それでも、王子は彼を英雄にする
挙兵の準備を進める中、水の領地の駐屯地には兵士志願の者が詰めかけていた。中には剣を握ったこともない者もおり、兵が倍に増えたことにより、育成はもちろんだが、指揮系統の見直しや、補給の確保など、隊全体の見直しを余儀なくされた。それをグランドールは、マグリットに押し付けていた。仕事が倍に増え、許容範囲を越えたマグリットは、グランドールに掛け合った。
「兵が増えることは喜ばしいことですが、いかんせん、指導者不足です。バロックをこちらに回してください」
「ならん。バロックは南のスヌード国へ行き、最新鋭の大砲の準備をしてもらう」
鉄壁と噂される過激派の壁を撃ち崩すには、大砲が必要不可欠になる。南のスヌード国は海に面した国で、度重なる異国の脅威や、海賊に悩まされてきた国である。その為、船を迎撃する大砲技術が進んでいた。
スヌード国とは、良好な関係を続けている。彼らの技術を持ち込むことは、勝機を近づけるものだろう。グランドールは戦の勝利と、その先を見据えてバロックをスヌード国へ派遣するつもりだった。
バロックは指揮官としては、上の三人よりも優秀である。だから、マグリットが指導者不足で混乱する中、バロックを頼りたくのも分かる。しかし、グランドールはそれを突っぱねていた。マグリットは、腕組みをして、深いため息を吐く。
「……バロックをスヌード国へ派遣するのは分かっておりますが、兵と武器と物資が揃っても戦はできませんぞ」
「そんなの分かっている。扱う者が揃い、全てを噛み合わせなければ戦はできん。だから、とっとと兵を育てろ」
グランドールはマグリットの痛いところを容赦なく突いた。
「指導者として、バロック以外の兄弟を育てきれなかったツケがきたんだ。いつまでもお前自身が前に出てるからそうなる」
グランドールは意地悪く、口元をにたりと歪ませた。
「中途半端な三人を育てるよい機会ではないか。 そうは思わないか、マグリット?」
マグリットはぐぬぬっ……と言葉に詰まり、青筋を立てる。しかし、グランドールの指摘は尤もなので、何も言い返せない。彼は頭から湯気を出しそうなほど顔を真っ赤にさせて、「御意」と吐き捨てて出ていった。
乱暴にドアが閉まり、あまりの衝撃に扉が壊れたのか、閉まりきらず少し開いた。黙って側できいていたバロックが苦笑いする。
「父上が申し訳ありません」
「別にいい。マグリットの頑固ジジイもこれで少しは頭が冷えるだろう」
ふんと、鼻を鳴らしてグランドールは言ったが、マグリットの頭は冷えるどころか、火に油を注いだようなものだった。
彼の鬼のような指導は、上の三人を育て、同時に兵を強くした。しかし、今度は怪我人が続出し、軽度の医療施設が悲鳴を上げた。
ただでさえ、敵の弱点の噂を流したことで、士気が高まった兵士による訓練は、加熱していた。そこに、マグリットの指導も加わり、怪我人は増え、医師と薬、簡易ベッドが不足した。一時的な処置として、グランドールは駐屯基地から近い王宮の部屋を開放して、簡易的な医療施設を作った。
これは結果として、功を奏した。一般市民だった兵士が、グランドールの姿を目にしやすくなり、彼は忙しい合間をぬって、兵にも声をかけた。彼は同じ目線で話をする。その印象は、この人に付いていきたいと、兵士に思わせ、士気を高めた。
バロックはスヌード国から最新鋭の大砲と、技術者を数名を持ち帰り、いよいよ戦への時は迫っていた。
そんな中、メロの症状についてザックから返答もきた。
ザックは聖女だった妻から話を聞き、ある仮説をグランドールに伝えた。
メロは聖女としての自覚がないまま唄を歌っている。聖女の救いの唄は、歌詞とメロディーが決まっていて、その旋律は聖女の間で伝えられている。彼女たちが力をコントロールできるように。声を失う自滅の道をすぐいかないように。
しかし、メロはオリジナルの曲で歌っているのではないか。救いたいという思いの強さのあまり、本来ならすべき制御をせずに力を最大限に発揮してしまっているのだろう。その為、体を酷使しすぎているのかもしれない、という話だった。
その手紙を見た時、グランドールはマリアンナを呼び出し、事実を伝えた。彼女は顔を真っ青にして、体を小刻みに震わせた。グランドールは感情を殺して、マリアンナに頼った。
「戦が終わるまでメロは部屋から出さない……悪いが、メロを頼んだ」
