第十章 エデンさんの答え(後編)
「文化祭で使うタイムカプセルが……。」
一年生の女子生徒は息を整え、青ざめた表情で続けた。
「なくなりました!」
その一言で、文芸部の部室は静まり返った。
「なくなった……?」
美咲が思わず立ち上がる。
「さっきまでここにあったはずなのに。」
部室の奥には、木箱を置くために空けていたスペースだけが残されていた。
文化祭企画『未来の自分へ』で使用するタイムカプセル。
来場者が未来の自分へ宛てた手紙を入れ、卒業まで学校で保管する予定の、大切な木箱だった。
「誰か動かしたんでしょうか。」
一年生の部員が不安そうに辺りを見回す。
「私たち、誰も触ってないです。」
美咲も首を横に振る。
「昼休みに最終確認したときは、確かにここにあったの。」
遥は慌てる様子もなく、木箱が置かれていた場所へ歩み寄った。
その場にしゃがみ込み、静かに床へ目を向ける。
「遥。」
葵が隣へ来る。
「何か分かった?」
遥はすぐには答えず、部屋全体を見渡した。
本棚。
展示パネル。
机。
どれも整然と並んでいる。
荒らされた形跡は、どこにもなかった。
「……。」
遥は小さく息をつく。
「盗まれたとは思えない。」
「え?」
部員たちが一斉に遥を見る。
「どうして?」
葵が尋ねる。
「盗むつもりなら。」
遥は静かな声で話し始めた。
「急いで持ち出すはずです。」
「でも、この部屋は何も乱れていません。」
美咲も周囲を見回す。
「本当だ……。」
「展示もそのまま。」
「机も動いてない。」
遥は木箱があった場所の床へ指を伸ばした。
「それに。」
「これ。」
指先でつまみ上げたのは、小さな木くずだった。
葵がのぞき込む。
「木くず?」
「タイムカプセルの木材と同じ色。」
さらに床を見ると、小さな木くずが点々と廊下の方へ続いている。
「運んだときに落ちたんだ。」
葵がつぶやく。
遥はうなずいた。
「木箱を抱えて運べば、このくらい落ちても不思議じゃない。」
「じゃあ、木くずを追えば……。」
「行き先が分かるかもしれない。」
二人は廊下へ出た。
木くずは部室を出て右へ。
文化祭準備のため、廊下には段ボールや装飾品が並べられ、生徒たちが忙しそうに行き交っている。
「昨日も、この辺りはこんな感じだったね。」
葵が思い出すように言う。
「うん。」
遥は静かにうなずく。
「文化祭の備品もたくさん運ばれていた。」
木くずを追いながら歩いていくと、階段の手前でぴたりと途切れた。
「ここで終わってる。」
葵が首をかしげる。
「どういうこと?」
遥は階段の踊り場から一階を見下ろした。
そこには文化祭で使う備品が次々と台車へ積み込まれている。
木箱。
パネル。
長机。
どれも似たような大きさだ。
その光景を見た瞬間、遥の表情がわずかに変わった。
「そうか……。」
「分かった。」
「え?」
葵が驚いて振り向く。
遥は小さく微笑んだ。
「これは事件じゃない。」
「文化祭準備だから起きた、勘違いかもしれない。」
葵もその視線の先を見て、はっと息をのむ。
「もしかして……。」
「文化祭の備品と一緒に運ばれた?」
遥は静かにうなずいた。
「その可能性が一番高い。」
「まずは文化祭倉庫を確認しよう。」
二人は顔を見合わせる。
「行こう、遥。」
「うん、葵。」
夕暮れの校舎を駆け抜けながら、二人は最後の謎を追い始めた
文化祭で使用する倉庫は体育館裏にある古いプレハブ倉庫だった。
翌日の文化祭に向けて、机や椅子、テント、看板などが所狭しと並べられている。
倉庫の前には、生徒会役員たちが忙しそうに荷物を整理していた。
「すみません。」
遥が声を掛ける。
「昨日、この倉庫へ運ばれた荷物のことを教えていただけますか?」
生徒会長の佐伯が振り返った。
