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聖女の励ましは今も生きている【長編版】  作者: りすこ
グランドール編

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16/22

それでも、王子は少年を死なせたくない

 メロと共に王宮に戻ったグランドールは、来賓用の日当たりのよい場所をメロの部屋とした。マリアンナを呼び出し、彼女をメロの専属侍女にすると告げた。彼女を連れてきた理由は、兄への牽制があることも含めて伝えた。


「わたくしめがですか……?」


 マリアンナは紫色の双眸(そうぼう)を大きく広げ、驚きの表情を見せた。


「お前が適役だ。田舎娘だからな。ここの生活には慣れないことだらけだろう。一から面倒を見てやれ」


 マリアンナは表情を暗くして、うつむいた。彼女の心にあるのはロザリーナの復讐だ。主の仇を取れる日を心待ちにしている。そんな激情を秘めたまま、何も知らない娘の世話ができるだろうかと思っていた。


「しかし、わたくしでは……」


 断ろうとするマリアンナを見て、グランドールは彼女のあの日の言葉を蒸し返す。


「俺に絶対の忠誠を誓うのではなかったのか?」


 マリアンナは言葉に詰まり、頭を下げて、さっそくメロの元へと向かっていった。



 マリアンナをメロにあてたのは、彼女ならば勝ち気そうなメロに合うと思ったのと、彼女の復讐心を挫くためだ。


 これはグランドールの勝手な見解だが、メロはロザリーナにどこか似ている。勝ち気そうな性格といい、音楽を奏でる表情といい、二人は共通点が多い。メロの側について、何も知らない彼女を赤子のように面倒を見れば……マリアンナの心は本来の愛情深い性格に戻るかもしれない。少なくともやることがあれば、気を逸らせられるかもしれない。


 ――監視は必要だな。メロの世話をすることで姉上のことを余計に思い出すかもしれんし……


 これが正しいのかグランドールには自信がなくて、自嘲気味な笑みが出る。


 出し抜く謀は迷いもなくできるのに、一人の少女の気配りとなると、途端に思考が鈍る。


 それは愛するということを拒否し、女性をそういう目で見てこなかったグランドールにとって、欠落していた思考そのものであり、彼がこれから大いに苛立つものであった。



 そして、メロの行動にグランドールはさっそく苛ついていた。彼女は村にいた頃とはうって変わって、萎れた花のようになってしまった。元気がなく、王宮の食事もあまりとらない。落ち込んで、夜になると泣いているようだと、マリアンナから報告を受けていた。


 勝ち気な娘とばかり思っていたが、彼女の心はグランドールの想定より脆かった。マリアンナがメロを気づかい、彼女の故郷に似た料理を振る舞ったが、返って落ち込んでしまったらしい。ホームシックにかかっているようだ。


 その話を受けて、グランドールは珍しく深いため息をついた。どうすればいいのかなんて、思い付かない。


「おい、バロック……」

「なんでしょうか?」

「女が喜ぶことはなんだ?」


 至極真面目に聞いてきたグランドールに、バロックは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。そして、耐えきれなかったようで、小さく笑いだしてしまう。その笑いが馬鹿にされていると思ったグランドールは、敵兵でも見るような顔をした。バロックは慌てて取り繕うように咳払いをする。


「やはり着飾ることでしょうか? おしゃれを楽しむことは女性は嬉しいものですよ」


 そう言われ、そういうものかと思ったグランドールは、メロの服装を全てこちらで流行りのものに変えてしまう。ホームシックになるならと、持ってきた洋服は閉まった。


 いささか度が過ぎませんか?と、マリアンナは言ったが、故郷を思い出すくらいならしまえと、グランドールは聞く耳を持たなかった。


 メロは華やかな洋装になり、マリアンナが丹精込めて、髪を結い上げると、どこかの令嬢のような愛らしい姿となった。本人は貰えないと断ってきたが、「俺の品性が疑われる」と言って、メロに無理やり着せた。