マリアンナはこくりと頷いたが、メロの嘆きは深く、また食事が喉を通らなくなった。やつれ細くなったメロは「歌えないなら村に帰りたい」と言い出した。
その時、グランドールは帰すことはできなかった。時期が悪かった。ミドが手術を終えたばかりで入院をしていた。ミドの心臓の病は病状が悪く、数度の手術を繰り返していた。この手術が終われば……との話だったが、彼女はまだ手足が動かせずにいた。この手で娘の頭をひっぱたいてやるようになれるまでは、村には帰らないし、メロにも会わないとミドは言った。
メロの慰めになるのは、ミドしかいない。彼女のいない村に帰すことがメロの為になるのかグランドールは迷った。
それに傲慢な考えだが、ディーンと共に村に帰すことが一番なのではないか、と思っていた。
だから、グランドールはメロを村に帰すのは戦が終わった後だと決めた。メロはうつむき「なんでよ!」と、言ったが、グランドールは戦が終わるまでの契約だと理由を言わなかった。
今さら全てを話したところで、メロは誰を憎めばよいのか、わからなくなるだろう。なら、自分が憎まれ続ける方がいい。
しかし、グランドールの選択もまた、メロの心を追い詰めた。ますます細くなるメロにグランドールができることは、彼女を激情させることだけだ。
「ディーンという名前の兵士が生きているのに、お前は死ぬ気か? お前の思いとやらは随分、浅く身勝手なんだな」
やつれたメロにそう言ってやれば、彼女は息を吹き返したように食事を口にした。それに目を細める。
傷つけられ血を流し続けるグランドールの心に、また傷がつき、血が流れる。それでも、グランドールができるのは、メロを激情させ、奮い立てさせることくらいだった。
身を粉にして戦の準備をするグランドールだったが、一つ、思い通りにならないことがあった。ディーンのことだ。敵の鉄壁を崩す抜け道の噂を流しても、彼はそれを持ち出して、戦に勝利し、メロの解放を求めてこなかった。
動かないディーンを訝しげに思ったグランドールは、報奨を与えるという名目で、ディーンを自分の前に引きずり出した。
視力が落ちたグランドールの目には彼の細やかな表情は分からない。視力が落ちたことで彼は他の感覚が研ぎ澄まされていた。顔が見えなくとも、ディーンがかもしだす雰囲気が異様なものだと、グランドールはすぐに気づいた。
ディーンは心が死んでいた。戦いを通じてなのか、メロと別れてからなのか、ディーンは感情を一切失くしていた。彼にあるのは、メロに会いたいという目的だけだった。
メロに会いたいということも、焦がれた願いというものではない。ただ、約束を果たす為の目的のようだった。それが、彼の終着点なのだろう。それが果たされれば、彼は何を失っても構わなそうだった。
――馬鹿者が。俺を恨めば楽になれるものを……
メロの話をしてもディーンは淡々としていた。グランドールに恨み言を言うわけでもない。そこまで追い詰めた責をグランドールは感じていた。だから、機械的に願いを告げるディーンの感情を揺さぶりたかった。
挑発的なことを言った。ベッドの上でお前の名を呼んでいたなど、自分とメロの間にただならぬ関係があったことを示唆させた。
ディーンの纏う空気が変わる。明らかな殺気を感じて、グランドールは口角を上げた。
「いい表情だ」
そう言うと、ディーンの殺気が強まり、グランドールの肌をチリチリ焦がす。それにグランドールは笑みを消した。ディーンの心を戻すのはメロしかいないと見たグランドールは、彼女との面会を許可した。
「メロに会わせてやる。ただし、条件がある。あれに唄わせないこと。そして、欲しいなどと思わないことだ。あれは四年前から俺のものだ」
グランドールがディーンにしてやれるのは、挑発して、死んだ心を揺り動かすだけだ。だから、自分ができることを言った。
今にも自分を殺しかねない殺気を出しながら、頭を下げるディーンを見て、グランドールは彼が見てないところで満足げに笑った。
ディーンとの謁見が終わった後、二人の話を聞いていたバロックは神妙な顔をして、グランドールに声をかけた。
「宜しいのですか? 二人を会わせてしまって」
グランドールはバロックの懸念に感づいて、口の端を上げる。
「会わせたら、二人で手を取って逃亡するとでも思ったのか?」
ディーンほどの力があれば、メロについている護衛をけちらして、彼女を救いだすかもしれない。それこそ、囚われた姫を助けるヒーローのように。
「それでもよかろう。あいつらは充分、報いた。俺によって歪められた運命を戦い抜いた。……ここでおしまいにしてもいいだろう」
