それでも、王子は壊されることを望む
メロが根を詰め、深夜遅くまで重度の医療施設に通っているとの報告を護衛から聞いて、グランドールの苛立ちは募っていた。ただでさえ全てがうまくいかず、焦燥感に駆られていたグランドールは、すぐさまメロを呼び出した。
メロは酷い顔色で、今にも倒れそうな儚い雰囲気を出していた。与えた服は腰回りがブカブカで、彼女が痩せたことは一目瞭然だ。グランドールは「根を詰めるな」と苛立ちながら言ったが、メロは言葉だけはいつものように強気で「聖女の仕事をしているだけだ」と、突っぱねた。その態度に更に苛立っていると、目の前でメロが倒れた。
――阿呆が! だから、無理するなと!
咄嗟にメロを支えて、その細さにゾクリとする。力を入れたら簡単に折れそうだ。
メロは触られるのが嫌らしく、離して!と腕の中で暴れた。どこにそんな力が残っているのか、グランドールの手を振り払おうとする。倒れると思ったグランドールは忌々しげに舌打ちして、メロを横抱きにした。
「やめて!」
「うるさい。黙れ。わめくと、口を塞ぐぞ」
びくりと震えて止まったメロは不快そうに眉根をひそめた。好都合だと見たグランドールは、更にメロに嫌みったらしい言葉を吐いた。
「憎い男と口づけを交わしたいのなら、大いに暴れろ」
苛立ちを込めたはずなのに、妙な色気を孕んでしまった。それに眉根をひそめつつ、メロを見ると彼女は怒りを顔に出し、悔しそうに唇を噛みしめていた。その表情は一瞬で、ふっと全てを諦めたような儚いものに変わる。
その表情の変化を気にしつつも、グランドールはメロを彼女の部屋まで運んだ。
歩いているときも、押し潰されそうな沈黙しかなかった。腕の中のメロはあたたかく、存在を実感できるというのに、彼女の表情はこの世界から切り離されているかのようだ。しっかり抱えていないと、消えてしまいそうだ。そんな不安が胸にこみ上げ、グランドールはメロの体をより自分に密着させるように抱え直した。
メロの部屋にたどり着いて彼女に声をかけようと口を開いた。メロはどこか遠くを見ながら、先に口を開く。
「ディーン……」
その声は、グランドールの耳には ”愛している” と同じ響きを持っているように聞こえた。
同時に、グランドールの全てを否定して、何も成し遂げていない自分を責めているように聞こえてしまった。
焦燥感だけが募り、歯痒さを感じていたグランドールにとどめをさすには充分だった。
保っていた虚勢が、ガラガラと崩壊する音が聞こえる。
取り繕っているものが剥がされ、生身の感情のみが残される。
――あぁ、そうか……これが……
グランドールは気づいてしまった。腕の中の存在が、特別なものであると。
巻き込んでしまった後ろめたさもあった。
姉に重ねて、生き急ぐ彼女に苛立った。
でも、何よりも。
グランドールは守りたかったのだ。
初めてメロの唄を聞いた時、自分の願いを指し示されたと思った。だから、道を指し示したメロごと守りたかった。
――マグリットの言うとおりだな……俺は……馬鹿者だ……
沸き上がる感情に名前など付けたくなかった。名前を付けたら、自分は大事にしてしまうだろう。一方的にすがって、慈しんで、望まれていないものを与えることだろう。それは、できない。彼女の大事なものを死地に送る自分がどうしてできようか。
だから……壊せ。
グランドールは、死神の鎌をメロに渡した。
彼は激情を瞳に宿らせ、メロをベッドに押し倒した。そして、彼女の逆鱗に触れる。
「俺に抱かれながら、他の男の名を呼ぶとは、いい度胸だ」
メロはグランドールの期待に答えてくれた。蔑みの目で自分を見つめ、グランドールの全てを否定する。それが愉快でたまらない。はははと、昏い笑みが漏れた。
メロと名前を呼んでやれば、彼女の嫌悪感は強くなった。胸の中の甘い痺れが、握られ、潰され、激痛が走る。それを笑みに変えて、グランドールはメロに壊してくれと願った。
「メロ、俺が憎いか? もっと、俺を憎め。その身を焦がすくらい。それまで、お前を解放する気はない」
メロの瞳は生気を取り戻す。それでいい。全てを自分のせいにすればいい。憎むことで彼女の生が戻るなら悪になってやる。
