第三章 七不思議の放課後(前編)
四月の終わり。
新緑が校庭を鮮やかに染め、放課後になると運動部の掛け声が校舎中に響き渡るようになった。
あの日、文芸部の「消えた部費事件」を解決してからというもの、上乃園遥と神原葵のもとには、小さな相談事が自然と集まるようになっていた。
「エデンさん。」
「うん?」
「また相談だって。」
昼休み、葵が苦笑しながら廊下を指差す。
一年生の女子生徒が、こちらを気にしながら立っていた。
遥が近づくと、その生徒は緊張した様子で頭を下げた。
「あの……少し、お話できますか?」
「もちろん。」
三人は人気の少ない中庭へ移動した。
女子生徒は何度か周囲を見回し、小さな声で話し始める。
「夜の旧校舎で……ピアノが鳴るんです。」
葵の目が輝く。
「やっぱり本当なんだ!」
遥は苦笑した。
「落ち着いて。」
女子生徒は慌てて続ける。
「私だけじゃありません。吹奏楽部の先輩も聞いたって……。」
「いつ頃?」
「午後六時くらいです。」
「誰か弾いていた?」
「誰もいませんでした。」
葵は思わず身を乗り出す。
「つまり幽霊!」
「まだそう決まったわけじゃないよ。」
遥は穏やかな口調で言う。
「音には必ず原因があるから。」
女子生徒は少し安心したように息をついた。
「調べてもらえますか?」
「うん。」
遥は静かにうなずいた。
「でも、噂を広げる前に、本当に何が起きているのか確かめよう。」
◇
その日の放課後。
二人は職員室を訪れ、旧校舎へ入る許可をもらっていた。
「気を付けるんだぞ。」
佐伯先生は苦笑する。
「壊れた床もあるから。」
「ありがとうございます。」
葵は先生から受け取った鍵を見つめた。
「旧校舎なんて初めて入る。」
「私も。」
今は使われていない木造校舎。
十年以上前まで校舎として使われていた建物で、現在は資料室や倉庫として利用されているだけだった。
夕暮れの光を浴びた旧校舎は、どこか時間が止まったような雰囲気をまとっている。
鍵を開けると、古い木の香りが漂ってきた。
「思ったより怖くないね。」
葵が言う。
「昼だからかな。」
廊下は静かだった。
歩くたびに床板がきしむ。
窓から差し込む光の中で、小さな埃がゆっくりと舞っていた。
二階へ続く階段を上る。
目的の音楽室は、その突き当たりにあった。
扉には古びたプレートが残っている。
――音楽室。
遥はゆっくり扉を開けた。
部屋の中央には、一台のアップライトピアノ。
長い年月を感じさせる黒い塗装は少しくすみ、鍵盤にも細かな傷が残っていた。
窓際には古い譜面台。
壁には色あせた音楽家の肖像画。
どれも時が止まったままのようだった。
「ここで鳴るんだ……。」
葵が小さくつぶやく。
遥は部屋を見回した。
窓は閉まっている。
床には新しい足跡もない。
ピアノのふたには薄く埃が積もっていた。
「誰も最近は弾いていないみたい。」
「じゃあ、どうして……。」
その時だった。
――ポーン……
静かな部屋に、たった一音だけピアノの音が響いた。
葵は肩を震わせる。
「えっ!?」
二人は同時にピアノを見る。
誰もいない。
鍵盤も動いていない。
部屋には風もない。
もう一度。
――ポーン……
今度は少し高い音だった。
葵は思わず遥の制服の袖をつかむ。
「エ、エデンさん……。」
「大丈夫。」
遥も驚いていた。
それでも目をそらさず、静かに音のした方向を見つめる。
「……あれ?」
遥はゆっくり天井へ視線を向けた。
「葵。」
「な、何?」
「音……ピアノじゃない。」
「え?」
「上から聞こえた。」
音楽室の真上には、小さな屋根裏部屋がある。
そこは昔、楽器の保管庫として使われていた場所だった。
遥は天井の隅に、小さな点検口があることに気付く。
「原因は、あそこかもしれない。」
葵も見上げる。
「じゃあ……。」
二人は顔を見合わせた。
夕日が少しずつ傾き、音楽室は静かな橙色に包まれていく。
七不思議だと思われていた「夜のピアノ」。
その正体は、すぐそこに隠されているのかもしれなかった。
(第三章・中編へ続く)




