第18話 時野美月は浮かれていた
――時野美月は浮かれていた
長い間、時間を旅している彼女にとって友達と呼べる存在(あちらが友達だと思っているかは別問題として)は片手で数えるほどで、他に人と話すことがあるとすれば、「共犯者」か「敵」くらいの物だった。
だからこそバスで、少ない時間ながらも言葉を交わし、あまつさえ悩みすら打ち明けてくれた彼女に美月は、こう思ってしまった。
これってもう友達では?
まぁ、要するに美月は友達が出来たと思い込んで浮かれていたのである。だからだろう、美月は周囲の様子がおかしくなっている事に気づくのが遅れた。
「ここ、どこでしょうか」
美月が立っているのは、病院の廊下が十字に交差している中心。美月は周囲を見渡すが、周囲は薄暗く、病院の明かりも緑掛かっている。人気もなく、まるでホラー映画の中に入り込んだかのようだった。
――ペタ、ペタ
そんな足音が、美月から見て右側の廊下のその先の曲がり角から耳に聞こえてくる。その足音はどうやら裸足のようで、静かすぎる廊下によく響いた。
美月は、『収納ちゃん』から妖刀を抜刀して音がしてきた方を向いて、刀を構えた。病院の廊下を不気味に照らす蛍光灯の光が、刀身に鈍く反射する。
「幽霊か、妖怪か……まぁ、病院なので幽霊ですね。どちらにせよ対処法は知っていますし、楽勝です」
美月は、平安時代の腹黒陰陽師――もとい、「共犯者」の事を思い出しながら、余裕そうにそう呟く。
――ペタペタ、ペタペタ
次に聞こえてきたのは、先程の反対側の廊下だった。先程の方向からも同時に足音が聞こえる。美月は、体の向きは変えずに意識だけをそちらの方――自分の後ろに割く。
「挟み撃ち……どうやら、知性はあるようですね。ですが――」
――ペタペタ、ペタペタ、ペタリ
更に聞こえてきたのは、先程とは違う方向からだった。
三方向目からの足音を聞いて表情が固まり、美月の頬につぅっと一筋の汗が伝った。焦り、警戒、そして嫌な予感。頭の中で、それらが駆け巡る。美月は音のしない最後の廊下を背にして、無言で、ゆっくりと後ずさり始める。
――ペタペタ、ペタペタペタペタペタ……
美月の焦りに気づいたかのように足音が増える。足音は勢いを増し、数が10、20……100、110と増え続けていき、その増加は止まることがなかった。
「…………これ、数多すぎません?」
◆◇◆◇◆
「おばあちゃん、お見舞いに来たよ」
そう言いながらわたしは、扉を開ける。すると、懐かしくて、包み込んでくれるようなおばあちゃん家の匂いがわたしを迎えた。
わたしは、病室を見渡しながら入っていく。おばあちゃんが今いるベッドに、棚と小さなテレビ、小さな机に二つの椅子があって、窓際には夕日を浴びる、少し萎れた花が花瓶にあった。
「まったく、また来たのかい。飽きない子だねぇ」
そう言うのは、ベッドに上体だけ起こして座っているわたしのおばあちゃんだった。その口調は厳しくてツンツンしているけど、拒絶の意思は感じない。
昔からそうだった。なんだかんだ言いつつも、幼い私の面倒を見てくれて、お菓子も出してくれる。いつも仏教面だけど、みんなから好かれている。そんな人がわたしのおばあちゃんだ。
わたしは、通学バックを椅子に置き、夕日の差し込む窓のカーテンを閉めて、花瓶の水を変えながらおばあちゃんに聞く。
「調子はどう?おばあちゃん」
「まずまずだね。あんたこそどうなんだい。顔、真っ青だよ」
そう言われて一瞬、手が止まる。が、動揺を悟られぬように、机を拭いたりおばあちゃんの私物を整理しながら答える。
「大丈夫だよ。ちょっと、試験勉強で夜更かししちゃって――」
「嘘をつくならもっと、マシな嘘をつきな」
「…………」
そんなに、体調が悪いように見えるのかな。とわたしは思う。朝に比べれば、自分は大分よくなったと思うのだけど。それでも、バレていると言う事はやはり、他人から見れば相当体調が悪いように見えるのだろうか。
「こんな、すぐにくたばるババアは放っておいて、さっさと帰って寝な」
そう言って、おばあちゃんはわたしの反対側を向いて、横になってしまった。わたしの方からは顔が見えない。
「でも――」
「帰りな」
おばあちゃんはわたしの言葉を遮って、一言そう言う。そこで、またわたしは気づく。自分がおばあちゃんを心配させているのだと。
心配させないように気丈に振舞えば振舞うほど、わたしはこの人達を心配させてしまう。
「わかった。今日は帰るね…………明日も学校終わったら来るから」
「…………」
そう言って、わたしはなるべく速足で、病室を出た。夕方に差し掛かった病院の廊下は、少し薄暗くて不気味だ。人の気配も少なく、見えたのは、一瞬視界の端に移った看護師さんくらいだ。
「今日、失敗ばかりだなぁ……」
廊下を歩いて進みながら、そう呟く。
することが全部空回って、結局皆を心配させてしまう。そんな自分に嫌気がして、腹が立つ。自分がいなければ、皆は今を、わたしなんかに使わずに楽しんでいたのだろうか。
――その瞬間だった。
眩暈がした。視界がグワングワンして、足がもつれる。わたしは思わず、壁に手をついてしまった。前を向くのがしんどくて、うつむいてしまう。そして、その、大部分が床しかない視界に、ポタポタと赤い何かが落ちた。
血だった。
どうやらわたしは、鼻血をだしているらしい。と気づくまで、数秒かかる。そのあいだにも、鼻血は垂れ続けていて、コンクリートの床を赤色に塗り替えていく。
更にはがくっと足の力が抜け、お尻が床についてしまう。そして、そのままわたしは床に横に倒れてしまった。
「だ……れか」
そう、か細い声で言うが、周りには誰もいない。頭が割れるように痛い。意識が薄れていく。瞼も次第に開かなくなっていき、視界が黒に染まる。
本当に体調が悪かったのだと今になってようやく、理解した
が、もう遅い。限界を迎えたわたしは意識を手放すのだった。