自分ではメロを解放する選択に迷いがある。ディーンがその選択をするというなら、してくれと願う自分がいることも確かだ。身勝手な気持ちではあるが。
「しかし、ディーン小佐を欠くことは戦力的に痛手です」
自分ならばしないと言いたげに、バロックは続ける。グランドールは、まぁなと肯定した。
「その為に、大砲の準備を進めている。奴の働きぐらいにはなろう」
バロックは何か言いたげな顔をまだしたが、グランドールは自分の弱味を出して黙らせた。
「……俺は甘いからな。許せ、バロック」
そう言うと、バロックは本当に黙った。
しかし、グランドールとバロックの予想とは違い、ディーンは戦う意思を見せた。メロと会い、ディーンは命を吹き返したようだった。
噂から自分なりに戦術を立てて、勝機があるとグランドールに進言してきた。それは、グランドールが筋道を立てたものと一致していた。
さらにディーンは、戦に勝てば王位も目指せるだろう。だから、戦うメリットはある。メロを解放しろと随分、饒舌に語っていた。
――馬鹿な奴だ……逃げればよいものを……
どこまでもネジ曲がった運命を修正するのことなく突き進むディーンに、哀愁を感じてしまう。だが、感傷に浸る心をグランドールは握り潰す。
グランドールは素知らぬ振りをして、彼の意見にのったと見せかけた。ディーンとグランドールの目的は合致している。それを共有できていれば、他のことは捨てておけばいい。
今さら、そう仕向けたというつもりはなかった。自分は悪役に徹すればよい。
もう、それしかできないのだから。
ディーンとの話が終わり、残されたグランドールは独り言のように呟いた。
「死神のカードを切るか……お前の道は破滅か…… それとも……」
――再生へ続く終焉となるか。
もし、ディーンが生き残り、戦を終らせるならば、彼とメロが望むもの、そして、自分が望むものさえ手にはいるだろう。
しかし、逆ならば……いや、それを考えるのは今はよそう。勝利しか今は考えない。
「バロック」
「はっ」
「戦を始めるぞ」
グランドールは長く座っていた椅子から立ち上がり、その足を動かした。
全ての終焉に向けて、彼は動き出した。
***
ディーンが間者として敵地に単身乗り込む方向で戦の準備は進められた。指揮系統の見直しや、万が一、ディーンが失敗した時の対策。手だてはあらゆるものが用意され、連日、グランドールとバロック、マグリットは戦術について話し込んでいた。当然、グリッド国のザックとも密に連絡を取り合った。中継地点のシーラン国へは、連日のように早馬が駆けていた。
張り詰めた空気は兵士にも伝わり、否応なしに盛り上がっていく。今度こそ憎い敵を叩きのめす。兵は内に秘めていた悲願を腕に込め、その日を今か今かと待ちわびていた。
全ての準備が整い、出陣まで三日後と迫った日だった。
その日は酷く雨が降った。
グランドールはバロックと話し込んでいた。連日の緊張感から、グランドールの脆くなっていた体は疲弊していた。顔色は土気色になり、誤魔化すために化粧を施していたほどだ。そんな彼を側で見てきたバロックはグランドールの体を心配して、休むように言った。
「少しは寝てください。このままでは戦が始まる前に倒れてしまいます。殿下が倒れることがどういう事態を招くのか、あなた様は分かっているでしょう?」
口酸っぱく言われてグランドールは苦々しく思いながらも、執務室の椅子に座る。
「少し、休憩いたしましょう」
バロックはそう言うと、お茶を用意するように使用人に伝えるため、部屋を出た。
グランドールは深く息を吐きながら、椅子の背もたれに体重を預けた。ギシリ、と木が軋む音を聞きながら、ぼんやりと窓の外を見つめていると、今度は小刻みに手が震えているのに気づいた。それに苦く笑う。
「……脆いな……だから、俺は玉座から最も遠いのだな……」
震える手のひらを見つめる。この手が意思を持って動かし続けられるのは、あとどれくらいだろうか。
――所詮、俺ができるのは、破壊のみか……
きっとその先へは行けない。
体が保たない。
ならば。
誰かに託すしかないのだ。
血を流すことがないよう。
安寧が訪れることを。
バロックが使用人と共に戻ってきた。お茶が入り、使用人が頭を下げて部屋を出た後、バロックは穏やかな顔をして、休憩にしましょうと告げてきた。
「疲労回復の効果がある薬草茶です。少しは心が休まれましょう」