 グランドールは自分の姿に戸惑うメロを見て、口の端を上げた。


「少しは見れる姿になったじゃないか」


 そう言ったとき、メロの表情が変わった。頬をひきつらせ、捨てられた子犬のようにしょぼくれた目は、苛立ちで輝き出していた。

 生き生きとし出した目を見て、グランドールは逆鱗に触れることが、メロを奮い立たせる発火材と考え、以後、彼女に対して、わざと怒らせるようなことを言い続けた。


 それは優しくすることに不慣れなグランドールにとっては、やりやすい方法であった。メロは元々の勝ち気な性格が顔を出して、二人は顔を合わせるたびに言葉の応酬を続けた。



 ***


 メロがホームシックを表面上は脱して、目を吊り上げ澄まし顔をするようになると、グランドールは彼女を伴って兵士の慰問に訪れた。慰問先は軽度、中度、重度に別れた医療施設だ。この分け方はグランドールの提案によるものだ。


 軽度の怪我は復帰の見通しが立つが、重度になると兵士の復帰は難しくなる。病状が重い、長期療養が必要という理由もあるが、中には剣を取れなくて、苦悩する者もいる。茫然と生きる意味を失う者も。それは、彼らが失った仲間の思いを背負って、剣を持っていたからだ。


「なんで、俺は生き残ったんだ……もう、あいつらに報いてやれない……」


 ある兵士の嘆きを聞いて、グランドールは施設を分けることを決めた。


 生き残ったことを後悔する彼らを兵に復帰ができる者と寝所を共にすることなどできない。彼らの嘆きを強めるだけだ。嘆きは時に、苛立ちとなり、争いの種になる。男たちは剣を持つことに誇りを持っていた。剣は彼らの誉れであり、名もなき勲章だった。


 そんな彼らの思いを汲んで、なんとかしてやりたかった。


 剣を持てなくなっても、心を戦場に置く彼らに安寧の道があることを示したかった。その道の先に、彼らを待っている人がいることに目を向けてほしかった。


 グランドールは兵士の復帰が難しくなった長期療養者には、専属医師をつけ、特別なケアを試みた。対話に優れた医師を集め、彼らの心を癒す方法を模索した。家族や知人との面会時間も長く持ち、他の兵士に気を使う者は、自宅への訪問治療も認めた。


 メロの唄は、彼らの救いになればよいと考えていた。


 だが、重度の医療施設は戦いの爪痕が色濃く残っている。争いも何もない土地から来たメロをいきなり重度の医療施設に向かわせようとは思えなかった。


 メロは心が強くない。彼らの嘆きを身に受けて自分のものとしてしまったら、それはあまりに酷い仕打ちだろう。それにまだメロが彼らの前で歌えるかもわからない。


 メロはただの少女だ。不思議な力を持ってはいるが、兵士を見て足がすくむかもしれない。それならば、仕方がないとさえ思っていた。



 しかし、グランドールの予想とは反して、メロは力を失った者の前に立つと、逆に心を強く律する少女だった。



 軽度の医療施設の慰問に訪れたメロは、屈強な体つきの見慣れない兵士に確かに戸惑っていた。そんな彼女を一歩前に出すため、グランドールは兵士にメロを紹介した。


「彼女は黄金色の唄を持っている。聞いてやってくれ」


 メロには「仕事だ」と、耳元で意地悪く囁いた。メロは一度、グランドールにムッとした表情をしたが、聞く体勢となった兵士を見て、姿勢を正した。


「それじゃあ……」と、少しだけ自信なさげに始めると、彼女は口から励ましを歌った。


 その曲はグランドールが聞いた曲よりも明るいものだった。一つ高い音階に、メロは明るい笑顔で歌った。やがて、両手を広げたメロの背後で、太陽が輝きを強めた。


 晴天の雲間から光が溢れる。

 それは光の道となって、メロを中心に人を照らした。


 誰もが手を止め天を仰ぎ、純白の道を見つめた。あの先にはきっと、手にしたい願いが待っているのだろう。そう思える光景だった。



 弾む声で歌が終ると、メロは一つ息を吐いた。シンと静まり返った施設。グランドールを含めて、全員が彼女の唄を聞き入り、言葉を失っていた。メロはあまりの静けさに視線をさ迷わせた。


