第十章 エデンさんの答え(中編)
図書室には、放課後特有の静けさが流れていた。
窓から差し込む夕日が、本棚を柔らかな橙色に染めている。
遥は、司書の先生から受け取った古いノートを両手でそっと開いた。
少し色あせた最初のページ。
そこには、丁寧な文字でこう書かれていた。
『未来のエデンさんへ。』
遥は思わず息をのむ。
葵も隣から静かにページをのぞき込んだ。
「……手紙みたい。」
遥は小さくうなずく。
「うん。」
ページをめくる。
そこには、数年前に卒業した文芸部の先輩、雨宮千紘が残した言葉が綴られていた。
⸻
『もしこのノートを読んでいる人がいるなら、その人はきっと文芸部を大切に思ってくれている人でしょう。』
『この学校には、昔から「エデンさん」という呼び名があります。』
『それは、一人の人を指す名前ではありません。』
『誰かが安心して集まれる場所を作る人。困っている人に自然と手を差し伸べられる人。そんな人へ、いつしか受け継がれる愛称になりました。』
⸻
ページをめくる手が止まる。
葵が静かにつぶやいた。
「だから……。」
「みんなが遥をエデンさんって呼ぶんだ。」
遥はゆっくりとうなずく。
今まで何気なく呼ばれていた名前。
その呼び名には、自分が知らなかった歴史があった。
◇
さらにページをめくると、文化祭展示について書かれた記録が現れた。
そこには毎年、来場者が一枚のカードへメッセージを書き、掲示板へ貼るという伝統が紹介されていた。
題名は――
『あなたの居場所』
「これ……。」
葵が目を丸くする。
「今年の展示パネルに書いてあった言葉と似てる。」
遥も気付く。
「展示パネルは、この伝統を復活させたかったんだ。」
つまり、なくなった一枚のパネルは展示物ではなく、文化祭当日に完成する最後の一枚だったのだ。
◇
二人はノートを抱えて文芸部の部室へ向かった。
部長の美咲へ内容を伝えると、驚いた表情になる。
「そんな意味があったなんて……。」
美咲は展示パネルを見つめた。
「今年は、その伝統を復活させよう。」
「来てくれた人にも参加してもらえる展示にしたい。」
部員たちも次々とうなずく。
「面白そう!」
「やろう!」
部室は一気に活気づいた。
◇
その日の帰り道。
校門を出る頃には、夕焼けが街を赤く染めていた。
文化祭まで、あと一週間。
二人は並んで歩く。
「ねえ、遥。」
葵が穏やかな声で話しかける。
「なに?」
「今日のノート、読んでどう思った?」
遥は少し空を見上げる。
「びっくりした。」
「私一人の呼び名だと思ってたから。」
「でも違った。」
「うん。」
葵は笑顔になる。
「でもね。」
「私にとって『エデンさん』は、やっぱり遥なんだ。」
その言葉に、遥は少し照れたように笑う。
「ありがとう。」
「でも。」
遥は葵の方を見る。
「葵だけは。」
「これからも『遥』って呼んで。」
葵は一瞬驚いたあと、優しく笑った。
「もちろん。」
「そのための特別だから。」
遥も自然と笑顔になる。
夕焼けの中を歩く二人の歩幅は、ぴったりと揃っていた。
◇
翌日。
文化祭前最後の実行委員会。
展示パネルの準備は順調に進んでいた。
その時、一年生の女子生徒が慌てて部室へ駆け込んでくる。
「上乃園先輩!」
「神原先輩!」
「大変です!」
遥と葵は同時に振り返った。
「どうしたの?」
「文化祭で使うタイムカプセルが……。」
女子生徒は息を整えてから続けた。
「なくなりました!」
部室の空気が一瞬で張りつめる。
文化祭前日に起きた、最後の謎。
それは、遥と葵がこれまで積み重ねてきた経験のすべてを試す出来事になろうとしていた。
(第十章・後編へ続く)




