第17話 雨とアルコールのにおい
「こんにちは」
そう言って微笑んできたのは、セーラー服を着ていて、不思議な空気を纏った女の子だった。セーラー服は黒いセーラー服と聞いたら真っ先に思い浮かんでくるようなデザインで、胸の中央にはにリボンではなく赤いスカーフがついている。わたしの高校は、ブレザーにリボンなので物珍しい。
「えっと……こんにちわ」
急に挨拶をされたわたしは、思わず曖昧な返事を返してしまう。わたしの返事を聞いた、セーラー服のその人は、まるで獲物が罠に引っかかったとでも言うかのように笑みを深めた。
その笑みにわたしは、理由の分からない怖気が感じた。
「ここで会ったのも何かの縁ですし、少しお話をしませんか?」
そう言いながら、ポンポンと隣の座席を叩くが、正直怪しいし、怖いので嫌だった。彼女の容姿から考えると私と同じくらいの歳なのだろうけど、制服は見た事もないデザインでどこの高校か分からないし、何より彼女の纏う雰囲気が怖かった。
「別に、怪しいバイトを紹介したりする訳じゃありませんよ。本当に、少しお話をしたいと思っただけです。それに、どちらにせよ早く座らないとバスが発進できませんよ」
彼女がそう言って目線で運転手さんの方を見る。わたしもそっちを見ると、運転手のおじさんがミラー越しにこちらを見ていた。
「す、すみません」
わたしは慌てて、一番近くの席――結局、黒いセーラー服の人の隣に座ってしまった。私が席に着くとバスは発進しだして、それからすぐに彼女は話しかけてきた。
「はじめまして。時野美月と言います。気軽に美月ちゃんと呼んでください」
「え、えぇっと……じゃあ美月さんで……」
これは……ボケている、のかなぁ?美月さんが真面目な顔をしているのでイマイチ分からない。彼女――美月さんとの距離は、肩が触れ合いそうなくらいの距離で、雨のにおいがした。そして、近くで見ると美月さんの顔はすごく整っていて綺麗だった。
「あなたの名前を教えてくれますか?」
見惚れている自分に美月さんは言う。
「あ、はい。私の名前は――」
わたしは答えようとして、思わず言葉に詰まってしまった。美月さんはわたしの目をまっすぐ見て話を聞いてくれようとしている。しかし、その視線に耐えれずに視線を下に逸らしながら言った。
「ごめんなさい。わたしの名前はちょっと…………言いたくないです」
「そうですか。なら、もう少し仲良くなってからまた聞きます」
自分の名前を、言いたくなかった。多分、 と名乗れば言えるのだろうけど、知りもしない自分の名前を口にするのは抵抗があった。傷つけてしまったかなと思ったけど、美月さんは気にしていないかのように余裕綽々と言った様子で言葉を返してくれた。
でも、どうやら美月さんは、わたしが警戒したから名前を言わなかったと捉えたようだ。
「それで、あなたはどうしてこのバスに?」
「えっと、それはおばあちゃんのお見舞いに行くので」
「そういえば、このバスは病院行きでしたか。えらいですね。おばあちゃんのお見舞いに行くなんて」
「いえ、前まではそんなに行ってなかったんです。毎日行くようになったのはここ最近です」
「へぇ。それまた何故?」
その疑問を聞いて、わたしはまた言葉に詰まる。その理由を正直に言ってしまえば、多分、この人を困らせるだろう。自分がそろそろ死ぬなんて、ただ、相手に無駄な気遣いをさせるだけだし、わたしの場合は余命宣告をされたわけじゃない。根拠のない直観だ。だけれど何となく――、
「わたし、多分もうすぐ死ぬんです」
何となく、隣に座っている彼女になら不思議と話してもいいかなと思った。
「一か月前、血を吐きました。それから事あるごとに体調が悪くなるし、今日も心臓が破裂しそうなくらい痛くなったし、な、名前が……自分の名前が分からなくなったんです」
