アイコンタクト
睨み合うイライザとマシアス。
イライザは両拳を挙げ構えていたが、脇腹に食らったダメージはまだ残っている。それでも、痛みは顔に出さない。人の顔面を殴ることに快感を覚えるゲス野郎には、死んでも屈したくなかった。
だが、そこに乱入してきた者がいる。よりによって、出がらしケインだ。この状況で、もっとも役に立たない男──
「な、なんであんたが来るの!?」
思わず叫んだイライザだったが、ケインはさらに暴走する。背が高く逞しい体をしたマシアスに向かい、こんなことを叫んだのだ。
「な、何やってるんですか? ねえ、あなた誰ですか?」
素っ頓狂な声で言いながら、マシアスに近づいて行ったのだ。当然、マシアスはケインと話す気などない。
「バカなボンボンはすっこんでろ」
言うなり、左のパンチを放つ。ビュンという音と共に、ケインの顔面に炸裂した。ケインは後方に吹っ飛び、顔面を両手で覆い叫ぶ。
「痛い! 痛い! 顔が痛いよ! 顔の骨が折れたあ! もう駄目だ! 死ぬ! 死ぬ!」
訳のわからないことを言いながら、床を転げ回っている。
そんなケインを、ギョッとした表情で見下ろしているのはマシアスだ。追い打ちをかけるでもなく、その場に固まっている。
だが、それを見ているイライザも驚愕の表情を浮かべていた。
今、パンチを額で受けていた。
しかも、自ら後方に飛んでダメージを最小限にしていたわ……。
相手の出したパンチを額で受ける、これは拳闘術の中にある防御テクニックだ。顎やこめかみなどの急所をガードし、頭蓋骨でも一番硬い部分である額で受ける……上手くいけば、相手の拳を骨折させられるのだ。
固まっているマシアスとイライザ、床で転げ回るケイン、腰を抜かしているシーラ……だが今度は廊下から声が聞こえてきた。
「きゃあ! 猫ちゃん待って!」
女生徒の声だ。それも、ひとりやふたりではない。かなりの数の女生徒が、三階に上がってきているらしい。
マシアスは、ハッと我に返った。転げ回っているケインを睨みつける。
「今のが偶然かどうか、いずれ確かめさせてもらうぜ。今日のところは、このくらいにしといたる」
そう言うと、マシアスは窓から外に飛び降りる。三階だが、綺麗に受け身を取り着地した。
と、ケインはすぐに立ち上がった。さっと窓まで動き、外を見る。
◆◆◆
その時、ケインははっきりと見た。
マシアスは、凄まじい勢いで逃げていく……が、すれ違ったシモンと目を合わせていたのだ。
間違いない。あれは、アイコンタクトだ。
やはり、シモンが今回の刺客であった。ならば、あいつを潰すだけだ……と思った時だった。
「ケイン、今のは何?」
鋭い声で詰問してきたのはイライザだ。真剣な眼差しで、じっとこちらを見つめている。
マズい。このイライザ、ポンコツで脳筋だが強者を見る目は確かだ。今の動きを見て、何か気づいたのかもしれない。
ケインは仕方なく、ヘラヘラした態度で答える。
「何って何ですか?」
「今、あなたは奴のパンチを額で受けた。これは格闘術の防御テクニック……しかも、あなたは自ら後方に飛んで、ダメージを最小限度に抑えた。これは、奇行種と呼ばれる無能にできることじゃない」
やはり気づかれていた。ケインは、仕方なく答える。
「し、知りませんよ。偶然です偶然」
「それに、さっきまで顔が痛いだの骨が折れただの言っていた割には、奴が窓から飛び降りた時にはすぐに立ち上がり、窓から奴の動向を見ていた。どういうこと?」
そこまで見ていたか……ケインは、どう誤魔化そうかと頭をフル回転させる。
その時、イライザがケインの肩をつかんだ。
「ちょっと!? はっきり言いなさ……」
イライザの言葉は、そこで止まった。驚愕の表情を浮かべ、ケインの肩を撫で回し始めたのだ。
さらにマズいことになった。この脳筋令嬢は、ケインの体に触れ、筋肉の質や付き方から何かを悟ったのだ。
