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期待の新刊  作者: 光闇居士


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8/9

エンディングその2

「裕樹さん……」

百合子は、息を切らして駆け寄った。

裕樹は静かに両腕を開き、彼女の小さな体を優しく、しっかりと抱きとめた。

「いいんだ。もう、何も言わなくていいよ」

「え……んっ、えん……!」

百合子は、幼い子どもが母にすがるように、声を限りに泣きじゃくった。

わんわんと、抑えきれない嗚咽が銀色の部屋に響き渡る。

裕樹はそっと彼女の髪を撫で続けながら、穏やかで優しい声で尋ねた。

「なぜ、僕なんだ?なぜ、僕を選んだんだい?」

百合子は涙に濡れた顔を上げ、震える瞳で彼を見つめた。「あなたの作品が……幼くして両親を失った少女を、どん底の闇から、救い出してくれたの」

「私は、それだけを頼りに……三百年の時を越えて、あなたを探しに来たのよ」

「だから……スランプなんて、気にしないで。

もっと、もっと素晴らしい物語が、あなたを待っているわ」

裕樹は、静かに、深く息を吐いた。

「……そうだったのか。それを聞けただけで、僕はもう、十分に幸せだ」

百合子は震える指先で、一粒の銀色のカプセルを取り出した。

「これで……僕の、この一年の記憶は、なくなるのかい?」

彼女は頬を伝う涙を拭うこともせず、無理に微笑みを浮かべて、かすかに頷いた。

「未来って……本当に、残酷だな」

「こんな小さな一粒の薬で、僕の一生を、壊してしまうなんて……」

百合子はカプセルを自分の唇に含み、裕樹にそっと、深く口づけをした。

全宇宙が砕け散るような、激しく、切なく、永遠を賭けたようなキス。

甘いバニラの香りが、再び裕樹の意識を優しく、残酷に包み込んだ。朦朧とする視界のなかで、百合子の声が、遠く、かすかに響いた。

「どんなことをしても……必ず、あなたにまた会いに行くから。

そのときに、私のことを……思い出して……」


★  ★  ★  ★  ★


2004年の春、裕樹は自宅の机に向かい、ようやく自信作を書き終えたところだった。

「いつの間にか……五十ページも増えていたんだな。今日の夕方、佐藤さんが取りに来る時に、どう言おうか」

独り言のように呟きながら、インスタントコーヒーの湯気を眺める。

カップを手に、積み上がった原稿の束を見つめているだけで、胸の奥が温かく満たされた。

窓から差し込む柔らかな春の光が、紙の端を優しく照らしている。チャイムが、静かに鳴った。ドアを開けると、そこにはいつもの担当編集者・佐藤氏が立っていた。

その隣に、若い女性が控えめに寄り添っている。

「どうも、先生。お疲れ様です」

佐藤氏の声は、相変わらず軽やかで調子がいい。

「いやはや、ついに歴史長編が完成したんですね。心待ちにしておりましたよ」

「どうも……えっと……」

裕樹の視線が、自然と隣の女性に移る。

「ああ、ごめんなさい。うっかりしてました。こちら、うちの新入社員の吉田君です。今日は一緒にご挨拶に参りました」

女性は一歩前に出て、明るく、弾むような声で頭を下げた。

「吉田百合子と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」

その笑顔は、花が一気に咲き誇ったかのように鮮やかだった。

元気いっぱいの瞳、屈託のない表情。

そして、かすかに——甘いバニラの香りが、そっと鼻先をくすぐった。だがその瞬間、裕樹はただ、彼女の笑顔に見とれていた。

他のことに気づく余裕など、まるでなかった。そう、二人の恋は——

今、ここから、静かに始まろうとしていた。

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