「あの……」


 おずおずと出された声に近くにいた兵士が目を細めて、拍手を送る。最初は一つだった拍手が、二つになり、施設内にいた全員が笑顔で拍手をしていた。その拍手の中心で、メロは恥ずかしそうにしながらも、にかっと笑う。

 初めて見る笑顔にグランドールは穏やかな微笑(びしょう)を口元に浮かべた。


 ――なんだ、そんな顔もできるのか。


 メロを中心に明るくなった兵士を見て、グランドールは目指している光景が近づいた気がした。


 兵士はメロにもっと歌ってほしいとせがんだ。メロはやはり戸惑って、どうしようと身を強ばらせていた。グランドールは彼女の背後から声をかける。


「気がすむまで歌ってやれ。俺は他の医療施設を回ってくる」


 びくりと震えて、メロは背中を硬直させる。こちらを横目で見たメロに不敵な笑みを見せれば、彼女は片方の眉だけを上げた。その表情に、笑みを深めて一瞥すると、付いてきていた護衛の一人に声をかけた。


「任せたぞ」


 護衛が敬礼したのに頷き、グランドールは別の医療施設に向かった。



 メロの護衛は精鋭の者を配置して、彼女の身に万が一がないように警戒をしていた。


 第二王子アッカースに通じていた者は王宮に戻った後、バロックの指揮の元、早々に炙り出されていた。内通者は料理を運ぶ世話人の一人だった。彼は気さくな笑顔でグランドールの従者たちに料理を運びながら、彼らから情報を引き出していた。彼が内通していたのはお金の為だ。金を積まれたからやったと平然と言った。


「金を貰ったからやっただけだ。悪いが俺には忠誠心ってものは持ち合わせていないんでね」


 それを聞いたバロックは、剣を抜いてその場で彼を切り捨てようとした。グランドールが制して、逆に金で買収した。


「金で動くなら俺が積んでやる。だから、兄上たちの様子を教えろ」


 二重スパイに仕立て、彼から王都の様子を聞き出すことにした。彼は大事なものが抜け落ちた屈託ない笑顔で、グランドールに問いかける。


「そんな簡単に信用していいの? 実はアッカース様に深い忠誠を誓って、あんたに嘘をつくかもよ?」


 彼の挑発の言葉に、グランドールは歯を見せて口角を上げた。


「その時は、俺がただの阿呆だったというだけの話だ」


 彼は虚をつかれたようだった。やっぱり大事なものが抜け落ちた顔で「あんた、王族なのに面白いな」と笑った。そして、彼はスパイになることを了承した。


 彼――ジンはその後、グランドールを裏切ることなく、兄たちの行動を飄々と報告し続けた。



 ジンは抱き込めたが、また兄たちが別の手を打つかもしれない。メロへの護衛は抜かることはなかった。



 別の医療施設に行くのは慰問の意味もあったが、グランドールの診察も兼ねていた。バロックが度々、体調を崩すグランドールを見かねて、笑顔で提案してきたのだ。


「慰問ならば、他の兵士に気づかれることはありませんし、彼らの様子も、医療現場の様子も殿下は気になるでしょう。ついでに診察を受けてきてください」


 目が全く笑っていない笑顔で言われて、グランドールは渋々、了承した。そして、今日は定期検診の日だった。


 検診を受ける前には必ず重度の医療施設を巡り、沈む兵士に声をかける。力無く申し訳ありませんという者。まだ戦う気力だけはあり、ここぞとばかりに兵の隊列について、グランドールに進言する者もいた。それら一つ一つを彼は耳を傾けた。時には食事も忘れて議論を続けるので、医師のムルソーは熱くなりすぎたグランドールと兵士を穏やかな笑顔で諌めた。


「語り合うのも宜しいですが、食事は取りましょうね。皆さんの一番大切なことは体を治すことなのですから」


 ムルソーは穏やかな顔で声をかけ、グランドールを診察室に連れて行った。椅子に座ったグランドールにムルソーは問診を始める。目眩は酷くないか、視力の低下はないか、と聞いて、グランドールの体を診察した。


