目覚
鈍い頭痛が、再び裕樹の頭蓋を締めつけた。ああ、そうか。これは酒のせいなんかじゃない。あの甘いバニラの香りの、残り香だ。裕樹はゆっくりと意識を再構築しながら、周囲の状況を確かめた。
視界は完全な闇。音も、風も、何もない。床は冷たく、金属の硬質な感触が背中に伝わってくる。四方を鋼板で囲まれた空間——まるで巨大な箱の中に閉じ込められたような、息苦しい密閉感。とりあえず、拳で壁を叩いてみた。鈍い反響が返ってくるだけ。
大声を張り上げてみたが、声は箱の内側で吸い込まれるように消え、外へ届く気配すらなかった。突然、何の前触れもなく——ぱっ、と。眩い白い光が空間を満たした。
長く暗闇に慣らされていた瞳には、まるで針を突き刺すような痛みだった。蛍光灯特有の冷たく無機質な光。まぶたを細めながら、裕樹はようやく周囲を見渡せた。どこかで扉が開く音がした。
やがて、革靴の軽やかな着地音が近づいてくる。規則正しく、しかしどこか優雅に。現れたのは、全身を黒いスーツで固めた男だった。
片手に、500mlのペットボトル。表面に水滴が光る、よく冷えたミネラルウォーター。男は無言で裕樹に近づき、ボトルを差し出した。
裕樹は受け取り、キャップを外して一口含む。冷たさが喉を滑り落ち、額に当てると、頭痛がわずかに和らぐような錯覚さえした。男の顔は、黒い仮面で完全に覆われている。
目も、表情も、一切読み取れない。ただ、静かにそこに立っている。裕樹はゆっくり身を起こし、相手をじっと観察した。
今は、こちらから動くべき時ではない。相手の出方を待つのが、最善の策だ。男が、初めて口を開いた。
「大変失礼なことをいたしました」
声は低く、抑揚を抑えた丁寧な調子。
「私どもは、決して怪しげな者ではございません」
「このような手段に出ざるを得なかったのも、やむを得ない事情がございました」
「心よりお詫び申し上げます」
「あなた様をこのような事態に巻き込んでしまったのは、本当に私どもの不手際でございます」
「しかしながら、こうなってしまった以上、どうか納得のゆくご説明をさせて頂きたく、また、ご理解を賜りたく存じます」
裕樹は黙って聞いていた。
相手が自ら説明を申し出ている以上、無闇に抵抗するのは愚策だ。これまでの不可解な出来事の連なりを考えれば、力ずくでどうにかなる状況ではないことも、痛いほどわかっていた。
「……わかりました。話を聞きましょう」
そして、少し間を置いてから、裕樹は静かに、しかしはっきりと続けた。
「ただ、その前に——吉田百合子さんの安否を、まず教えてください」
男はわずかに頭を下げた。
「承知いたしました。ご協力、ありがとうございます」
「それでは——説明させていただきます」
暗く冷たい鋼の箱の中で、白い光が無情に二人を照らし続けていた。
バニラの残り香が、かすかに、まだ漂っているような気がした。