しかし、そこに救いの女神が現れる。
「イライザさまあー! 私、怖かったですぅ!」
そんなことを言いながら、イライザに抱きついてきたのはシーラである。イライザは、突然の出来事にされるがままだ。
その隙に、ケインはパッと離れた。同時に、顔を両手で覆う。
「うわあぁ! 今になってまた顔が痛くなってきた! ぎゃあ痛い! ああ痛い! 死ぬ! 死んでしまう! 今すぐ病院に行きます!」
叫びながら、部屋を飛び出した。すると、廊下には数人の女生徒がいた。皆、しゃがみこんで床の上にいるものを見ている。恍惚とした表情だ。
彼女らの視線の先にいるのは、一匹の猫であった。言うまでもなく、猫耳小僧の変身した姿だ。床に背中をつけ、お腹を見せつつ体をくねらせている。その姿は、見ていて思わず笑みがこぼれてしまうくらい可愛らしいものだ。
しかし、今はそれどころではない。ケインは、猫とアイコンタクトをし、すぐにその場を離れた。
一方、室内でシーラに抱きつかれたイライザは、釈然としない表情で呟く。
「あの肉の付き方……ありえない」
ケインは素早く階段を降りると、校舎裏で猫耳小僧と合流した。
「助かったニャ。ありがとうニャ」
猫耳小僧が、珍しく申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
彼は妖魔である。本気を出して戦えば、マシアスには負けない。しかし、妖魔の本性を皆の前で晒して戦えば、今度は妖魔専門のハンターが出てきてしまう。となれば、イライザにも迷惑をかけることになるのだ。
ある意味では、ケインと猫耳小僧の立場は似ている。だからこそ、仲良くなれたのかもしれない。
「構わないよ。こちらこそ、お前のお陰で女の子たちを呼べたからね。お互いさまさ。それに、やっと黒幕が割れたしね」
「黒幕?」
「ああ。マシアスを操っていたのは、間違いなくシモンだ。あいつの良くない噂は、以前から耳にしていたしね。こうなったら、今夜にでも叩き潰しにいくよ」
「俺も付き合うニャ。お嬢を傷つける奴は、許せないニャ。ケイン、徹底的にやってくれニャ」
「任せろ」
言った時だった。突然、猫耳小僧の表情が変わる。
「マズい、お嬢が来たニャ。俺は逃げるから、お前は上手く誤魔化せニャ」
「ええ!? なんでだよ!?」
叫ぶケインだったが、猫耳小僧はパッと校舎裏の木に登り姿を消した。
入れ替わるように、走って来たのはイライザである。猛ダッシュしていたのか、息を弾ませていた。
「ちょっと! この出がらしが! こんなところで何をしているの!?」
詰め寄ってくるイライザに、ケインは仕方なく軽薄な表情を作った。
「は、はあ。いや、この壁の染みがいい味出してるなあと思いまして……」
「どこがいい味なのよ! ただの染みじゃない! それに、さっきの話は終わってなくてよ!」
「えっ? さっきの話と言いますと?」
「あなた、あの下郎のパンチを額で受けましたよね。挙句、自ら後方に飛んでダメージを逃した。それに、あなたの筋肉の付き方……どういうことなの!?」
言いながら、なおも詰め寄っていったイライザだったが、直後に顔をしかめうずくまる。マシアスに食らったボディーブローのダメージが、まだ残っているのだ。
こうなると、放って逃げるわけにもいかない。ケインは、そっと彼女に肩を貸し声をかける。
「歩けますか?」
「あ、歩け……うぐぅ!」
お嬢さまらしからぬ呻き声をあげたイライザを、ケインは支えつつゆっくり歩いていく。
「保健室に行きましょう。実は、最近父がセバスチャンっていう教育係を雇いましてね、そいつが無茶苦茶マッチョなんですよ。そいつのトレーニングに付き合わされているせいで、僕も少しは鍛えられたかもしれません……あ、でも僕喧嘩はすっごく弱いですからね」
「そ、そんなことわかってるわよ!」
頬を赤らめ答えたイライザ。ふたりは、ゆっくりと歩いていった。




