第26話 人でなし
「ふぅ……」
静かな学校の廊下に、一つのため息が落ちる。
美月の目の前に広がるのは自分以外誰もいない廊下と、床に落ちている一枚のポスター。あと強いて言うのなら、廊下の窓から見える晴れとも曇りとも言えない空だ。
「やっぱりこの感覚は、慣れませんね」
先程よりも静かになってしまった廊下を見て美月は呟く。その独り言と学校のチャイムの音が鳴るのは同時だった。そして、がやがやと学校全体が騒がしくなり始める。
美月はバレぬようにさっさと立ち去ろうとポスターを拾い、四つ折りにして収納ちゃんにしまう。
そして、美月は数時間前までいた――否、もう変わった現在に跳んだ。
◆◇◆◇◆
時野さんが来た。
いつも通りの昼下がり、研究所の一角にある西野家の居住スペースで妻の昼ご飯を待っていると、部下から時野美月という少女があなたに会いたいと言っていると、受付から連絡が来た。
俺が急いで行くと、そこには20年前と変わらない姿をした時野さんが受付のソファに座って待っていた。
「今朝ぶりですね。西野海斗さん」
「お久しぶりです時野さん。俺からしたら20年ぶりなんですけどね」
俺を見つけた時野さんは、ソファから立ち上がってそう言う。その姿は、記憶にある20年前とほとんど変わっていなかった。
時野さんは、俺が過去を変えたあの日と違って、傷だらけではなかった。それに黒いセーラー服もきれいで、なんなら襟の中央――胸のところに、見た事あるような、ないようなそんなメガネを引っかけていた。
「どこ見てるんですか」
「シャレにならないんで、そのノリやめてください」
あからさまにニヤニヤしてからかってくる美月さんに、俺はそう言う。
このノリなんか懐かしいなぁ、と思ってしまう自分もいるが、香織にこんなこと聞かれたら徹夜でお説教確定なので流石にやめて欲しい。
そこで、香織が昼ご飯を作ってくれているのを思い出した。
「今からお昼なんですが、どうですか?」
「そうですね。お言葉に甘えましょうか」
そんなやり取りをしながら、俺と時野さんは居住スペースに向かって歩きだす。その途中に会ったのは、白衣を着た俺の娘の虹心だった。
「あ、おとーさん。おかーさんがご飯もう三十分くらい掛かる……って、その子誰?」
虹心は、俺の隣にいる時野さんを見てそう言う。変に勘違いされる…………というか、時野さんが調子に乗って変なこと言いだす前に紹介する。
「あー、えっと俺の古い知り合いの娘さんだ」
「はい。彼の古い知り合いの娘の時野美月です。よろしくお願いします」
時野さんは、合わせてくれたがワザとやっているのか、それともワザとじゃないのかすごく棒読みだった。表情を見る限り、多分後者だと思う。
「ワタシはこの人の娘の西野虹心です。よろしく~」
そう言って虹心は、時野さんと握手を交わす。その声は、相変わらず気だるげで、されど相手を拒絶しているわけではないそんな感じだった。
それから虹心は、時野さんの全身を見る。普通は親として注意するべきなんだろうが、自分もやらかした手前、ちょっと言いにくい。
「それにしても~」
「親子そろって見るところは同じなんですね」
「あ、ごめ~ん」
「冗談ですよ。このメガネは知人に貰った物です。後で見ますか?」
「うん。後で……いや、なんなら今から見せてよ。美月ちゃん」
そう言って、虹心は時野さんを連れて行った。おそらく、虹心の研究室だ。こうなってしまっては俺には止められない。それに、時野さんも連れていかれたというよりは付いていったという感じなので大丈夫だと思う……多分。
◆◇◆◇◆
カチャッという音と共に、扉の鍵が閉まる。
「それで、私を連れ出したのは聞きたいことがあるからですよね」
「うん。それ、ワタシが作った物だよね」
虹心が、眼鏡を指して言う。先程のような、気だるげな声ではない。平坦で、冷静で、ひたすらに淡々とした冷え切った声だった。声意外にも纏っている雰囲気も変わっている。そして、一番目を引くのは、彼女の目だった。
その目はかつて西野海斗が世界を代償に想い人を救う決意をした時と同種の目だった。
いきなり雰囲気が変わった相手からのその指摘に、美月は驚かない。むしろ、予想していた――いや、知っていたとでもいうように言葉を返す。
「えぇ、そうですね。これは過去を変える前のあなたに貰った物です」
「やっぱり」
美月は、襟に引っかけていた眼鏡をはずし、虹心に渡した。そして、それを受け取った虹心は示し合わせたかのようにスマートグラスをパソコンのコードにさしてパソコンの画面に黒いプログラミングの表記など複数の画面が出てくる。
「おとーさんに言わなかったのは、過去を変えた後だから?」
「えぇ、彼はそこら辺悩んでいたので」
「知ってる」
虹心は、美月と話している間も手を動かしてプログラムや機能を追加していく。本来なら何日もかかるであろう工程をどんどんで終わらせていった。
美月は、近くにあった回転式の椅子に座って、くるくると回りながら話をしていた。
「あなたは、過去改変についてどう思うんですか?」
「ワタシ?」
「はい。何か思うところはあるんですか?」
「ワタシは、おとーさんと違って、優しい人間じゃない。だから、かつてあった世界の人になんか同情できない。ワタシの中にあるのは、どうやって自分の目標を達成するかだけ」
そう言い終えると同時に、キーボードを打つ手が止まった。そして虹心は眼鏡をコードから外し、美月に渡す。
「大体は出来た。細かい所は、次のワタシに」
「ワタシはもうちょっと作業するから、先に行ってて。あと、研究室を回るならそこの白衣着といて」
「わかりました。ありがとうございます」
美月はそう言って、扉の近くに掛けてある白衣を取り、鍵を開けて出ていく。パタパタという音がした後に、パタンとドアが閉まった。
美月が出ていったのを確認してから、虹心はふぅっと椅子に背もたれに深く腰かける。
「疲れた」
天井を見ながらその声は、いつもの気だるげな声に戻っていた。表情も雰囲気も、いつものダウナー気味の彼女に戻っている。唯一戻っていないのは、目だ。目だけは鋭いまま、宙を見つめている
「アレはワタシと同じタイプ。人でなし」
そう言いながら、虹心は姿勢を戻し、タンとキーボードを一回押す。すると画面に映し出されたのは、一つの映像だった。
「まぁ、ワタシもだけど」
――それは、スマートグラスに隠されていたカメラの映像だった。




