第3話 忘れようとした過去
「もし、したいことがないのであれば、少し付き合ってもえませんか?行きたい所があるんです」
そう言った彼女――時野さんの提案に、特に行きたい所もやりたいこともなかったので俺は頷いた。
そして現在、俺と彼女は隣町の水族館に来ている。近場で、且つかなり有名な水族館なので、幼い頃から何度も来ているなじみのある水族館だ。
「見てください、あのサメ、デカくないですか?」
有名なだけあってこの水族館は、規模もでかく魚の種類も豊富だ。初めて訪れるのならば、それなりの衝撃を受けるだろう。彼女はまるで、子供の用に目をキラキラさせて水族館を楽しんでいる。俺も、1年ぶりであったため、こんなに大きかったっけ、と思ってしまう。
「ほら、あのエイもすごくデカいですよ」
『見て見て、あのエイ、ちょーデカい!!』
不意に、彼女が——時野さんの面影が、幼馴染と重なる。
そういえば、最後に来たのは香織とだったけな。と思い出しつつ、初恋相手との初めてのお出かけだったので、かなり印象深いものだったはずなのだが、今の今まで忘れていたことに少し驚きを覚える。
——いや、忘れようとしたという方が正しいか。
「その顔、もしかして他の女……幼馴染さんの事を考えてます?」
「へ?あ、いや……」
いつの間にか時野さんの顔が目の前にあり、思わずキョドってしまう。
しまった……女の子とのお出かけ中に他の女の事を考えるという、一番やってはいけない事をしてしまった。ラブコメなら、読者に殴られても文句が言えないレベルの奴だ。いや、彼女は別にヒロインでも何でもないのだが。
慌てたせいか言い訳のように早口で口を開いた。
「す、すみません。ここ、幼馴染——香織って言うんですけど、その子に初めてデートのお誘いをしたと言いますか……」
「デートってことは、もしかして付き合っていたんですか?」
おっと、思ったより食いつきがいい、恋バナが好きなのだろうか。興味津々で聞いてくる彼女には申し訳ないが、俺とあいつはまだ付き合っていなかったのできっちりと弁明しておく。
「付き合ってはいませんよ。ただ……まぁ、自分で言うのもなんですが、かなり脈はあったと思います」
「そうですか……」
露骨にがっかりする彼女を横目に、水族館を進んでいく。水槽を見るたびにあの日の記憶を、幼馴染の姿を思い出す。そして、心の奥底にある決意が固まっていくような気がした。
「助けないとな……」
その独り言が、客の喧騒の中、隣にいる彼女に聞こえたのかは分からない。だが、なんとなく、彼女が微笑んだような気がした。
◆◇◆◇◆
それから水族館を周り、俺達が家に着く頃には日が暮れていた。
「ただいま」
「お邪魔しま~す」
誰もいない家に向かって言い、上がる。彼女も、靴を丁寧に脱ぎながら自分に続いて家に上がる。朝来た時にはお邪魔しますなんか言ってなかっただろと、心の中で突っ込みつつリビングに向かった。
「お家の方、いないんですね」
「はい。一か月前くらいから海外で働いるので少なくとも今日一日はいません」
「なるほど。都合がいい」
何が都合がいいのかは、怖いので聞かないことにしておこう。と、内心ふざけつつ夕食を決めるために冷蔵庫を開く。
「何か、食べたい物とかありますか?」
「そうですね……カレーとか食べたいですね」
カレー。その言葉を聞いて思い出すのはやはり、幼馴染の姿だ。あいつもカレーが好きで、よく母さんの作ったカレーを食べたものだ。幼い頃の自分は、自分でも振る舞えるようになりたくて、初めて覚えた料理に挑戦した。本当に、懐かしい…………っと、ダメだ、今日一日、事あるごとに思い出してしまう。頭を振り、思考を切り替えて料理に移る。
数十分後、無事にカレーは完成して、食卓につく。
「こ、このカレー、すごく美味しいですね。昼間のパフェといい勝負ですよ」
何故、上から目線何だ、とは思うが本当に美味しそうに食べるので悪い気はしない。
『かいくんが作ったカレーすごくおいしい』
彼女をまた、思い出す。幼い頃に言ってくれた誉め言葉。そして、それと同時に思い出した——否、思い出してしまったのは、彼女の死に顔だった。棺桶に入った、彼女の顔。それと同時に胃から何かがこみ上げくる感覚。
「まずっ——、」
気づけば俺は、トイレにいた。そして、時野さんが背中をさすってくれている。口の中は既にカレーの味など残っておらず、胃液の苦い味で満たされている。
背中をさすってくれている彼女は、申し訳なさそうに、こう言った。
「迂闊でした。あなたの幼馴染さんを思い出させるようなことをしてしまいました」
「いえ、こちらこそ——」
彼女の顔を見て俺は——、
恐怖した。
まるで、作り笑いのお手本のような、そんな笑顔。
目にも光はなく、俺ではなく、どこか遠くを見ている。
その顔を見て思わず、あぁそうか、この記憶は思い出したんじゃない。思い出すよう誘導されたものだったのだ。と分からせられた。
俺が、最後の最後で二の足を踏まないように、彼女を救いたいと本気で思うように。誘導されていたのだ。たぶん、最初の、水族館の時から。
そして、彼女は、微笑みながらこう言った。
「明日は、いよいよ過去を変える日です。もう、寝ましょうか」




