第29話 猟犬
「原因は、これですね」
そう言って時野さんが拾ったのは、床に落ちていた一つのメガネだった。そのメガネに見覚えはない……と思ったのだが、時野さんが黒いセーラー服の襟の中央に引っかけている物と、同じだと気づく。
現在俺達がいるのは、研究機材などを置いている備品室の一つ。時野さん曰く、俺の娘――虹心の部屋だった場所らしい。
「これにカメラか、盗聴器は付いていませんか?」
時野さんがそう言うので、メガネを受け取って確認してみる。ぱっと見ただけでこのメガネがかなりの優れ物だと言う事が分かる。そして、詳しく見てみると確かにそう言う類の物が付いていた。
「付いてます」
「やっぱりですか…………彼女と距離を取るのは失敗でしたね」
時野さんが考え込みながら、独り言をつぶやく。彼女の言葉から察するに、あまり仲は良くなかったのだろうか。自分の娘がどんなふうに成長したのか、今の俺は知らない。でも気になったので聞いてみる
「時野さんは……うちの娘と仲が良くなかったんですか?」
「いえ、それなりに話せましたし、このメガネを貰うくらいには仲が良かったですよ?表面上は」
表面上。含みのある言い方だ。だが、時野さんの表情からは特段、険しさを感じない。そんなに悪かったわけではいないのかなと思っていると――、
「お互い賢かったので、何というか、笑顔の裏で牽制みたいなことにはなってましたね」
「それは仲が悪いというのでは?」
ついツッコんでしまった。そして、このノリが20年前を感じさせて、俺にとっては20年前でも、この人にとっては数日前なんだと感じさせた。
そして、自分の口角が久しぶりに上がっていることに気づく。香織を失ってから、使っていなかった、いや、使えてなかった表情筋を使って、少し痛い。
「それはともかく、これと虹心達にどんな関係が?」
「そうですね……何から話しましょうか」
そう言って、時野さんは考え込む。
自分も考えてみるが、やはり、メガネ一つで過去が変わるなんて想像がつかない。
「とりあえず、ここから出ながら話しましょうか。ホコリ臭いですし」
「す、すみません……」
そう言って、俺たちは先程までいた応接室に戻って、座っていたイスに座る。
時計を見るが、部屋を出てから15分程しか進んでいない。楽しい時間は短く感じるという奴だろうか。
そんなことを考えていると、向かい側の席に座った時野さんが口を開いた。
「大前提として、あなたは過去を変えるうえでの障害は何だと思いますか?」
過去を変えるうえでの障害。俺はそれを聞かれて、とっさに自分が過去を変えた時のことを思い浮かべた。
「やっぱり、時間警察ですかね」
「そうですね。ですが、実際は他にもいるんですよ」
「他にも?」
他にもいる。その言葉を聞いて、俺は少し驚いた。てっきり、時間警察だけかと…………いや、俺が過去を変えようとしている間、時野さんは何かと戦っていた。もしかしたら――
「時間放浪者、ですか?」
「半分正解で、半分不正解です。確かにそれも障害ですが、今回の犯人はその時間放浪者の天敵です」
時間警察が天敵じゃないのかとも思ったが、その言葉を飲み込み、時野さんの話の続きを聞く。
「私はそれらを、『猟犬』と呼んでいます」
「猟犬って……」
「別に、見たらSAN値が減るとか、そう言う事はありませんよ?本当に猟犬なんですよ。使い魔と言った方が正しいのかもしれません。それに見た目が犬――正確にはオオカミですが、ほぼ犬です」
「ガッツリ知ってるじゃないですか」
猟犬、時間とくれば思い浮かぶのは、TRPG――テーブルトーク・ロールプレイングゲームというゲームだ。TRPGと言うよりは、クトゥルフ神話の方が聞いたことのある人が多いかもしれない。っていうか、
「時野さんって、アニメとかゲーム知ってるんですね」
「知ってるも何も大好きですよ?私の生みの親のようなものです」