それぐらいしか、もうできないのだから。
そして、メロはグランドールの望みのままに、手渡した死神の鎌を振り上げた。
「出ていって! あなたの顔なんか見たくもない!」
完全なる拒絶にグランドールは満足した。
メロの目尻には涙が溜まっていた。それは、笑うしかできないグランドールの思いも含めた涙だったのかもしれない。
***
メロに拒絶されて以来、二人の関係は前と違って、妙に重苦しくなっていた。警戒心が剥き出しのメロと、それを助長するグランドール。意地悪くからかうという関係はなくなり、完全なる敵対関係になっていた。
慰問と診察を兼ねて医療施設に行く馬車の中、隣同士に座った二人は互いに外を見ていて口もきかない。それを対面の座椅子に座っていたバロックは、神妙そうな顔で見つめていた。
重度の医療施設にたどり着き、いつものようにメロは唄う準備を始める。グランドールは聞くことはせずに、さっさと診察に行く気だった。
「ディーン……?」
小さく呟かれたメロの声にグランドールは足を止める。信じられない気持ちでその方向を振り返った。グランドールはそこにディーンがいることを知らされていなかった。
メロが呆然としたまま床に膝をついた。グランドールにはメロの背中しか見えないが、彼女の何かが壊れてしまったのはわかった。彼女の視界の先には怪我をして眠るディーンの姿があった。
グランドールは目を見開き、バロックの襟口を掴みかかった。勢い余ってバロックを壁に押し付けたが、グランドールは止まらない。
「……どういうことだ……なぜ、ここに奴がいる……」
騙し討ちのように連れてきて、最悪な仕打ちをメロにしていることが許せず、グランドールはバロックを責めた。襟口を締める手が怒りで震える。バロックは眉根をひそませるだけで、何も言わなかった。それに舌打ちして、言え!と語気をつよめる。
「私が頼んだのですよ」
張りつめた糸をハサミで切るようにムルソーが声をかけてきた。激情したグランドールを宥めるでもなく、ムルソーはいつも通りの穏和な笑顔でいた。
グランドールは掴みかかっていた手を離して、ムルソーと対峙する。
「どういうことか説明しろ……」
「彼は肋骨を折られてはいますが、怪我自体は中度といったところでしょう。しかし、彼は目覚めようとしない。何かに囚われて目を覚ましたくないようです」
それを聞いてグランドールの眉根がひそまる。付け加えるように、バロックが静かに状況を説明した。
「……ディーン小佐は雨が降る中、一人で20人ほどの兵を倒したそうです」
信じられないとグランドールは目を見開く。
「その姿を見た敵兵は、彼を死神と呼んだそうです」
「……死神……」
瞬きを忘れたグランドールの瞳は焦点が定まらず、ただ呆然とバロックの話を聞いていた。
「何かに囚われているならば、解放してあげなくては……医師としての判断です」
ムルソーの判断は正しいのかもしれない。しかし、メロを思えば、こんな形での再会はあまりに酷だ。彼女を壊しかねない。そして、そこまでしてしまったのは自分にあると思い、グランドールは言葉を失くしていた。
ひびの入った心がまた血を吹き出し、大きなヒビが入った。
呆然と立ち尽くすだけのグランドールの耳に旋律が聞こえた。
メロが唄っていた。
悲しみしかないだろうに。
彼女は涙を流すことなく唄っていた。
その旋律は、命そのもののようだった。
空に天使の梯子はかからず、彼女自身が太陽のように輝きだしていた。その光はやがて、ディーンの体を抱きしめるように包み込んだ。
光の中に二人だけがいる。
嘆きしかない世界から切り離され、一時の安らぎを与えているようだった。
メロの口から歌が消え、彼女の体が揺れ、床に倒れこむ。
「――メロ!」
グランドールは我に返り、その体を抱きしめた。メロの体はゾクリとするほど冷たくなっていた。それが姉の首を抱きしめた感触に似ていて、グランドールは叫ぶ。
「ムルソー! メロを診ろ! 体が……っ」
メロの体を抱えたまま、グランドールの視界がぐにゃりと歪む。どうにか足で踏ん張るが、視界はぐらつき元に戻らない。
――ちっ。こんな時に! ……くそったれが!
