表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/31

第五章 エデンさんの秘密(後編)


 翌日の朝。


 遥はいつもより少し早く学校へ着いた。


 昇降口を抜け、静かな廊下を歩く。


 制服のポケットには、昨日見つかった手紙が入っていた。


『君なら、きっと誰かの居場所になれる。』


 その筆跡は忘れるはずがない。


 一年生の頃、文芸部で何度も見た文字だった。


「本当に、先輩なの……?」


 思わずつぶやいたその時だった。


「おはよう、エデンさん!」


 背後から元気な声が響く。


 振り返ると、葵が両手を大きく振りながら走ってきた。


「おはよう。」


「昨日、ちゃんと眠れた?」


「少しだけ。」


「やっぱり考えちゃった?」


 遥は小さくうなずいた。


「うん。」


「でも、一人じゃないから。」


 その言葉に、葵は笑顔で胸を張る。


「もちろん!」


「今日は私も一緒。」


 二人は並んで教室へ向かった。


     ◇


 昼休み。


 遥と葵は文芸部の部室を訪れた。


 部長の美咲は部誌の整理をしていた。


「二人とも、どうしたの?」


 遥は事情を説明する。


 なくなった部誌。


 差出人不明の手紙。


 そして、一年前の文芸部の先輩について。


 美咲は静かに話を聞き終えると、本棚の奥から古い名簿を取り出した。


「これなら分かるかもしれない。」


 ページをめくる。


 一年前の部員一覧。


 その中に、一つの名前があった。


 雨宮千紘。


 遥の指が止まる。


「……雨宮先輩。」


 葵が名簿をのぞき込む。


「この人?」


「うん。」


「私に『エデンさん』って呼び始めた人。」


 美咲は少し驚いた表情を浮かべた。


「そうだったんだ。」


「卒業してから、一度も連絡は取っていません。」


「住所は?」


「個人情報だから残ってないの。」


 名簿には卒業年度だけが記されていた。


 手がかりは、それだけだった。


     ◇


 放課後。


 二人が校門へ向かって歩いていると、警備員が声をかけてきた。


「上乃園さん。」


「はい?」


「今日、お客さんが来ていたよ。」


「私にですか?」


「もう帰ってしまったけどね。」


 警備員は受付簿を見せてくれた。


 来校者名。


 雨宮千紘。


 葵が思わず声を上げる。


「えっ!」


 遥も目を見開く。


「先輩が……。」


「図書室へ寄って、そのまま帰られたよ。」


 二人は顔を見合わせ、急いで図書室へ向かった。


     ◇


 司書の先生は二人を見るなり、優しく笑った。


「間に合わなかったのね。」


「雨宮先輩、来ていたんですか?」


「ええ。」


「何か言っていましたか?」


 先生は机の引き出しから、小さな封筒を取り出した。


「これを預かっています。」


 遥は震える手で受け取る。


 中には、一枚の便箋。


 そして、小さなしおりが入っていた。


 しおりは文芸部で代々使われてきたものだった。


 便箋には、丁寧な文字でこう書かれている。


『突然会いに行ったら、きっと君は驚くと思った。だから手紙にしました。』


『エデンさんという名前は、誰よりも人の気持ちを大切にする君に贈ったものです。』


『でも、その名前に縛られないでください。』


『困っている人を助けることも大切。でも、自分が困ったときは、誰かを頼っていい。』


『君は、一人で頑張り過ぎるから。』


 遥は最後まで読み終えると、そっと目を閉じた。


 便箋の端には、短くこう添えられていた。


『神原さんという素敵な友達ができたみたいですね。安心しました。』


 葵は驚いて遥を見る。


「私のことまで……。」


 司書の先生が微笑む。


「昨日、少しだけお話ししました。」


「そうだったんですね。」


 遥は涙をこらえるように笑った。


「先輩らしい。」


     ◇


  帰り道。


 夕焼けに染まる土手を、二人はゆっくり歩いていた。


 しばらく沈黙が続いたあと、葵が立ち止まる。


「……ねえ。」


「なに?」


 少し言いづらそうに、葵は笑った。


「ずっと思ってたんだけどさ。」


「うん。」


「私だけ『エデンさん』って呼ぶの、もうやめてもいい?」


 遥は少し驚いたように葵を見る。


「どうして?」


「もちろんその呼び名も好き。」


「でも。」


 葵は照れくさそうに頭をかいた。


「私は、“みんなが知ってるエデンさん”じゃなくて、遥と友達になったんだ。」


 遥は目を丸くする。


 その言葉は、不思議なくらい胸の奥へまっすぐ届いた。


「だから……。」


 葵は小さく笑う。


「今日から、遥って呼んでもいい?」


 一瞬だけ沈黙が流れる。


 やがて遥は、今までで一番自然な笑顔を浮かべた。


「もちろん。」


「じゃあ……。」


 葵は少し照れながら言う。


「よろしくね、遥。」


 その響きは少しくすぐったくて、それでいて心地よかった。


 遥も笑う。


「ありがとう、葵。」


 葵は驚いて目を見開く。


「えっ?」


「私も。」


「今日から葵って呼ぶ。」


 二人は顔を見合わせる。


 そして同時に笑い出した。


「なんか照れるね。」


「うん。でも、こっちの方がいい。」


 夕焼けに長く伸びる二人の影は、少しだけ昨日までより近づいていた。

 

    ◇


 翌週。


 文芸部の本棚に、一冊の部誌が静かに戻されていた。


 なくなっていた『二〇二五年度前期号』である。


 誰が返したのかは分からない。


 貸出票も残されていなかった。


 ただ、一枚だけ栞が挟まっていた。


 そこには、美しい文字で書かれている。


『人は、誰かの居場所になれる。』


 遥はその栞を本へ戻し、静かに微笑んだ。


「ありがとう、先輩。」


 その言葉は、もう届かないかもしれない。


 それでも、胸の中には確かな温かさが残っていた。


     ◇


 放課後。


 二人が校門を出ようとした、その時だった。


「エデンさん!」


 息を切らした一年生の男子生徒が駆け寄ってくる。


「お願いがあります!」


「どうしたの?」


「理科準備室で、誰もいないはずなのに夜になると実験器具が勝手に動くんです!」


 葵の目が輝いた。


「また学校の七不思議!」


 遥は少し困ったように笑う。


「今度は理科室?」


「面白そう!」


 夕暮れの校舎を見上げながら、二人は歩き出した。


 人の想いが隠された小さな謎。


 誰かの不安や悩み。


 そして、自分自身の心。


 それらに向き合うたび、「エデンさん」と神原葵は少しずつ成長していく。


 この学校には、まだ誰も知らない物語が残っている。


 その次の一ページが開かれる日は、もうすぐそこまで来ていた。


              ――第五章 完――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