「大げさすぎません?」
「大げさじゃありませんよ。それに、これを教えてくれたのはあなたですよ?17回目の時のあなたですが」
「え、そうだったんですか……」
「まぁ、あなたに教えてもらって、本当に似ていると思ったので便宜上そう呼んでいるだけです。実際は全く別の生き物ですし、想像上の生き物よりも悪辣で、最低です」
俺が教えたのか、そう思って驚く。今日はなんだか驚いてばかりだ。
考えてみれば、時野さんは俺が高校生の時――今の俺の分を含めて23回、過去を変えている。そのたびに俺の家で泊まっていたとなると、約一か月俺と過ごしたことになるのだ。
ならばどこかのタイミングで、俺が教えている可能性はかなりある。
「話を戻しましょう。猟犬の話ですね。私が猟犬と呼んでいる生物は、基本的に時間の影響から外れています」
「つまり、時野さんと同じ時間放浪者なんですね」
「はい。彼らにとって人間はエサです。通常はあちらから仕掛けてくることはありませんが、何も準備をしていないなら話は別です。彼らにとっては、エサがトコトコと歩いてきていたようなものですからね」
「今回の場合、それが虹心ですね」
虹心――俺の娘はおそらくこの『猟犬』の存在を知らなかったのだろう。そして、何の準備もしないまま時間に干渉――彼らの生息域に足を踏み込んでしまったのだ。
録画映像でも、干渉するのかどうかは不明だが、実際に被害を受けているのでそう言う事なのだろう。
「でも、虹心は流産でした。それについてはどうなんですか?」
「彼らにも、私のように時間に関する能力があります。彼らの場合は、小規模な現実改変ですね。証拠隠滅に特化したものです。私は使えませんが」
つまり、彼らは虹心が生まれたばかりか、お腹の中にいた時に喰らい、能力を使って流産だったことにした。
時野さんが言った悪辣で最低という意味が分かる。赤子の時に襲うなんて、反則技もいい所だ。
「彼らは、ターゲットが一番弱い時、つまり赤ん坊のころを狙います。若い芽は摘んでおくならぬ、若い芽の時に摘んでおくと言う事です」
「なるほど。それで、時野さんは助けてくれるんですかね?」
「もちろん。知り合ったからには助けますし、今の共犯者である彼女のこともあるので、どの道、ズレた時間を戻さないといけません。まぁ、進捗はリセットされちゃいましたが」
「リセット、ですか」
「過去が変えられましたからね。時間の輪から外れている私は、誰かに過去を変えられたらその時点で、今までやってきたことが全部消えます。実際、大人のあなたと出会い、話したことをあなたは覚えてないでしょう?」
「それって――」
「だから、天敵なんです。彼らは、無秩序に、無意義に、過去を変える。私が過去を変えられたのは今回で二回目ですが、前回はひどいことになりました」
俯いていて、どんな表情をしているのか、俺には分からない。でも、声から察するに相当ひどいことになったのだろう。
それが状況的にひどかったのか、精神的にひどかったのか、俺には分からない。でも俺だったら、今まで積み上げてきたものが急に痕跡すらなくなるのは嫌だ。
「それで、あなたはどうするんですか?半時間放浪者は、過去へ行き、過去が変わる瞬間に立ち会うことで、記憶を継承する。つまり、ここで行くか行かないかによって今のあなたの記憶が、引き継がれるかどうかが決まります」
今の自分の記憶。妻に先立たれ、不幸にまみれたこの記憶を次の自分に渡すのか。普通なら行かないほうがいいのだろう。分かっている。それでも俺は――
「行きます。父親としてやるべきことを、やりたいんです」
俺は彼女の眼を見ながら、そう言った。
「わかりました。それではさっさと救いに行きましょうか。手を出してください」
彼女は俺の言葉に、ふっと笑い、手を差し出してくる。20年前と同じように。
――そして俺も、20年前と同じように彼女の手を握った。




