表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/31

第三章 七不思議の放課後(後編)


 翌日の放課後。


 遥と葵は、昨日拾った楽譜の切れ端を机の上に並べていた。


 裏面には鉛筆で書かれた一文。


 「もう一度だけ、ここで弾きたかった。」


 たったそれだけの言葉だった。


 だが、遥は何度読み返しても、悪意よりも後悔がにじんでいるように感じていた。


「エデンさん。」


 葵が静かに口を開く。


「やっぱり、この字を書いた人を探そう。」


「うん。」


「七不思議を作りたかっただけなら、こんなこと書かないもんね。」


 遥は小さくうなずいた。


 まず二人が向かったのは図書室だった。


 旧校舎に関する資料や学校新聞を調べるためである。


 司書の先生に事情を話すと、古いアルバムや学校史を見せてもらうことができた。


「旧校舎の音楽室は、十年前まで合唱部や吹奏楽部も使っていたんですよ。」


 ページをめくると、古い音楽室の写真が載っている。


 そこには、今も置かれているアップライトピアノが写っていた。


「あ。」


 葵が写真の下を指さした。


 『卒業記念演奏会』


 という文字がある。


「毎年やってたんだ。」


 さらに読み進めると、一つの記事で遥の指が止まった。


 『最後の卒業記念演奏会は、担当生徒の体調不良により中止』


「中止……。」


 遥が小さくつぶやく。


 記事には名前までは載っていなかった。


 しかし、その出来事が誰かの心に残り続けていたとしても、不思議ではない。


     ◇


 二人は音楽科の教師である長谷川先生を訪ねた。


「旧校舎の演奏会ですか。」


 先生は懐かしそうに目を細める。


「覚えていますよ。」


「担当していた生徒さんは、どんな方だったんですか?」


 先生は少し考えてから答えた。


「三年生の女の子でした。」


「演奏会の数日前に大きなけがをしてしまってね。」


「けが……。」


「手首を痛めてしまって、どうしてもピアノが弾けなかった。」


 葵は思わず息をのむ。


「そのまま卒業してしまったんですか?」


「ええ。」


 先生は静かにうなずいた。


「本人が一番悔しかったでしょう。」


 その言葉を聞いた瞬間、遥の中でいくつかの点が一本の線につながった。


     ◇


 その日の夕方。


 二人は再び旧校舎の音楽室を訪れた。


 夕日は昨日と同じように教室を橙色に染めている。


 遥はピアノの前に立った。


「葵。」


「うん。」


「昨日の糸は誰かが最近張ったもの。」


「そうだね。」


「でも、この楽譜は古かった。」


「……つまり?」


「最近ここへ来た人は、昔この学校にいた人かもしれない。」


 その時だった。


 廊下から小さな物音が聞こえた。


「誰かいる。」


 葵が飛び出す。


 廊下の先には、一人の女性が立っていた。


 二十代半ばほどだろうか。


 手には花束が抱えられている。


「あ……。」


 女性は驚いたように立ち止まった。


「すみません。」


 遥が穏やかに声をかける。


「この音楽室へ来られた理由を、お聞きしてもいいですか。」


 女性は少し黙ったあと、小さく笑った。


「隠しても仕方ありませんね。」


 ゆっくりと音楽室へ入る。


「私は、この学校の卒業生です。」


 ピアノを見つめるその表情は、とても優しかった。


「十年前、このピアノで卒業演奏をするはずでした。」


 やはり――。


 遥は確信した。


「でも、けがをしてしまって。」


 女性は右手首に視線を落とした。


「最後まで弾けなかったんです。」


 葵が静かに尋ねる。


「昨日の糸は……。」


 女性は申し訳なさそうに頭を下げた。


「私です。」


「どうしてそんなことを?」


「夜なら誰もいないと思って……。」


 声が少し震える。


「もう一度だけ、この音楽室に音を響かせたかったんです。」


「でも、ピアノを弾く許可は取っていなかった。」


「はい。」


「だから屋根裏から糸を使って……。」


「子どもみたいですよね。」


 女性は苦笑した。


「本当は昨日で終わりにするつもりでした。」


 音楽室に静寂が訪れる。


 責める人は誰もいなかった。


 遥はゆっくりと言う。


「弾きたかった気持ちは、きっと誰も笑いません。」


 女性は顔を上げた。


「でも、方法は間違っていました。」


 その一言に、女性は目を潤ませる。


「……はい。」


「学校へ事情を話しましょう。」


 遥は続けた。


「許可をもらって、昼間にこのピアノを弾けばいいと思います。」


「え?」


 女性は驚いたように目を見開く。


「思い出を、七不思議にしなくてもいい。」


 葵も大きくうなずいた。


「そうです! 本物の演奏のほうが、ずっと素敵です!」


     ◇


 一週間後。


 学校の許可を得て、旧校舎の音楽室で小さな演奏会が開かれた。


 聴いていたのは先生たちと文芸部員、それから数人の生徒だけ。


 それでも音楽室いっぱいに響くピアノの音は、十年間止まっていた時間をゆっくり動かしていくようだった。


 最後の一音が消えると、静かな拍手が響く。


 女性は深く頭を下げた。


「ありがとうございました。」


 その笑顔には、もう後悔の色はなかった。


     ◇


 帰り道。


 夕焼けに染まる桜並木を歩きながら、葵が笑う。


「今回も幽霊じゃなかったね。」


「うん。」


「でも、ちょっとだけ信じそうになった。」


 遥は思わず笑う。


「私も。」


 二人は顔を見合わせる。


「エデンさん。」


「なに?」


「学校の七不思議って、怖い話じゃなくて、人の思い出なのかもしれないね。」


 遥は空を見上げた。


 春の風が木々を揺らし、若葉が柔らかく音を立てる。


「そうかもしれない。」


 そのとき、二人の後ろから誰かが走ってきた。


「エデンさん!」


 振り返ると、生徒会書記の女子生徒が息を切らしていた。


「探しました!」


「どうしたの?」


「生徒会長から相談があります。」


「相談?」


「体育祭を前に、大切な優勝旗が保管庫から消えてしまったんです。」


 葵は目を輝かせる。


「新しい事件!」


 遥は苦笑しながらも、小さくうなずいた。


「まずは話を聞こう。」


 人の数だけ悩みがあり、学校には今日も小さな謎が生まれる。


 それらを解くたびに、遥と葵は少しずつ成長し、周囲との絆を深めていく。


 「エデンさん」と呼ばれる少女と、春風のような転校生の物語は、まだ始まったばかりだった。


              ――第三章 完――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