わたしは、美月さんの顔が見えなかった。いや、見たくなかったの方が正しいのかもしれない。俯きながら話す私の視界には美月さんの黒いスカートから下しか見えない。それでも、わたしの言葉は堰を切ったように止まらなかった。
「わたし、その時――自分が死ぬってことを悟った時、気づいちゃったんです。わたしは、何も返せてない。友達にも、家族にも、昔よく面倒を見てくれたおばあちゃんにも。それどころか、迷惑ばっかりかけてきたって」
隣の美月さんの顔が見れない。こいつは何を言っているんだという顔をされていたら嫌だ。美月さんはどんな顔をしているんだろう。顔があげれず、自分の
「だから、せめてわたしが死ぬまでに何か、返せたらなって」
「…………」
美月さんは、終始無言だった。そして、わたし達の他には誰もいないのでバスに沈黙が落ち、バスの駆動音だけがやけに響いた。
「それは……」
「それは、凄いですね」
「へ?」
すごい、と美月さんは言った。正直、引かれるかと思っていたので少し……いや、かなり驚いた。
「死ぬと分かっていて、そこまで前向きになれるのはすごいと思いますし、わたしは尊敬します」
「そう、ですか。それは少し照れますね」
美月さんの表情からは、お世辞を言っているように見えない。美月さんは、どこか遠くの誰か、あるいは誰かと誰か。その人たちを思い出しているかのような遠い目で優しい笑みを浮かべていた。
「はい。暗い話はここまで。次は、明るい話をしましょう。バスも着くまで、まだ掛かりそうですしね。お題は、そうですね…………何かありますか?」
彼女はパン、と手を叩いて話を打ち切って、話を振ってくる。ならばとわたしは、ずっと気になっていることを美月さんに聞いた。
「えぇっと……それじゃあ、その腕輪について聞いてもいいですか?それって多分ですけど『収納ちゃん』ですよね」
わたしは、美月さんのセーラー服の袖の下から除く白いリングを見ながら言う。
「――知ってるんですか?」
「知ってるも何も、今ニュースはそれで、もちきりですよ。確か、原子操作技術?ってやつで……開発者は……」
「西野海斗?」
「そう、その人です」
「なるほど…………」
すると、美月さんは顎に手を当て、何かを考えこむように黙ってしまった。彼女の容姿がすごく良いのも相まって、凄く様になっている。
「えっと、大丈夫ですか?」
ピタリとも動かなくなった美月さんに声をかける。
「えぇ、大丈夫です。ちょっと、行くところが増えただけですから。それに、どうやら着いたようですよ?」
美月さんがそう言うのと同時に、バスは止まった。どうやら、話すのに夢中で、バスのアナウンスを聞きそびれていたらしい。
「運転手さんの迷惑にもなりますし、さっさと降りましょうか」
そう言って、わたし、美月さんの順でバスを降りると、心地よい風が吹いてきた。そしてまた、隣の美月さんから雨のにおいがする。わたし達は歩きながら、病院に入っていく。
病院に入ると、病院特有の消毒液のアルコールのにおいがした。
「美月さんも、お見舞いに?」
「いえ、私は人探しですね。ここにいるような気がするんです。と言っても、相手が誰かすら分からないんですけどね」
そう言う美月さんは、頬をポリポリと書きながら苦笑する。
「まぁ、その前に飲食スペースでご飯ですかね。買ったのに色々あってお昼をまだ食べてないので」
「じゃあ、ここでお別れですね」
「はい。機会があったら、またお話ししましょう」
そう言って、わたしが向かう予定とは別の方向に歩き出した。彼女を見送りながら、私は気づく。飲食スペースはそっちじゃない。
「あっ、飲食スペースはそっちじゃ……って、もう行っちゃった」
気づいた時には既に、曲がり角を曲がるところだった。追いかけようかとも思ったが、この病院はそこまで広いわけでもないし、確かあっちの方にも館内地図があるので大丈夫……だと思う。
「わたしも、行かないと」
そう独り言をつぶやいて、わたしはおばあちゃんの病室に向かって歩き出した。




