第九章 夏のしおり(中編)
翌日の午前九時。
夏の日差しが街を明るく照らし始める頃、遥は駅前で待っていた。
ほどなくして、軽やかな足音とともに葵が駆け寄ってくる。
「お待たせ、遥!」
「おはよう、葵。」
笑顔を交わし、二人は文芸部部長・美咲から指定された市立図書館へ向かった。
館内は冷房が効いていて、外の暑さが嘘のように静かだった。
カウンターの前では、美咲が何冊かの古い本を抱えて待っていた。
「来てくれてありがとう。」
「どうしたんですか?」
遥が尋ねると、美咲は困ったように笑った。
「文芸部で文化祭の展示をすることになったでしょう?」
二人はうなずく。
「歴代の部誌を展示する予定だったんだけど、一冊だけ見つからないの。」
「また部誌ですか?」
葵が少し驚いたように言う。
「今回は創作ノートじゃなくて、二十年前の部誌なの。」
美咲は机の上へ一枚の貸出票を置いた。
「図書館で保管していたはずなんだけど、返却記録だけ残っていて、本がないの。」
遥は貸出票を手に取る。
日付は二十年前の八月十五日。
昨日見つけた古い写真の裏に書かれていた日付と同じだった。
「……同じ日。」
遥が小さくつぶやく。
「遥?」
葵がのぞき込む。
「昨日の写真。」
「『八月十五日、午後四時。本を返しに来ます。』って書いてあった。」
美咲も目を丸くした。
「偶然かな。」
「偶然かもしれません。」
遥は静かに言う。
「でも、一度調べてみたいです。」
◇
三人は郷土資料室へ案内された。
古い資料が整然と並ぶ静かな部屋だった。
司書が台帳を持ってきてくれる。
「二十年前の記録ですね。」
分厚い台帳をめくると、貸出履歴が丁寧な字で書き込まれていた。
その中に、一冊だけ赤い印が付いたページがある。
「これです。」
司書が指差した。
『文芸部創立二十周年記念誌』
返却欄には丸印がある。
しかし、保管場所の欄だけが空白になっていた。
「棚へ戻した記録がありません。」
美咲が困った顔になる。
「返却されたのに、本棚へ戻されなかった……。」
遥は台帳を見つめながら考える。
「誰かが意図的に持ち出したというより……。」
「戻す前に、別の場所へ保管されたのかもしれません。」
「別の場所?」
葵が首をかしげる。
「展示用とか?」
「可能性はあります。」
◇
図書館の職員と一緒に、展示用の保管庫を調べることになった。
古い段ボール箱がいくつも積まれている。
「これ、全部ですか。」
葵は思わず苦笑した。
「今日は運動の日になりそう。」
「焦らず一つずつ見よう。」
遥は箱のラベルを確認していく。
文芸。
郷土史。
寄贈資料。
夏休みの静かな時間の中、三人は少しずつ箱を開けていった。
一時間ほど経った頃。
「あった!」
葵が嬉しそうに声を上げる。
一冊の古い部誌が、展示用資料の箱の奥から姿を現した。
「これじゃない?」
美咲が表紙を見て笑顔になる。
「間違いない!」
「探していた部誌だ。」
司書も安心したように息をついた。
「展示準備のときに箱へ入ったままだったんですね。」
事件ではなかった。
長い年月の中で、保管場所が変わっただけだったのだ。
◇
図書館を出ると、強い日差しが二人を迎えた。
「見つかってよかったね。」
葵が空を見上げる。
「うん。」
遥もうれしそうに微笑む。
「小さな出来事だったけど。」
「誰かが困ったままにならなくてよかった。」
葵は笑いながら言う。
「遥らしい。」
「そうかな。」
「うん。」
「大きな事件じゃなくても、ちゃんと向き合うところ。」
遥は少し照れたように笑った。
そんな何気ない会話を交わしながら、二人は商店街へ向かって歩き出す。
夏休みの一日は、まだ終わらない。
このあと二人を待っている新しい出来事が、また一つ、思い出のしおりとして心に挟まれていくのだった。
(第九章・後編へ続く)