「最近は平気だ。目眩も出ていない」

「そうですか。それはよかったです。しかし、充分に気をつけてください。体調が悪くなれば、すぐバロックさんを呼んでくださいね」


 40代のムルソーは目尻に皺を作ってにこやかに微笑む。小言に聞こえてしまうことも、ムルソーの声は独特な心地よさがあった。だから、グランドールも素直に「わかっている」と言う。


「俺とて、今、倒れるわけにはいかない。まだ、夢半ばだ」


 そう言って、グランドールは自分の手のひらを見つめる。震えはない。痺れも。しかし、何かがこの身に巣食っていることを彼は気づいていた。


「なぁ、ムルソー……」

「なんでしょうか?」

「俺の命はあと、数年は持つか」


 グランドールは全てを受け止めているように漆黒の瞳をたゆたせた。ムルソーは少し息を飲んで、いつものように穏和な顔をした。


「殿下の症状は過労が主です。本来ならのんびりとして欲しいのですが、そうもいかないでしょう」


「そうだな。できない相談だ」


 ふっと笑うと、ムルソーも全てを分かっているような顔をした。グランドールは手のひらに視線を移したまま、両手を動かす。一度大きく開いて、ぐっと握りしめると、忘れてはいけない死神の鎌の感触がした。


「俺は死ぬわけにはいかない。まだ、願いは叶えられていない」


 ムルソーはまた小さく息を飲んで、旋律のような声を出した。


「生きようとする力が何よりの薬です。殿下が生きようとする限り、あなた様の心臓は動きますよ」


 そう言われて、グランドールはふっと肩の力を抜いた。ムルソーはカルテに書きこみながら、そうそうと声をかけた。


「やはり、バロックさんにはご病気のことは伏せておくのですか?」


 グランドールはメロのように片眉をつり上げた。


「冗談。あいつは過保護なんだ。知られてみろ。俺を部屋に監禁しかねん。バロックには絶対、言うなよ」


 そう言ったグランドールの顔は年相応で、大人になりきれていない子供のようだった。ムルソーはくすっと笑い、言いませんよと返事をした。




 ―――― side ムルソー


 グランドールの体に巣食う病は、その時代では不治の病とされていた死病だ。経過は緩やかだが、手や足を痺らせ、視力を低下させる。真綿で締め付けるように病にかかった者を死に向かわせた。大抵は発見が遅れるが、ムルソーは国内でも有数の医師だった。死病や難病の研究に取り組んできた彼は、グランドールの病にも目処をつけていた。


 しかし、ムルソーはグランドールに安静にするようにとは言わなかった。ベッドに縛り付ければ、グランドールは生きる意味を失くし、一気に病が進行する気がした。悔しいが、まだ治療法が見つかっていない。しかも、グランドールの年齢で発症するのはレアケースだ。何が起こるかわからない。


 治らないのであれば、患者の望むことを最大限に行う。その生命を燃やす方向へと導こう。それが今、自分ができる最良の道だ。


 グランドールの診察が終わり、カルテに書き込みながら、ムルソーはふとバロックの言葉を思い出した。


『殿下はすぐ無茶をするんです。私が何度も、何度も、何度も言って、ここに来させたんですよ! 本当に……! 人には命を大事にしろというくせに、あの方は自分の命を磨耗させるんですから……』


 悔しげに顔を歪めてバロックは、吐き捨てるように言っていた。


 だから、ムルソーはバロックがいかにグランドールの身を案じているか充分に理解はしている。しかし、それでも、バロックにはグランドールの病を言わない。


「……バロックさん、すみませんね。私は医師としては失格です。ですが……」


 ムルソーが顔を上げると、窓の外に晴天が見えた。今日はいつもより太陽の光が強い気がした。眩しくて目を細める。白い輝きを見つめながら、ムルソーは一人、呟いた。


「あの方は生きたがっている。それだけは、分かってあげてください……」


 ムルソーの揺るやかな調べの声は、太陽の光に包まれて、誰にも知られず溶けていった。




 ―――― side グランドール


 メロが歌うようになると、彼女は息を吹き替えしたように元気になった……とは言えなかった。マリアンナの報告では、夜は変わらず時折、泣いているようだ。しかし、歌えば彼女は輝きだす。だから、彼女の好きなときに慰問に行けるように護衛を付けて行かせた。