バロックが殿下!と叫びながら、自分を支えようとする。それを振り払った。兵士が見ているんだぞと、バロックに目配せする。バロックはびくりと震え、差し伸べた手を引いた。グランドールはそれでいいと目で合図し、姿勢を正す。
「……メロを診ろ。頼んだぞ」
視界が霞む。頭が割れるように痛い。それでもメロを抱え、ムルソーたちに彼女を渡す。それに一息つくと、不安そうにしているだろう兵士たちに笑みを見せた。
「案ずるな。ムルソーは最高の医師だ。任せておけば大丈夫だ」
彼らの不安が解消されたのかは分からない。視界がぼやけて表情が見えなかったからだ。
バロックと共にメロの様子を見るため、診察室に入る。とたんに足にきて、グランドールは腰を折った。
「殿下!」
「騒ぐな。あいつらに気づかれる」
グランドールは頭痛に耐えきれず頭を押さえた。バロックに支えられ、寝台に横になった。
「……少し休む。メロが回復する前に起こせ」
言っていることは無茶苦茶で筋道が通ってない。それすら気づかないまま、グランドールは目を伏せた。
次に目を開いた時、彼の瞳は元の鮮明さを取り戻さなかった。
***
メロは王宮の自室に戻り、安静にしていた。その前に目覚めたグランドールもまた、自室にてムルソーの診断を受けていた。
「網膜に異常が見られます。見えていますか?」
「前ほどではないが、視力は落ちたな」
「そうですか……」
「回復はしないんだな」
グランドールが静かに尋ねると、ムルソーは一呼吸置いて、しません、と答えた。それをグランドールは顔色を変えずに「そうか」と呟いただけだった。
「そうかって……殿下! 私にご病気のことを隠していたのですか!」
控えていたバロックが吠えるように言い、ムルソーに詰め寄る。
「殿下の症状は私に伝えるよう、あれほど言っておいたのに、なぜっ……!」
「――騒ぐな、バロック」
「しかし!」
「俺が伏せていろと言ったんだ。ムルソーを責めるな」
それにバロックは語気を強めた。
「なぜですか!」
「……そうやって騒ぐからだ」
少しうんざりした声で言うと、バロックは声を詰まらせた。そして、怒気を孕んだ静かな声で尋ねてくる。
「はっきり、おっしゃってください。私が信用できないからなんじゃないんですか?」
「違う」
「では、なぜ!」
グランドールは肺を大きく膨らますと、ゆっくり息を吐いた。そして、ふんと澄ました態度を取った。
「……お前は過保護だからな。知られたら部屋から出さないとか言いそうだ」
グランドールの澄ました態度が悪戯した子供のようで、バロックは叫ぶ。
「子供じゃないんですから、そんな隠し事しないでください!」
それにグランドールは、ばつが悪そうに視線を逸らした。バロックは肩をいからせながら、それでも感情の殺した声を出した。
「……あなた様の身が自分だけのものと考えないでください。今、支えを失うわけにはいかないんですよ」
「わかっている……」
バロックは言い足りないのか、更に言葉を続ける。
「お願いですから……我々の忠誠心を揺るがすようなことをしないでください」
その言葉には、さすがのグランドールも堪えた。
「わかった……すまなかった」
静かに言うと、バロックはそれ以上、なにも言うことはなかった。
―――― side バロック
グランドールの寝室を出ても、バロックは腸の煮えくりかえる思いをしていた。グランドールに対してもそうだが、ムルソーに対しても怒りを感じていた。グランドールよりも強い怒りだ。バロックは普段付けている穏和な仮面を外し、剣のような冷たい目でムルソーに問い詰めていた。
「なぜ、隠していたのですか」
色々、言いたかったが、それを言うと罵詈雑言になってしまうと思ったバロックは、必死に堪えて端的に尋ねた。
ムルソーはいつも通りの穏やかさで、調べのような声を出す。
「あの方が生きたがっているからです」
意味が分からないと、バロックは眉根をひそめる。
「殿下のご病気は死病です。治りません」
バロックはひゅっと息を飲み、まさか……と視線をさ迷わせた。頬がひきつり歪な笑みになってしまう。
「……まさか。そんな……」
ムルソーは笑みをやめて、真面目な顔をした。真っ直ぐな瞳は、バロックにそれが真実であると伝えていた。バロックの感情が決壊し、苦悶の表情をする。
「なぜだ……! なぜ、神はあの方ばかり残酷な運命を強いる!」
