第4話 虹
——夢を見た。
幼い頃の夢だ。
その日は、朝から小雨が降っていた。幼稚園への道のりを母と傘を差しながら行ったのを覚えている。
家から幼稚園までは歩いて五分。だが、当時幼稚園児だった俺にとっては、かなり長い道のりに感じたことを覚えている。雨ならば猶更、苦痛に感じていた。
「あめ、とまらないかな」
俯いたまま、不貞腐れたように言う。幼い子供特有の、過程を飛ばした何の脈絡のない言葉。だが、母はその言葉に対して、優しくその理由を問いかけてくれた。
「あら、どうして?」
「だって、ながぐつも、かさも、つかれるし、じめじめする」
水たまりを長靴で蹴りながらそう言った。その言葉に母は、
「そうね。でも、お母さんは雨、好きよ」
「どう、して?」
母を見上げると、雨が顔に落ちてきて、すぐに伏せる。だが、一瞬見えた母はものすごく幸せそうな顔をだった。
「虹が出るから」
「にじ?」
「そう、虹。お父さんがね。雨上がりにプロポーズをしてくれたの。その時に出た虹がね、とっても綺麗で、今でも鮮明に思い出せるわ」
幼い俺はこの時、言っている事がほとんどわからなかった。唯一分かったのは虹くらいだ。母の言葉を、幼いなりに理解しようとしている内にいつの間にか、幼稚園についた。正門には幼稚園の先生が傘をさして待っている。
「行ってらっしゃい」
「いってきます」
幼稚園では、午前中、ひらがなの練習などをして過ごし、お弁当を食べる頃には雨も上がっていたので、午後は外で遊ぼうということになった。
皆が遊んでいる時、俺はいつも、一人だった。別に、一人が好きだというわけではないし、避けられているというわけでもなかった。誘われれば遊んでいたし、遊びの人数が足りなければ誘われるくらいの交友関係はあった。
——だけど……それでも、当時の俺は寂しかった。
そして、その寂しさを壊してくれたのが、あの子だった。
「これ、あげるっ!!」
そう言って、その少女は泥団子を差し出してくる。雨が晴れ、虹が差す青空を背景にその子は、にかッと笑いかけてくる。
なんで、泥団子なのか。なぜ、自分に渡してくるのか。分からないことだらけだった。でも、それがどうでもよくなるくらいに綺麗で、とても眩しい光景に映った。
その光景を見て、自然と思い出したのは母の話だ。そして、この感情が「すき」なのかと思い知った。まぁ、要するに一目惚れだった。
——俺はきっと、あの光景を一生忘れることはないだろう。
ピーッという、コーヒーメーカーの音で目を開ける。いつものキッチン、そしていつもの家。どうやら立ったまま、寝かけていたらしい。
人生最後の朝は、思っていたよりも普通の朝だった。寝ぼけながら起きて、目を覚ますためにコーヒーを作る。テレビをつけると、お天気のお姉さんが今日の天気を教えてくれる。しばらくは晴れが続くらしい。
「おはようございます。海斗さん。昨夜は良く寝れましたか?」
そう言いながら階段から降りてくるのは、パジャマを着た時野さんだ。寝癖も跳ねていて、若干まだ眠そうな印象を受ける。彼女が着ているパジャマは、見覚えのない物だ。昨夜の事を思い返してみるが、そういえば、昨夜は部屋や風呂は貸したが、着替えを貸した覚えがない。
「そのパジャマ、どこに持っていたんです?」
「パジャマ?……あぁ、なるほど。そう言えば、説明してませんでしたね」
そう言って見せてきたのは、右腕につけている白い腕輪だった。材質は、ぱっと見プラスチックだが、よく見ると表面に水色の線が出たり消えたりしていて近未来な印象を受ける。すごく厨二心をくすぐられるデザインだ。
「このリングは未来の物で、いろんな物を収納できます。仕組みは確か、物の構成原子を記録・分解して収納。出すときは記録を基に再構成、みたいな感じだったと思います」
やはり、未来の物だったらしい。言っていることは何となく分かるが、実際にはもっと複雑なのだろう。そう言えば、会ったときに持っていた傘もいつの間にかなくなっている。
「意外とたくさん収納できるんですよ?ほら」
そう言うと突然、何もない空中から茶色い革製のトランクが出てきた。昔を舞台にした外国の映画でよく出てくるようなデザインで、腕輪と違って、こちらは歴史を感じる。
「あ、中身は見ちゃダメですよ?」
「いや、見ませんよ!?」
そう言ってからかってくる彼女の顔は、演技のようには見えない。昨日見た彼女の、あの顔。正直、今の顔と昨日の顔、どちらが本当の顔なのか全く分からない。あれから、多少警戒心が生まれているのが自分でも分かる。俺は、そんな感情を悟られないように、話題を逸らす。
「ごはん、トーストでもいいですか?」
「ええ、お願いします」
トースターにパンを入れながら、今一度、考えてみる。
まずは、俺はこのまま、過去を変えても良いのか。過去を変えたいというのは本当だ。例え、時野さんに会っていなかったとしても、一度くらいはそう思っていただろう。
だが、昨日の彼女の顔を思い出すとどうしても、手のひらで踊らされているような感覚に陥ってしまう。
そもそも、敵が時間警察という時点で犯罪者……つまり「悪」であるという事だ。
では、何故過去を変えてはいけないのか。それは、人が歩んできた道のりを無かったことにするから……だと思う。そこで、気づく。気づいてしまう
——あぁ、そうだ。過去を変えて消えるのは俺だけじゃないんだ
盲点、というよりも普通に思い浮かばなかった。
過去を変えれば、現在は変わる。それは、現在を否定し、そこに生きている人達を殺すという事だ。自分と、そして幼馴染の事ばかりを考えて、そっちに目を向けてなかった。いや、それこそもしかしたら——、
「トースト、焦げてますよ?」
「へ?」
トースターを見ると確かに、黒い煙が出ている。慌てて中身を取り出すが、もう遅かった。見事に黒焦げのパンだった何かが出来ている。
「はぁ、仕方ありませんね。朝ご飯は抜きにして、そろそろ行きましょうか」
「え……」
あまりにも急すぎる言葉に、戸惑いの声が出てしまう。もしや、考えていた事が顔に出てしまってたのだろうか。
「さぁさぁ、早くしてください」
と、急かすように玄関に向かって背中を押してくる。
「ちょ、まだパジャマなんですが!?せめて服を着させてください」
「はぁ、しょうがないですね」
彼女は、やれやれといった様子で背中から手を離した。何となく彼女の雰囲気から嫌な予感がする。彼女は一拍置いて、これが欲しいんでしょ?という顔をしながら、こう言った。
「25秒で支度しな」
「15秒短縮されてるんだが⁉普通40秒——って言うか、絶対言いたかっただけだよね⁉」
「1……2……」
「はいはい、分かりました。着替えてきます」
結局、急いで着替えて降りてくるころには、2分経過していた。
玄関のドアを開け、外に出る。天候は快晴だ。最後の門出には、縁起が良い。
「さぁ、手を」
そう言って彼女は、手を差し出してくる。この手を取れば、もう引き返せない。
たった一人の大切な幼馴染の命か、現在を平和に生きる大勢の命か。その選択を今、迫られている。いや、答え自体はもう決まっているのだ。あと必要なのは、覚悟だけ。それを今、示さないといけない。
ふぅっと息をついて、彼女の目を正面から、まっすぐ見る。
——そして、俺は彼女の手を取った。