 嫌みを言って怒らせることも、グランドールは変わらずにし続けた。バロックには、もっと優しくして差し上げても……と、苦言を呈されることはあったが、グランドールは無視した。


「あれは怒ると、目が輝きだす。辛気くさい顔をされるよりは、ずっといい」と言って、愉快そうに笑った。



 そんなどこか噛み合わない日々を過ごしていたグランドールの耳に、とある訓練生の話が舞い込んだ。話を持ってきたバロックは神妙な顔をしており、ただごとではないことをグランドールは察した。


「メロ様と同じ出身の村の者が、訓練生として兵士に志願しています」

「なんだと……」


 グランドールはバロックが持っていた訓練生の資料を引ったくるように取り上げた。バロックが心痛な面持ちで、それを見ていた。


「こいつが……ディーン……」


 書類に張り付いていた写真を見て、グランドールは目を見開いた。そこには茶色い透明の瞳を持つ少年がいた。妙に印象深かった少年だ。

 グランドールは額に手を起き、想定外の出来事に困惑していた。脳裏に過るのはメロのこと。


「こいつは……あれが好いたディーンという男か……」


 バロックは影を落とした表情のまま、首を縦にふった。


 ぐしゃり。グランドールの手が、書類を握りしめて紙に皺ができる。彼は乾いた笑みを口から吐いた。


「なるほど……剣以外は完璧だな……」


 くつくつ喉を震わせて、グランドールは皮肉な笑みを漏らす。


「……あれを追ってのきたか。愛に我を失ったのはこっちの方か……」

「殿下……」


 グランドールはバロックを鋭い眼差しで見つめた。


「こいつは兵士にするな。絶対に死なせるな」


 もし、ディーンが兵士となり死んだとなれば、メロは間違いなく壊れる。そこまでの仕打ちをする道理はない。それに、メロの唄を兵士たちは憩いとしてしまっている。最近ではメロのことを聖女と呼ぶ兵士も出てきた。今、彼女の唄も失うわけにはいかなかった。


 バロックは御意と短く返事をした。

 グランドールは眉間に深い皺を刻み、追ってきたディーンを憎く思った。


「馬鹿者が……愛のために生き急ぐ奴なんぞになりやがって!」


 グランドールはメロとディーンを思い、その道を閉ざそうとした。


 しかし、ディーンの思いの強さの方が勝ったのだ。グランドールの思いとは裏腹に、ディーンを見ていた上官が彼に進言してきた。


 訓練生を見ている上官のフーガは、ディーンを兵士にはしないという命令を知っていて尚、彼に剣術を教えたいと願ってきた。深く頭を垂れて誠心誠意、グランドールに懇願してきた。


「どうか……ディーンに兵士となる道をお与えください」


 彼はディーンがいかに兵士になりたがっているか知っていた。ディーンは身に余る剣を振るい、来る日も来る日も、兵士になることのみを願っていた。彼の体は小柄で剛剣は扱えないが、ダガーならば使えるだろう。その剣術は自分が自ら教えると言ってきた。


 グランドールは引かなかった。フーガの言葉を却下した。ならばと、フーガはディーンの姿を見るようにグランドールに言った。


「お心が変わらなくてもいいです。どうか……彼を、彼を見てください」


 グランドールは眉根をひそめながらもそれならばと、了承した。



 ***


 それは夕刻の出来事だった。太陽が命を燃やすように赤く落ちている中、誰もいなくなった訓練所でディーンは一人、剣を振っていた。


「はっ……はぁ!」


 もう何分、いや、何時間、彼はそこにいたのだろうか。ディーンは全身汗だくになりながら、それでも剣を振るっていた。持ち手はまめが潰れ、血で濡れていた。腕は限界を通り越して震えている。それでも、ディーンは剣を持ち上げようとした。


