第十章 エデンさんの答え(前編)
九月。
長かった夏休みが終わり、学校には再びにぎやかな日常が戻ってきた。
校門をくぐると、どこからか金木犀の甘い香りが風に乗って漂ってくる。
季節は、ゆっくりと秋へ向かっていた。
「おはよう、エデンさん!」
一年生が笑顔で手を振る。
「おはようございます、上乃園さん。」
先生とも挨拶を交わしながら、遥は教室へ向かう。
扉を開けると、窓際から明るい声が聞こえた。
「おはよう、遥。」
葵だった。
その声を聞くだけで、遥の表情は自然と柔らかくなる。
「おはよう、葵。」
席へ向かうと、葵が机の上へ一冊のノートを置いた。
「はい。」
「これ。」
「文化祭実行委員の予定表。」
「ありがとう。」
遥が受け取ると、葵は少し得意そうに笑う。
「昨日のうちにまとめておいた。」
「すごい。」
「夏休み最終日に慌てたけどね。」
二人は思わず笑い合った。
そんな何気ない朝が、もう特別なものになっていた。
◇
昼休み。
文化祭実行委員会では、各クラスの準備が本格的に始まっていた。
「装飾班は放課後集合!」
「ポスターは今週中!」
校内は文化祭一色だ。
遥と葵も教室へ戻ろうとした、その時だった。
「エデンさん。」
振り返ると、文芸部部長の美咲が少し困った表情で立っていた。
「相談があるの。」
「どうしたんですか?」
「文化祭で展示する予定だった文芸部の展示パネルが、一枚だけ見つからないの。」
葵が首をかしげる。
「またなくなったんですか?」
「ううん。」
美咲は静かに首を振る。
「今回は、誰かが持ち出した形跡もない。」
「昨日の夕方まで確かにあったの。」
遥は少し考え込む。
「展示パネルだけ。」
「はい。」
「他は全部あります。」
部室へ向かうと、展示用のパネルが壁に立て掛けられていた。
しかし中央だけがぽっかりと空いている。
その場所には、小さな紙が一枚残されていた。
『最後の展示は、文化祭当日に。』
葵がその紙を見つめる。
「これって……。」
遥はゆっくりとうなずいた。
「悪意は感じない。」
「でも、理由がある。」
◇
放課後。
二人は部室で展示パネルの内容を確認していた。
残されていたパネルには、歴代部員の作品紹介や文化祭の写真が並んでいる。
すると、遥の視線が一枚の写真で止まった。
「……これ。」
写真には十年前の文化祭の文芸部展示が写っていた。
その片隅に、小さな木製の掲示板がある。
そこには手書きで、
『あなたにとって、大切な一冊は何ですか?』
と書かれていた。
「これだ。」
遥が静かにつぶやく。
「どうしたの?」
葵が隣へ来る。
「展示パネルは。」
「作品を見せるためじゃない。」
「文化祭に来た人へ、メッセージを届けるためのものだった。」
その時、部室の窓から秋風が吹き込み、一枚の付箋が机の下へ落ちた。
拾い上げると、そこには見覚えのある丁寧な文字。
『エデンさんへ。答えは図書室にあります。』
遥は思わず目を見開いた。
「この字……。」
葵も息をのむ。
「雨宮先輩?」
遥は小さくうなずいた。
「たぶん。」
雨宮千紘。
「エデンさん」という呼び名を初めて遥に贈った文芸部の先輩。
その人からの、新たなメッセージだった。
◇
放課後の図書室。
窓から差し込む夕日が本棚を赤く照らしている。
司書の先生は二人を見ると、優しく微笑んだ。
「待っていました。」
「私たちを?」
「ええ。」
先生はカウンターの下から、一冊の古いノートを取り出した。
表紙には、少し色あせた文字でこう書かれている。
『エデンさんへ』
遥は静かにノートを受け取る。
胸の鼓動が少しだけ速くなる。
そこには、これまで誰も知らなかった「エデンさん」という名前に込められた、本当の想いが綴られていた――。
(第十章・中編へ続く)