やり場のない怒りで心が砕けそうだ。バロックは前髪をむしりとる勢いで掴み、血を流す心の痛みに耐えようとした。嘆きは目の奥を熱くし、そのまま頬を伝いそうだ。苦しいのは……本当に苦しいのは自分ではないというのに……感情が壊れて、抑えきれない。
「……あの方は……充分、苦しんでいる……苦しんでいるんだ……それなのに……」
バロックが顔を上げる。その拍子に目の奥から嘆きが溢れた。嘆きを止めることなく、ムルソーに叩きつけた。
「心を追い詰めるだけではなく、魂まで奪う気なのか!」
バロックは幼い頃のグランドールを知っている。彼が優しい心の持ち主であることも。強くありたいと願い、身を刻む思いで進んでいることを。
そんな彼に対して、これはあまりにも酷い仕打ちだ。
バロックは乱暴に目頭を擦った。グランドールが泣いていないのに自分が泣くのは間違いだと、自分の心を叱責した。
ムルソーは調べのような声色で彼に一筋の道を示す。
「……なら、あなたが殿下の希望となるのが宜しいでしょう」
意味が分からず顔を上げると、ムルソーは予言者のようにバロックに告げる。
「死神のカードは反転させると、再生の意味になります。再生は希望の息吹を感じさせるもの。殿下が命を削り作った道に、あなたが種を撒けばいい。希望の息吹をあなたが咲かせば……それは、殿下の本懐を遂げたことになるでしょう」
ムルソーの言葉の全てをバロックは理解することはできなかった。それを理解するのは決戦前になる。
グランドールの体のことを知ったバロックは今まで以上に彼の側にいて、彼の願いである終戦のために奔走する。しかし、グランドールは動いていないのは性に合わんと言って、歩みを止めようとはしない。だから、バロックはよりいっそう笑顔になり、半ば脅しのように彼を止めた。
「前に出られると目のことが否応なしに他の者に知られますよ。隠しておきたいんじゃないですか?」
冷めきった笑顔で言えば、グランドールは嫌そうに眉根をひそめた。立ち上がった彼は再び椅子に座る。それを見届けて、バロックは報告をし始める。
「ディーン小佐のことで報告が」
「なんだ」
「メロ様の唄を聞いた後に、すぐ退院されたそうです」
その一言にグランドールは訝しげに眉を上げる。
「そんなすぐに治る怪我ではないように見えたが?」
「えぇ……私もそう思います。メロ様のあの唄が何か特別なものを与えたのではないでしょうか」
グランドールはバロックの言葉を受けて、顎に手をのせて思案するような顔をする。恐らくバロックが感じているものを彼もまた気づいている。
「……惚れた男に、聖女が加護を与えたか……」
呟やくように言ったとき、グランドールは妙に穏やかな顔をした。切なく淡いものを感じたが、バロックは感傷に浸るのをやめた。これから、非情なことを告げるのだから。
「メロ様の力が、医療ではなく回復を与えるものでしたら、その通りなのか検証すべきです。メロ様はあの力を無意識に使っているように見えました。だから、同じような結果になるのか、もう一度、力を使わせるべきです。もし、回復の力があるのなら、我々にとって大きな戦力になります」
グランドールは目を見開き、バロック!と叫んだ。その表情は怒りに満ちていた。予想通りの反応にバロックは表情を変えない。
「メロがまだ伏せっているのを知って、そのような事を言っているのか! あれはメロの命を削るものかもしれないんだぞ!」
メロの力は戦力となる。医師のいらない短時間の回復は、大きな戦の時に役立つものだ。メロ一人で、その他大勢の兵が立ち上がるならば、利用するべきだ。もし、ディーンだけに作用するものだとしても利用価値は下がらない。ディーンは一人で無数の敵を倒す兵器だ。その兵器を磨耗せずに使えるとなれば、勝機は近くなる。たとえ、彼女の命を削ろうとも。
バロックはグランドールを幼少期から知っている。強気な態度をしているが、彼の本質が変わってないことを知っている。メロの力が利用価値が高いものであろうとも、彼は切り札を使わないだろう。
だから、自分が言うのだ。
彼が非情になれないのなら、自分がなろう。
それが、自分が信じる道だ。
「分かっています。だから、検証なのです。メロ様は伏せっておられますが、脈は安定しているとのこと。昏睡状態に陥っているだけです。それにあの力の価値を殿下は充分、理解されていますよね」
グランドールが歯噛みする。それを見つめ、バロックはとどめを刺す。
「手段を選ぶなと言ったのは殿下です」
「っ……!」
グランドールは痛みを堪えるような顔をした。わずかな沈黙の後に、彼はうつむき低い声を出す。
