第八章 夏空に咲く花火(後編)
祭りの明かりを背に、二人はゆっくりと神社の石段を下りていく。
さっきまで聞こえていた太鼓の音も、少しずつ遠ざかっていた。
夜風が心地よく吹き抜け、浴衣の裾を優しく揺らす。
葵は腕の中の白いうさぎのぬいぐるみを見つめ、自然と笑みを浮かべた。
「かわいい。」
そっと抱きしめるように持つ姿を見て、遥も微笑む。
「気に入ってもらえてよかった。」
「もちろん。」
葵は何度もうなずく。
「部屋の一番目立つ場所に飾る。」
「見るたびに今日のこと思い出せるから。」
その言葉に、遥は少し照れたように笑った。
「私も。」
遥は柴犬のぬいぐるみを大切そうに抱える。
「この子を見るたびに、葵が射的で喜んでた顔を思い出しそう。」
「えっ。」
葵は思わず笑い出す。
「そこ?」
「うん。」
「すごく嬉しそうだったから。」
「だって取れたんだもん!」
二人の笑い声が、静かな夜道へ溶けていく。
◇
帰り道は川沿いの遊歩道を選んだ。
祭り帰りの人たちも少しずつ家路につき始め、川面には花火の名残を映したような街明かりが揺れている。
「今日はいっぱい歩いたね。」
葵が夜空を見上げる。
「うん。」
「でも全然疲れてない。」
「楽しかったからかな。」
遥の言葉に、葵はうれしそうに笑う。
「私も同じ。」
少し歩いてから、葵がふと思い出したように言った。
「ねえ、遥。」
「なに?」
「去年の今頃って、何してた?」
遥は少し考える。
「本を読んでたかな。」
「家で?」
「うん。」
「夏祭りには?」
「行かなかった。」
「人が多いのが苦手だったから。」
葵は少し驚いたような表情を浮かべた。
「じゃあ今年は?」
遥は迷いなく答える。
「来てよかった。」
葵は足を止める。
「本当に?」
「うん。」
遥は優しく笑った。
「一人だったら来なかった。」
「でも、葵が誘ってくれたから。」
「こんなに楽しい夏祭りになった。」
その言葉を聞いて、葵は少し照れくさそうに笑う。
「私も。」
「遥と一緒だから、何をしても楽しかった。」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく笑みがこぼれた。
◇
橋の上まで来ると、夜風が少しだけ強く吹いた。
川面を渡る風は昼間の暑さを忘れさせるほど涼しい。
遥は手に持っていた柴犬のぬいぐるみを見つめる。
「大切にするね。」
「約束。」
葵もうさぎのぬいぐるみを抱き寄せる。
「私も。」
「絶対に大切にする。」
「もし何年後かに見つけたら。」
葵は笑いながら続けた。
「『あの夏祭りの日だ』って思い出す。」
「きっと。」
遥もうなずいた。
「忘れないと思う。」
夏の夜空には、花火の煙がまだ薄く残っていた。
◇
駅前まで戻ると、別れの時間が近づいていた。
「今日はありがとう。」
葵が笑顔で言う。
「こちらこそ。」
遥も笑顔で応える。
「また一緒に出かけよう。」
「うん。」
「今度はどこに行く?」
「水族館とか。」
「図書館もいいね。」
「あと、文化祭の準備もしなきゃ。」
「忙しくなりそう。」
二人は未来の予定を一つずつ挙げながら笑い合う。
別れ際。
葵は少しだけ名残惜しそうに言った。
「また連絡するね、遥。」
その呼びかけに、遥は自然な笑顔を返す。
「待ってるよ、葵。」
二人は手を振り、それぞれの帰り道へ歩き出した。
◇
その夜。
自宅へ帰った遥は、机の上へ柴犬のぬいぐるみをそっと飾った。
「今日はいろいろ楽しかったな。」
小さくつぶやくと、自然と笑みがこぼれる。
一方、葵も部屋の棚へ白いうさぎのぬいぐるみを飾っていた。
「おやすみ。」
そう声をかけて部屋の明かりを消す。
窓の外では、夏の虫たちが静かに鳴いている。
今日交わした約束も、笑い合った時間も、交換したぬいぐるみも。
どれも二人にとって、かけがえのない夏の思い出になった。
そして夏休みは、まだ始まったばかり。
新しい季節は、二人にどんな物語を運んでくるのだろう。
――第八章 完――