「あれ、エデンさん。」
「どうかした?」
「文芸部のタイムカプセルが見当たらないんです。」
その言葉に、佐伯は驚いた表情を浮かべる。
「タイムカプセル?」
「木箱だったよね?」
「はい。」
「昨日の夕方まで部室にありました。」
佐伯は腕を組んで考え込む。
「昨日は荷物が多かったからなぁ……。」
その横で備品係の一年生が小さく手を挙げた。
「あの……。」
「昨日、木箱を一つ運びました。」
全員の視線が集まる。
「先生に『この箱も文化祭で使う備品だから倉庫へお願い』って言われて……。」
「どんな箱だった?」
葵が尋ねる。
「茶色い木箱です。」
「持つと意外と重くて……。」
遥と葵は顔を見合わせた。
「間違いない。」
遥が静かに言う。
「その箱です。」
◇
一同は倉庫の奥へ向かった。
高く積まれた段ボールの陰に、文化祭で使う備品が並べられている。
「この辺だったと思うんだけど……。」
一年生が段ボールを一つずつ動かしていく。
「これじゃない。」
「こっちも違う。」
葵も一緒になって箱を運ぶ。
「遥!」
「こっち見て!」
倉庫の一番奥。
展示用パネルの裏に、ひときわ大きな木箱が見えていた。
遥は静かに近づく。
箱の側面には、白い紙が貼られている。
文芸部 タイムカプセル
その文字を見た瞬間、美咲は大きく息を吐いた。
「あった……。」
「本当にあった……!」
部員たちから安堵の声が上がる。
備品係の一年生は何度も頭を下げた。
「本当にごめんなさい!」
「文芸部の荷物だって知らなくて……。」
遥は穏やかに首を横へ振った。
「謝らなくて大丈夫です。」
「誰も悪くありません。」
「文化祭前は荷物がたくさんありましたから。」
葵も笑顔で続ける。
「見つかったんだから、それで十分!」
張り詰めていた空気が一気に和らぎ、倉庫には笑顔が戻った。
◇
翌朝。
文化祭当日。
校門が開くと同時に、地域の人たちや保護者、他校の生徒たちが次々と校内へ入ってくる。
文芸部の展示室も、朝から多くの来場者でにぎわっていた。
壁には歴代部誌。
創作ノート。
そして中央には、新しい企画。
『未来の自分へ手紙を書いてみませんか』
見つかったタイムカプセルは、展示室の中央に大切に置かれていた。
「思った以上に書いてくれる人が多いね。」
葵がうれしそうに言う。
小学生が夢を書き、高校生が将来の目標を書き、卒業生が「あの頃の自分」へ向けた言葉を残していく。
一枚、また一枚。
未来への手紙が木箱の中へ重なっていった。
◇
昼過ぎ。
展示室へ、一人の白髪の女性がゆっくりと入ってきた。
展示を見回したあと、創作ノートの前で立ち止まる。
「懐かしいわ。」
美咲が声を掛ける。
「文芸部の卒業生ですか?」
「ええ。」
女性は穏やかに笑った。
「四十年くらい前のね。」
部員たちは驚いた表情を浮かべる。
「昔も『エデンさん』って呼び名があったんですか?」
女性はゆっくりとうなずいた。
「ありましたよ。」
「困っている人のために動いて、みんなが自然と集まる人。」
「そんな人へ贈られる名前でした。」
そして、遥の前まで歩いてくる。
「あなたが、今のエデンさんなのね。」
遥は少し照れながら答える。
「はい。」
女性は優しく微笑んだ。
「この名前はね。」
「特別な人だけがもらう名前じゃないの。」
「誰かを思いやる心が、受け継がれていく証なのよ。」
その言葉を聞いた遥は、静かにうなずいた。
「……はい。」
胸の奥が、少し温かくなる。
「エデンさん」という呼び名の意味が、ようやく自分の中で一つにつながった気がした。
◇
文化祭は、大成功のうちに幕を閉じる。
文芸部の展示は「今年一番心に残った展示」として、生徒会から表彰されることになった。
エピローグ ――帰り道、その先へ――
