第十話 責任者……
鬼が出るか邪が出るか、領主に相談すると息巻いていたテオだが、ふと冷静になれば庶民である自分にとって領主なんてのは雲の上の人間だと気が付いた。
家では絶対権力者であるテオの母親でさえ、町の有力者の前では礼儀正しく畏まる。やれどこぞこの名士だとか、どこそこの役職持ちだとか、そんな相手には普段の狂暴さなどあの母でさえ身をひそめるのだ。
庶民にとって権力者とは絶対に逆らってはいけない相手だ。できれば関わりたくはない。改めてそう思うと、果たして領主へ直談判することが正しいのかわからなくなってきた。
「テオ様、この先がこの土地の領主の家です」
サイレントがそう示したのは町から少し離れた一角、テオもよく知っている建物だ。
そこは常に十人以上の衛兵が守護していて、不用意に近づけば子供でさえも厳しく追い払われる。田舎特有の緩やかさなどその場所にはまるでない。庶民と貴族を分かつ壁はその程度の事で緩みはしない。
「どうしますか、今なら引き返せますが」
「行くよ、本当は引き返したいけど、今の状況は僕の手に負えないからね」
「そうですか……テオ様がそこまで追い詰められているとはこのサイレントも気が付きませんでした。すみません」
「僕の心労の一番の原因は君だからね、領主様に真っ先に言うのはまず君の事だからね」
テオからの言葉もなんのその、サイレントは軽くスルーするとてくてくと歩き始めると、
テオもそれにつられて後を歩いていく。
「そういえば、今日は衛兵の人たち居なかったけど、サイレントさんもしかして何かした?」
「いいえ、私は何もしていませんよ」
少年時代から庶民の禁足地として、ここは一度もテオが入った事のない場所である。すこしばかりの興奮を覚えながらテオはこの場所を歩いていくが、その興奮は次第に悪い意味で収まってきた。
というのも、周囲はちっぽけなみずぼらしい場所だった。よく手入れがされていない庭園に、飾り気のない調度品。造形美のセンス一つもない、のっぺりとした石像が庭にぽつんと置かれているところなんかは、テオの心へ何かを訴えてくる。
「何の美しさもない場所ですね」
「そうだね……」
つられて同意したテオであるが、特に反論はしない。全く持ってその通りだからだ。
そのまま歩き続けると、件の領主の屋敷が見えてきた。テオの家の数倍はあろうかという三階建ての屋敷は、そりゃあもう見事なほどに人の気配がなかった。
屋敷の中は外から見ても分かるように薄暗く、衛兵どころか住人一人いやしない。試しにテオが大声で家の中に呼びかけても返事の一つもない。とりあえず屋敷のドアを開けてみると、鍵もかかっていなかった。
このまま家の中に入ると、玄関ホールはただ静かなだけだった。平時ではしらないが、人の気配一つしないこの場所にはテオを迎え入れてくれる家人などいない。そのまま中に入り、屋敷の中を探索するがどこを探しても人がいない。どころか、なんというか非常に殺風景な感じがした。家の中全体が非常にシンプルで、余計な飾り気一つない。
「テオ様、こちらの部屋です」
サイレントに促されて部屋に入ると、大きな机と椅子。中身の入ってない本棚が壁にいくつも備え付けられていた。明らかに、他の部屋と違う。
「ここはなに?」
「領主の執務室です。そしてテオ様の今後の仕事部屋になる場所です」
「もう驚くのも辞めたいけど、領主様はどこに行ったの?」
「夜逃げしました」
なぜそんなことを知っているのか、なぜどうしてこの女はそれを調べ上げる事が出来たのか。そういうのはどうでもいい。つまりテオが気になるのは、どうしてうちの領地のトップは逃げやがったのかという事だ。
「どうして逃げたの? 領主様には凄い借金があって、これから僕ら領民が地獄の奴隷生活でそれを返さないといけないとか、そういうのじゃないよね」
「違います、テオ様と私がダンジョンに封じた例の凶悪傭兵団が街に来ると知ったので、慌てて自身とその家族、そして生活の足しになるであろう貴重品を手に、家人や使用人達と共に逃げました」
