第三章 七不思議の放課後(中編)
天井裏から聞こえた一音。
それは確かにピアノに似ていた。しかし、遥の耳には鍵盤を叩く音ではなく、何かが共鳴しているようにも聞こえた。
「エデンさん、本当に上?」
葵は点検口を見上げたまま、小さく息をのんだ。
「うん。」
遥は静かにうなずく。
「音が少し遅れて響いてた。ピアノそのものじゃなくて、別の場所で鳴った音が反響したんだと思う。」
「そんなこと分かるんだ……。」
「たまたまだよ。」
遥は教室の隅に置かれた木製の脚立を見つけた。
「これ、使わせてもらおう。」
二人で脚立を運び、点検口の真下に立てる。
「私が上る。」
「危なくない?」
「葵、押さえていてくれる?」
「もちろん!」
葵が脚立をしっかり支える。
遥は慎重に上り、点検口をゆっくり押し上げた。
ギィ……。
古い蝶番が小さく鳴る。
屋根裏は薄暗く、木の匂いと長年積もった埃が漂っていた。
懐中電灯で照らすと、古い楽譜の箱や壊れた譜面台、使われなくなった椅子が並んでいる。
「何かある?」
下から葵が声をかける。
「少し待って。」
遥はゆっくり中へ入り、足元を確かめながら進む。
すると、屋根裏の窓が半分ほど開いていることに気付いた。
風が吹くたび、窓枠に掛けられた古い金属製のフックが揺れ、梁に軽く当たっていた。
――カン……。
乾いた音が響く。
しかし、それは先ほど聞いたピアノの音とは違う。
「違う……。」
遥は小さくつぶやく。
さらに奥へ進むと、一本だけ細い糸のようなものが垂れているのが見えた。
「……糸?」
指でそっとつまむ。
透明なナイロン糸だった。
その先は床板の隙間へ伸びている。
「葵!」
「なに?」
「音楽室のピアノの右側を見て!」
葵はピアノへ駆け寄る。
「右側?」
「床をよく見て。」
しばらくして、葵が声を上げた。
「あった!」
「何が?」
「小さな穴!」
遥は屋根裏から糸を少し引いてみる。
その瞬間。
――ポーン。
音楽室に、あの音が響いた。
「鳴った!」
葵が驚いて振り返る。
遥はすぐに屋根裏から降りてきた。
「やっぱり。」
「どういうこと?」
遥はピアノの側面を指差した。
「糸が鍵盤につながってる。」
「えっ!?」
よく見ると、黒いピアノの側面に細いナイロン糸が沿うように張られていた。
光が当たらなければ気付かないほど細い。
その糸は床の穴を通り、屋根裏まで続いていたのだ。
「誰かが引っ張れば、鍵盤が動く。」
「じゃあ……。」
葵は辺りを見回す。
「誰かがわざと?」
遥はゆっくりうなずく。
「七不思議を作ろうとしたのかもしれない。」
その時だった。
廊下から、小さな足音が聞こえた。
コツ……コツ……。
二人は同時に扉の方を見る。
誰かが、音楽室の前を走り去っていく。
「待って!」
葵は勢いよく廊下へ飛び出した。
遥も続く。
しかし、廊下には誰もいない。
階段を下りる音だけが、遠くで響いていた。
葵は悔しそうに手すりを握る。
「逃げられた……。」
遥は床に目を落とした。
そこには、小さな紙片が一枚落ちている。
拾い上げると、古い楽譜の切れ端だった。
裏には鉛筆で小さく文字が書かれている。
「もう一度だけ、ここで弾きたかった。」
葵はその文字を見つめた。
「……これって。」
遥は静かに紙をたたむ。
「悪ふざけだけじゃない。」
「え?」
「この人には、この音楽室に戻ってきた理由がある。」
夕暮れの校舎に風が吹き抜ける。
七不思議の正体は、単なるいたずらではなかった。
そこには、誰にも話せなかった一人の生徒の想いが隠されていた。
遥は窓の外を見つめながら、小さくつぶやく。
「明日、その理由を探そう。」
その言葉に、葵は力強くうなずいた。
「うん。今度こそ、本当の答えを見つけよう。」
――第三章・後編へ続く――