「っ……」


 血で持ち手が滑り、剣は地面に突き刺さり、彼もまた地面に叩きつけられるように倒れた。それでも、彼は起き上がった。震える両手を叱咤して、支えて立ち上がる。立っているのがやっとなのに、彼は手の血を乱暴に服で擦ると、剣を持った。地面に食い込んだ剣は重さもあって、抜いた途端、彼は尻もちをついた。


「はっ……はっ……はぁ――……」


 ディーンは深く呼吸すると、剣を持ち直した。そして、立ち上がる。


 ディーンの茶色い瞳には信念しかなかった。兵士になるという信念しかなかった。


 そんな彼の元へ一人の男が近づく。ガロンだった。


「お前っ!また!」


 ふらつくディーンを大柄なガロンが支える。ディーンはなぜ、ガロンがここにいると言いたげな顔をした。

 ガロンは苦虫を潰したような顔をする。


「バカ! こんなになるまでまた、やりやがって!」


 ガロンの叱責にディーンは曖昧に笑った。


「……だって、僕はこれしかできないから」

「またそれか! お前は!」


 ガロンは怒りをあらわにして、ディーンから剣を取り上げた。ディーンの腕を肩に回して、彼を支えるように歩きだした。それを見て、ディーンは薄い笑みを出す。


「……僕はガロンになりたかったな……」

「あぁ?」

「ガロンみたいに……剣を振れる体に生まれたかった……そうすれば、兵士になれる……」


「会いにいけるから……」


 小さな――とても小さな願い。

 それを叶えるために、彼は身に合わない剣を振るっていた。


 それを聞いて、遠くから二人を見ていたグランドールは、眉根をひそめて踵を返した。隣にいたバロックとフーガが慌てて歩きだす。


 数步、歩いたところでグランドールは立ち止まり、拳を握りしめながら、振り返らずに静かにフーガに言った。


「……あいつにダガーを教えてやれ……」


 フーガの目が見開き、そして深く礼をした。それを見ることなくグランドールは歩きだした。


 ディーンの気持ちをグランドールは痛いほど分かってしまった。


 自分の手の中にも身の丈に合わない重い鎌が握られているのだから。



 二人を合わせるべきか、グランドールは判断に迷っていた。たとえばディーンをメロの護衛にすればよいとか。そういう合わせかたもあるだろう。


 二人揃って村に帰してやることはもうできない。メロの唄は、もう手放せないところまできている。兄の排斥もまだだ。それに、あれほどの信念を燃やす男が護衛などで満足するだろうか。連れ出せないことに疲弊して、メロと共に倒れるのではないか。


 いや、それは全て言い訳だ。


 グランドールはディーンの存在に畏怖を感じていた。怖いものは何もないと言いたげな茶色い透明な瞳を見つめると、自分がどうしようもなく小さい存在に思えた。


 彼の真っ直ぐな瞳で責められたら。

 なぜ、二人の世界に帰してくれないと責められたら――グランドールは強さを取り繕うことすらできなさそうだった。


「……ざまぁない……俺はどこまで弱いんだ……」


 執務室でグランドールは一人、頭を抱えた。



 グランドールの思いを置いて、ディーンは頭角を現していた。彼はディーンが死なないよう後方に回す命令を出したが、マグリットはそれを全面的に否定した。


「殿下……私は殿下の兵法には今まで散々、文句を言ってきましたがね……なんですか? この命令は……」


 マグリットは鍛え上げられた腕を振り上げ、拳をグランドールの執務机に叩きつけた。ダンっ!と、机が揺れるほどの音が出る。叩きつけられた箇所がわずかに凹む。マグリットは敵を殺すような目で、グランドールを見据えた。