ふーーー、と息を吸ってからふーーとテオは息を吐きだした。
「例のってあの、この前のあれ?」
「はい、あの女ボスの傭兵団です」
「うちの領主は知ってたんか?」
「知ってましたね」
「で、それを知ったら領民見捨てて我先に逃げ出したと」
「はい」
困ったことに、このサイレントとかいう女性は、今までテオに嘘をついたことがない。大事なことは話さなかったり、必要な情報を意図的に渡さなかった事はあっても、何と嘘だけはついたことがないのだ。
「領主ぶっ殺しに行ってもいいかな?」
「無理だと思いますが」
「そんな遠くに逃げやがったのかうちの領主は、随分と逃げ足が速いんだね」
「いえ、もう死んでますから無理かと思います」
テオがサイレントを見る。彼女は美しい女性だ。少しウェーブ掛かった金髪で、汚れ一つないメイド服をきちんと着こなした女性だ。その美しさにテオも見惚れる事があるが、今はその美しさが気にならない程に脳の中で情報を処理しきれなかった。
「逃げ出した方向が、ちょうどあの傭兵団がいた場所でしたので、逃げ出した全員があの傭兵団に皆殺しにされています。テオ様と私がダンジョンに彼らを封じたあの日よりも二日くらい前ですね」
テオが頼りにしようとしていた領主はもういなかった。どころか、もう既に死んでおり、この世にいないのだ。
「理不尽だと思いますか?」
「そうだね、逃げ出したことも、殺されたことも、なんていうかもう全てにおいて言葉も出ないって感じだよ」
「私もそう思います」
サイレントとテオはなんとなしに、そこらにあるソファーに座った。来客用のそれの座り心地は特によくない。柔らかすぎておさまりが悪い。柔らかけりゃあいいってものでもなかった。
「テオ様、そろそろダンジョンマスターに対して前向きになりませんか?」
「今のところ前向きになれる理由が一つもないよね? 僕の人生の重荷になる気配しかないけど」
「確かに今のところ、そう捉える事しかできないのは分かりますが、ダンジョンマスターを続ければ、ある物をテオ様に与える事が出来ます」
「何をくれるの?」
「力です」
力、理不尽なその力は現在進行形でテオにも向いているが、しかし超常の力であるのは違いない。どれだけ願っても普通は手に入れられない数々の力がそこにあるのは事実だった。
「傭兵団にしてもダンジョンがなければこの町は焼き払われていたと思います。結果はどうであれ、ダンジョンの力で街を助けたのは事実ではありませんか?」
「まあそれは認めるけど」
それはテオもわかっていた。ダンジョンが、サイレントがいなければこの街は滅んでいただろう。
「領主が逃げたのも当然なんです。だってこんなちっぽけな街にあれだけの規模の傭兵団と戦う力なんてあるわけないじゃないですか。テオ様は怒りましたが、家族や自分を優先するのは普通だと思いませんか」
テオもそれは分かる、自分が領主の立場だったら同じ判断をするだろうからだ。
「でもそれはそれとして、逃げ出したのはむかつくから気が収まらないんだけど」
「そうですね、だからテオ様がなればいいじゃないですか。どんな災難からも逃げずに、この街を守り支配する存在へと。その為の力を私は与える事が出来ますよ」
しかし、テオもまだ悩む。サイレントが信じられないとか、ダンジョンとやらが物騒な代物だとかは置いておくとして、十代後半の少年にそこまでの責任を負わせるなよという至極真っ当な部分について悩みに悩んでいた。
「か…考えておくよ」
断ることも受け入れることもできずにテオは玉虫色の返事をした。サイレントはそんなテオを見つめると、一つ頷いた。
「そうですか、それは残念です。私としても、まだテオ様にそこまで無理強いはするつもりはありませんし、そこはテオ様の意思を尊重します。ですので後日、状況が整ったらもう一度今の話をしましょう」
サイレントはそういってこの話を閉めた。




