スーパー・ソロと申す者です」
途端に、シモンが笑い出した。
「ハハハ、君が噂のマスクド・スーパー・ソロか。来ることは予測していたよ。しかし、実に残念だな。相当の使い手だと聞いていたが、噂ほどでもなさそうだ。見た感じ、ウチのマシアスの相手にはなりそうもないなあ」
「まあ、そう思われるのも当然でしょうなあ。マシアス・ウレイ……古来より伝わる格闘技・拳闘術を習得しており、地下格闘技場のチャンピオン。そのパンチは、岩をも砕くと言われているそうですね」
その言葉に、マシアスはニヤリと笑う、まんざらでもなさそうな表情だ。
「俺のことを、きっちり調べてくれたようだな。その通りだよ。まあ、俺のパンチで倒せない奴はいない。命が惜しいなら、とっとと引き上げな。俺はな、お前みたいなヒョロガキを相手にする趣味はねえんだ」
「おやおや、大した自信ですねえ。だが、世の中は広いんですよ。上には上がいます。あなたよりも、凄いパンチを打てる者がいるんですよ」
「ほう、言ってくれるじゃねえか。そいつはどこにいるんだ?」
「あなたの目は節穴ですか? ここにいますよ」
そう言って、ケインは自分の胸を指さす。と、マシアスの目が吊り上がった。
「はあ? お前が俺より上? バカ言うな。こっちはな、今から芝居……じゃなくて試合をやらなきゃならねえんだよ。すっこんでろ」
「あれ? 僕が怖いんですか?」
「わかんねえ奴だな。じゃあ、これができたら相手してやるよ」
そう言うと、トレーナーの方を向き卵を指さした。
トレーナーは頷くと、卵を五個手に取る。何をするのかと思いきや、卵を全て宙に放ったのだ。
ほぼ同時に、マシアスのパンチが放たれた。そのスピードは速く、一秒にも満たない間に五発打ち込まれた。その五発のパンチは、全て卵に当たっている。
そう、マシアスは宙に投げた卵が地面に落ちる前に、全てをパンチで破壊してしまったのだ。
「お前に見えたか? 俺のパンチが?」
からかうように尋ねたマシアスに、ケインは頷いた。
「ええ。見事なものですね」
「これが俺の必殺ゴレンダーパンチだ。お前に真似ができるか?」
「いいですよ、やりましょう。できなかったら、僕はさっさと帰りますよ」
落ち着いた口調で答えたケインを見て、マシアスはトレーナーの方を見た。
「しょうがねえ奴だな。手間かけさせて悪いが、やってくれ」
トレーナーは頷き、卵を五個宙に放った。同時に、ケインの手が飛ぶ──
「な、なんだそれ……」
呟いたのはシモンだ。マシアスに至っては、声も出せなかった。
だが、それも当然だろう。五個の卵は、ひとつも割れていなかった。そもそも、床に落ちてさえいない。
なぜなら、ケインが五個の卵全てを片手でキャッチしていたからだ。
「あなた達は、大きな勘違いをしています。卵は、こんな芸当のために使うものではありません。食べるものですよ」
すました表情で言うと、ケインは空いている方の手でテーブルの上にあるグラスを手にした。
卵を割って入れたかと思うと、一気に飲み干す──
「いにしえの拳闘士ラッキー・バルシアノは、トレーニング前に生卵を割って飲んでいたそうですよ。卵を無駄遣いするのは良くないですね」
そんなことを言った後、その場にいる者たちの顔を見回す。
「さて、問題です。卵五個をパンチで壊したマシアスさんと、卵五個を全部キャッチし美味しくいただいた僕。地球に優しいのはどっちですか?」
その時、マシアスの体がプルプル震え出す。もちろん怒りのためだ。
「ナメやがって……おい、拳闘は大道芸じゃねえんだ。相手を殴り倒すためのものなんだよ。今、それを教えてやる!」
喚いた直後、マシアスは瞬時に間合いを詰める。ほぼ同時に、左の拳が放たれた。
拳は、真っ直ぐにケインの顔面へと伸びていく。常人ならば、避けることはおろかガードすることすら困難なスピードのパンチだ。
しかし、床には生卵の水たまりができていた。先ほど己が割ったものだ。当然ながら滑りやすくなっていた。間合いを詰めたのはいいが、マシアスは滑りそうになり足元に気を取られる。結果、パンチにも乱れが生じた。
零コンマ何秒かの隙であるが、それを見逃すほどケインは甘くない。その隙を活かし、驚くべきテクニックを見せた。右手が動き、飛んできた拳を払い落とす。直後、同じ手で裏拳を放ったのだ。
裏拳は、マシアスの顔面を抉る。威力そのものは弱いが、足元に気を取られていた彼にとって死角からの打撃だ。マシアスの表情が歪み、一瞬ではあるが目を閉じてしまう。
直後、左のボディーフックが炸裂する。体を回転させ、体重を乗せた一撃だ。さすがのマシアスも、これにはたまらない。呻き声をあげ、前かがみになる。
そこに、ケインは膝蹴りを打つ。マシアスの顔面にまともに入り、血と前歯の欠片を吹き出しながら倒れた。
「まったく、卵を割るなんてもったいないことをしなきゃ、もう少しいい闘いができたかもしれないのにねえ」
ケインは余裕の表情である。呼吸は乱れておらず、汗もかいていない。もっとも、他の者たちは真逆であった。
「そ、そんな……嘘だ」
見ているシモンは、唖然となっている。顔からは冷や汗が垂れている。それはトレーナーも同じだ。地下格闘技のチャンピオンが、ほんの数秒で倒されてしまったのである。
控室に乱入してきた、見たこともない男に──
「さて、シモンさん。教えてもらいましょうか……五悪神とは、どうすれば会えるのです?」
言った時だった。突然、室内に猫耳小僧が入ってくる。
「ケ……じゃなくてマスクド・スーパー・ソロ! そろそろ人が来るニャ! 引き上げるニャ!」
ケインは、彼に向かい頷いて見せた。直後、シモンを睨みつける。
「では、僕は引き上げます。五悪神の皆さんに言っておいてください。アベルさんとシーラさんのレッドカードを取り下げないなら、闇の生徒会を潰すまで闘い続けますよ。それでは失礼します」
そう言うと、ケインはその場から消えた。
翌日、予想通りシモンは転校していた。しかし、アベルとシーラへのレッドカードが取り下げられた気配もない。
「まだ懲りないのですか。なら、仕方ないですね。この際、闇の生徒会は一掃してやりますか」
呟いたケインの顔には、冷酷な表情が浮かんでいた。