「メロの慰問を重度の医療施設のみにしろ……同じ条件でメロが力を使うか検証しろ……」
バロックは短く御意……と返事した。グランドールは、顔を上げた。その顔には悲壮感はなかった。ぞくりとするほどの冷徹な目でバロックに淡々と告げる。
「メロには俺がそう言っていたと伝えろ。全て俺の命令だと伝えろ」
バロックはひゅっと息を飲む。グランドールは漆黒をたゆたせながら、静かに言う。
「メロに憎まれるのは俺の役目だ。あれは脆いからな……憎い相手がいることで、奮い立つだろう。俺を悪役から下ろさせるなよ」
その決断にバロックの心がひび割れる。その痛みが少し顔に出そうになったが、取り繕った。
目の前のこの人はもっと、心が痛んでいるだろうから。
バロックは一度、大きく深呼吸した後、次の報告をする。
「グリッド国の第二王子ザック様が、殿下とお会いしたいとの連絡がありました」
その言葉にグランドールは目を輝かせ、口角を上げた。
「……腰抜けのボンクラ共がようやく動いたか」
「はい。内密に国境近くまでくるそうです」
その答えにグランドールは歯を見せて笑う。
グリッド国の穏健派をこちらに引き込むことは必要なことであった。穏健派は一度、過激派に屈している。グランドールの率いる自国が攻めても、穏健派の領地へ逃げ込まれては、また争いは繰り返される。穏健派には、それを塞き止める役目を担わせたかった。
「日程はいつだ」
「それは……」
話を続けようとした時だった。不意に執務室のドアが開いた。入ってきた人物にバロックもグランドールも息を飲む。
そこには寝着を身につけたまま、裸足でいるメロが立っていた。
生気のない瞳はバロックを見ずに、グランドールを見据えていた。異様な空気を出す彼女はふらりと執務机に立ち止まると、何も言わずに両手をついて、懇願の体勢になった。
「……殿下。お願いがございます……」
か細く言われたことに、バロックは言葉を失う。ふと、グランドールを見れば、その眼差しは愛しい者を見るものだった。思わず顔が苦痛に歪む。グランドールはそんなバロックを見ることはなく、退室するように促した。痛む心を言葉にしようと思ったが、腹の底に押し留めた。彼は悪役になりたいと言ったから、自分ができるのは、それを後押しするだけだ。
静かに歩きだし、バロックは二人っきりになるように退室した。
キィィ……バタン……
扉を閉める時、軋む木の音がやたら耳についた。バロックは眉と眉の間に深い皺を刻んで目を瞑る。
「申し訳ありません……」
伝わることのない贖罪を吐き出し、バロックは自分のやるべきことをするべく、歩きだした。
―――― side グランドール
頭を下げたまま懇願するメロに顔を上げろと告げたが、彼女は動かなかった。その体勢のまま、ディーンを村に返せと告げる。それは無理な相談だ。ディーンは隊にとってかかせない兵士となっていた。失うわけにはいかないのだ。
グランドールはメロに近づいて床に膝をついた。ぼやける視界では彼女の顔が見えなかったからだ。もう一度、顔を上げろと告げたが、メロは動かない。仕方なく、両手でメロの頭を挟み、強制的に顔を上げさせた。
メロは心が死んだような顔をしていた。ディーンを兵士にしたのは、自分のせいだと思っているのだろうか。
――馬鹿な女だ……全部、俺のせいにすればよいものを……
だから、グランドールはメロに死神の鎌を手渡す。怒りを込めて自分を切れと願いながら。
「つまらんな……」
冷徹な眼差しで呟き、メロを激情させるよう言葉を紡ぐ。
「メロ……お前の願いは聞き入れない。ディーンは俺の駒としてこれからも働いてもらう」
メロの瞳に輝きが戻る。それを見てグランドールは歯を見せて、口角を上げた。
「たとえ戦場で朽ち果てようとも、亡骸は村に帰らん。それが兵士というものだ。諦めるんだな」
実際、骸となった兵士は捨てられる。回収して敵兵に見つかり、余計な血を流すくらいならば、捨てろと命令を出している。それは兵士たちも充分に理解していることだった。
メロはグランドールから死神の鎌を受け取り、命を燃やすように立ち上がる。そして、躊躇なくグランドールを切り刻んだ。
「離して!!ディーンを殺させたりしない! 彼は私が生かす!!」
その言葉に、グランドールは口元に弧を描いた。挑発を続けてやれば、彼女は鎌を振るい上げる。憎しみに燃える彼女に切り刻まれながら、それでいいとグランドールは、やはり満足げに笑みを深めたのだった。