グランドールの執務机に置かれたカップからは、草独特の匂いがした。それが大地に芽吹く新芽のような気がして、グランドールは目を細める。
シルフィが言ったことが脳裏を過る。
”――破壊された大地の後にも新芽は芽吹く。生きようとする命がある限りね”
自分ができるのは破壊のみ。新芽を芽吹かせるのは目の前の男に託せばよい。
グランドールは草の匂いを鼻で吸い込み、それが終わるとゆっくりと息を吐いた。
そして、バロックを鋭く見据え命令を出す。
「バロック。次の戦はお前が指揮を取れ」
「戦に勝利し、お前は英雄となれ」
グランドールは自分が王位についた暁には、後継者はバロックを指名するつもりだった。自分は子は持たない。妃も持たない。自分の代で血筋は絶える。だが、それでいい。戦いを強いてきた王家よりも、戦に耐え、民を守り続けてきたマグリット家から王が誕生する。彼は新たな時代の象徴となるだろう。
命が短いグランドールが最後に頼ったのは、自分の恩師だった。
―――― side バロック
グランドールの言葉を聞いたバロックは、ひゅっと息を飲んだ。言っている意味が分からなかったのだ。目の前の主は、魂をすり減らしながら、終戦の為に駆け抜けてきた。血を流したくない、話し合いがしたいと願った幼き少年は、その願いを叶える為に戦ってきた。彼が王となり、国の頂点に立てば、よき国が作れることだろう。それは、バロックが見たかった風景だ。夢、と言ってもいい。それぐらいの思いを寄せて、この人に付いてきた。
「――英雄となるべきは、殿下ですよ……」
「その為に……今まで走ってきたのではないのですか……?」
声が震えた。手柄を自分に渡すというのが理解できなくて、混乱する。
グランドールは口元に笑みを見せた。彼の背後では雨が降り続け、悲鳴のような音を出して窓を叩きつけている。
「俺が王になるのは繋ぎだ……」
グランドールが震える手をバロックに見せる。震えた左手は置かれたカップの取っ手を持つと、支えきれずに中身を溢した。ひっくり返り、カップにヒビが入り、薄茶色の液体が机に広がった。それを見て、バロックは絶句する。グランドールは全てを受け入れているような顔をして、震える手のひらを見つめる。
「俺では無理なんだ。脆いこの体では、下に付くものが可哀想だろう」
ひときわ激しい雨が降る。バロックの目には、雨が彼の涙のように見えた。
「殿下!」
気づけばグランドールの肩を掴んでいた。
「そのようなことを、おっしゃらないでください! 私も皆も、あなた様だから付いてきたのです! あなた様がここまでの道を作った! だからっ……だからっ……」
バロックはグランドールの病気を知っている。病状が悪化しているのだろう。それでも。それでも、この人が王となることを願ってしまう。弱気になんて、なってほしくはなかった。
グランドールはうつむき、震える手でバロックの肩を掴む。その力は強く、掴まれた服は皺となり大きく振動をしていた。
「……俺では無理なんです」
聞こえた声は弱々しく、いつもの彼らしくない口調だ。いや、取り繕っていた仮面が剥がれ、本来の彼が出てきたと言った方が正しいのかもしれない。
それに気づいたバロックは、グランドールの肩を掴むのをやめ、だらりと腕の力を失くした。
「……どうか、俺が終わらせた後に、道を築いてください……」
「頼みます……先生……」
バロックは眉と眉の間に深い皺を刻み、きつく目をつぶった。
――卑怯だ。ずっと隠してきた弟子の顔を見せるなんて……ここに来て、主従関係を逆転させるのは、卑怯だ……
師として弟子の切なる願いを叶えないわけにはいかなくなる。
バロックの脳裏にムルソーの言葉が蘇る。
”――なら、あなたが殿下の希望となるのが宜しいでしょう。殿下が命を削り作った道に、あなたが種を撒けばいい。希望の息吹をあなたが咲かせば……それは、殿下の本懐を遂げたことになるでしょう”
あの時は意味が分からなかった言葉が、今は痛いほど理解できる。
バロックは震えるグランドールの手を取り誓った。
「――必ずや戦に勝利して、グランドール様の願いを叶えます」
そう言うと、グランドールは顔を上げた。その顔に胸の痛みは激しくなる。彼は前に見た笑顔を作っていた。
「人の痛みがわかる人は、上に立つ才覚がある方ですよ」と言ったとき、彼は珍しく頬を染めて笑顔を見せた。
泣き虫な少年が見せた、あたたかな笑顔。
胸を痛ませながら、バロックは尊い笑顔に向けて微笑み返した。