「ディーン二等兵の才覚は、隊の中でも五指に入ります。昇進させて前線を任せた方がいいという意見が、我らの総意です」


 声高に言われたことに、グランドールは同じような目の鋭さでマグリットに言う。


「奴はまだ十七の小僧だぞ? そんな若輩者に前線を任せるなど、いつから我隊は腑抜けになったのだ」

「はっ……ぬけぬけと何をおっしゃるのか」


 マグリットは鼻で笑った。


「ディーン二等兵とガロン伍長の二人で、十の敵を蹴散らすのですよ? 強き者を前に置くのは、隊を守る最善の策です」


 バン!と、マグリットは目を見開き、また机を叩く。


「あなたは我々に言った! 命を散らすのを美徳と思うなと! あの言葉は偽りだったのか!!」


 グランドールは奥歯を噛みしめ、言葉に詰まった。マグリットは畳み掛けるように言う。


「最近の殿下は迷いが多すぎるようですな……聖女に現を抜かしているのではないですか?」


 その言葉にカッとグランドールの目が見開く。隣で聞いていたバロックがたまらず声を出した。


「父上!」


 その言葉にマグリットは黙れ!と怒声を浴びせた。


「この場に家族の情など出すな! お前まで腑抜けになったのか!」


 マグリットの語気に気圧され、バロックは歯噛みする。マグリットはディーンを前線に出すと言い捨てて、部屋から出ていった。


 扉が乱暴に閉まると、グランドールは額に左手をあてて、くつくつと喉を震わせた。


「マグリットのくそジジイめ……言いたいことを言いやがって……」


 しかし、全て図星だった。

 あの二人のこととなると迷いっぱなしだ。


 正しさが導けない。


 グランドールは奥歯をギリッと噛みしめると、左手を振り上げた。ダンっ!と、拳を机にめり込ませる。


 ――全てが後手後手に回っている。どこで俺は間違えた……


 ダン!


 ――村に行ったことが間違いだったのか……兄たちを放置していたからか……


 ダン! ダン!


 ――父上の静観を振り切って、姉上の死の時に挙兵させればよかったのか……


 ダン! ダン! ダン!


 ――いや、そもそも……生まれてきたこと自体が間違えだったのか……


 ダン! ダン! ダン! ダン!



 ――俺など生まれてこなければ……



 ダン! ダン! ダン! ダン! ダン! ダン!



「――殿下!!」


 昏い思考に飲まれていたグランドールの手が握られる。我に返ったグランドールの顔色は土気色になり、生気を失っていた。その表情を見て、手を掴んでいたバロックも悲痛な顔をする。


「……血が出ています……」


 グランドールは瞠目(どうもく)し、震えた自分の拳を見つめた。皮膚を破り、血が滴るそれを見つめながら、苦しげに眉根をひそめた。


 血を流す痛みを知っていた。

 だから、血を流すことを憎んだ。


 だが結局、自分は他人の血を流している。


 何を成し遂げた?


 ……何も成し遂げていない。


 結局、戦から一番遠かった少年の血すら流させている。


 自分が迷うから。弱いから。――甘いから。


 グランドールは流れる血を憎むように睨み付けた。


「アイツが殺される前に戦を終わらせる……それぐらいしか……俺にはできない」


 バロックが悲痛な面持ちで「殿下……」と呼んだ。

 グランドールが立ち上がろうとした時、ぐらりと目眩がした。ふらついた足元を支えるように両手を机につく。霞む視界に忌々しさが募る。


「……はっ。弱すぎて話にならんな……」


 自力で立てない体が恨めしい。支えようとしたバロックの肩口の服を血が滲む手で掴む。


「……グリッド国のボンクラ共はまだ動かんのか」


 間者を送っていたが、どこまでも弱腰なのかこちらに味方する気配はない。


「……一人の王子が……と、話を聞いてはいますが……」

「なら、交渉の席に付かせろ……構わん。手段は選ぶな」

「……御意」


 今までは大っぴらな行動は避けていた。血を流すことなく粛々と行ってきた。それも甘さの一つだった。


 グランドールは焦っていた。

 しかし、成果がでない日々が過ぎていた。



 さらに追い打ちをかけるようにメロが倒れてしまった。


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