文化祭が終わった校舎は、昼間のにぎわいが嘘のように静かだった。
夕日に照らされた廊下を、生徒たちが笑顔で帰っていく。
「お疲れさまでした!」
「また来年ね!」
あちこちで聞こえる声に、遥も小さく頭を下げる。
「お疲れさまでした。」
その隣には、いつものように葵がいた。
「やっと終わったね、遥。」
「うん。」
二人は顔を見合わせ、思わず笑った。
春に出会った頃は、こんなふうに自然と隣を歩くことになるなんて想像もしていなかった。
◇
昇降口で靴を履き替えると、一年生たちが声を掛けてきた。
「エデンさん!」
「文化祭、大成功でした!」
「展示、すごく感動しました!」
遥は少し照れながら微笑む。
「ありがとうございます。」
「みんなが協力してくれたおかげです。」
一年生たちは笑顔で手を振り、それぞれの帰り道へ歩いていく。
その様子を見送っていた葵が、小さく笑った。
「やっぱり人気者だね。」
「そんなことないよ。」
「あるよ。」
葵は少しだけいたずらっぽく笑う。
「みんなにとっては『エデンさん』。」
「でも。」
遥はその続きを知っているように、優しく笑った。
「葵にとっては?」
葵は少し照れながら答える。
「……遥。」
「それが一番しっくりくる。」
遥の頬に、柔らかな笑みが広がった。
「ありがとう。」
二人は校門をくぐり、夕焼けに染まる道を歩き始める。
◇
川沿いの遊歩道では、秋風がすすきを揺らしていた。
季節はもう、春でも夏でもない。
少しずつ、新しい季節へ移り変わろうとしている。
「春に転校してきて。」
葵が空を見上げながら言う。
「最初は知ってる人なんて誰もいなくて、不安だった。」
遥は静かに耳を傾ける。
「でも。」
「今は、この学校へ来て本当によかったって思う。」
「……私も。」
遥はゆっくりとうなずいた。
「葵が来てくれたから。」
「毎日が前より少し楽しくなった。」
二人はしばらく何も話さず歩いた。
心地よい沈黙だった。
◇
橋の上まで来ると、葵がふと立ち止まる。
「ねえ、遥。」
「なに?」
「私たち、いろんなことがあったね。」
「落とし物を探したり。」
「図書館へ行ったり。」
「創作ノートも。」
「優勝旗も。」
「夏祭りも。」
「文化祭も。」
一つひとつ思い返すたび、自然と笑みがこぼれる。
遥も静かに笑った。
「全部、大切な思い出。」
「うん。」
葵は夕焼けの空を見上げる。
「でもさ。」
「まだ終わりじゃないよね。」
遥も同じ空を見上げた。
「うん。」
「これからも続いていく。」
◇
その時、遥のスマートフォンが小さく震えた。
一通のメールが届いている。
差出人には、見覚えのない名前。
件名は、短く一行だけだった。
『文芸部へ寄贈した本について、お話があります。』
遥はメールを開こうとして、一度だけ画面を閉じる。
「どうしたの?」
葵が不思議そうに尋ねる。
遥は微笑みながらスマートフォンをしまった。
「たぶん。」
「また、新しい出来事が始まりそう。」
葵は目を輝かせる。
「じゃあ。」
「今度も一緒に考えよう。」
「うん。」
遥は迷いなく答えた。
「一緒に。」
二人は再び歩き出す。
夕焼けの空は少しずつ茜色から群青色へ変わり、一番星が静かに輝き始めていた。
春に始まった物語は、一つの区切りを迎えた。
けれど、それは終わりではない。
人の想いがある限り、小さな謎は生まれ、誰かの優しさが新しい物語を紡いでいく。
そして、その隣にはいつも——。
「帰ろう、遥。」
「うん、葵。」
二人は並んで歩き続ける。
その背中を、優しい秋風がそっと包み込んでいた。
⸻
第一部 完
『エデンさん ~春風と転校生~』
そして、物語は新たな季節へ。
第二部『エデンさん ~秋空と約束の栞~』へ続く。




