序章07 それぞれの正義
序章第七話 それぞれの正義
▼1
人類ポテンシャル協会の地下基地は、郊外の目立たない建物の下に隠されていた。空気にはタバコと酒と鉄錆の匂いが混じっている。照明が本革のソファをいかにも高級そうに照らしていて、そのソファに四十一歳の男が座っていた。この建物の人間はみんな、彼を本名ではなく「白狼」と呼ぶ。そのほうがよほど通りがいい。本名はイヴァン・ヴォルコフ。その名を口にする度胸のある者は、ほとんどいなかった。
白い髪はあちこちに跳ね、目は細く、笑うと犬歯がのぞく。身につけているのは体にぴったりしたタンクトップ一枚だけで、肩から前腕にかけて短い獣の毛がうっすらと生え、指の関節には張ったばかりの薄い霜がついていた。餓鬼道の後遺症だ。使わなければ飢え、使えば使うほど人間から遠ざかっていく。本人の説明はいたってシンプルだった。核災害で変わった体質で、科学で説明がつくものだ、と。協会の人間はみんなその説明を信じていたし、彼の前で「地蔵王」の三文字を口にする者はひとりもいなかった。
金庫が開いた。五十万ドルが、きっちりと並んで収まっている。彼は口元に笑みを浮かべ、札束をひとつつかみ上げた。
次の瞬間、手の中の緑色が、潮が引くように色あせていった。札束はまるごと黄ばんだコピー用紙に戻り、指のあいだからひらひらと滑り落ちていく。指の腹には、銀白色の細かい粉だけが残った。彼は粉のついた自分の手のひらを見下ろし、顔を近づけて匂いを嗅いだ。しばらく、何も言わなかった。
その匂いには覚えがあった。火薬だ。
壁際に立っていた白衣の研究員がピンセットで紙を一枚つまみ上げ、透明な袋に入れてラベルを貼った。そこにいる二人の部下より、よほど手際がいい。協会のやり方は、極道とは違う。いきなり殴ったりはしない。まず検査にかけるのだ。
「……どういうことだ」
重い声だった。怒りを押し殺している。目の前でひざまずいている取り立て役の部下二人は、冷や汗を流して顔も上げられない。ひとりは膝が震えていた。
「狼の兄貴! 俺たち、その場でちゃんと確かめたんです! 本物の札でした! 偽造防止の線も透かしも、全部本物でした! あの蔡阿明って奴の横から、いきなりチャイナドレスの小娘が出てきて、金を渡して帰ってったんです……」
「そうです! 奴が何か仕込まないか、帰るまでずっと見張ってたんです!」
白狼は数秒黙り込んだあと、急に笑い出した。聞いている者の頭皮がぞわりとするような笑いだった。
「金庫を開けたら紙くず、か」彼は紙を一枚つまんで照明にかざした。コピーの黒い点が、ひとつずつ浮かび上がる。「どこの六道人だ? 人類ポテンシャル協会相手に冗談をかましてるのは」
「面白い。どうやらこの件には、確かに裏があるらしい。しかも、ずいぶんと間のいい奴の仕業だ」
金庫がバタンと閉じられ、紙くずがあたりに舞い散った。彼は指を弾いて、指の腹にこびりついた粉を払い落とした。
「今すぐ蔡阿明をとっ捕まえて吐かせますか? ちょっと痛めつければ、あの小娘のことも絶対しゃべります!」
「もう一回だけチャンスを!」
彼は手を上げて制した。目つきは陰気だったが、口元がゆっくりと吊り上がっていく。少し面白がっているような顔だった。金よりも面白いものに出くわした、とでもいうように。
「チッ、お前らの頭には何が詰まってんだ。うちの協会が、竹梅堂みたいな三流のドブネズミどもと同じで、約束を守らないとでも思ってんのか。借りた金は返す。当たり前の話だ。だがこの金が偽物だった以上、その借りはまだ返し終わってない」彼は少し間を置いて、部下のひとりに視線を落とした。「とはいえだ。蔡阿明は、こんな小細工をするタマには見えん。むしろ、奴の横に急に現れたっていうその小娘……面白いじゃないか」
彼はソファにもたれ、脚を組んだ。
「電童、猫女。この件はお前らに任せる。その女の素性を、根こそぎ掘り起こしてこい。生きてても死んでても構わん。必ず連れてこい」
「それとだ」彼はひと言付け加えた。「明日、姐さんが帳簿を見る。偽札のことはまだ耳に入れるな。俺が自分で片をつける」
部下たちの顔色が、そろって真っ青になった。白狼は無意識に自分の鼻を触った。前に紙くずの件が青龍の姐さんにばれたとき、彼の鼻はまる三日、赤く腫れたままだったのだ。
薄暗い隅から、二つの影が同時に低く「はっ」と応えた。ひとつはきびきびとした短い声。もうひとつは語尾を長く引いていて、すでに笑いを含んでいた。こういう仕事を、ずっと待ちわびていたかのように。
隅でまず、青白い火花が小さくひとつながりに弾けて、パチッと消えた。続いて、しっぽが床をこする小さな音と、長く伸ばした「にゃあ」というひと声。わざと聞かせているみたいだった。
★ ★ ★
▼2
同じころ、夜の帳が台北の東区を包み込んでいた。
忠孝東路のテールランプが赤い一本の線になって連なり、ビルの一階のコンビニはまだ明るい。アーケードの下では会社員たちが酒を飲んでいて、空を見上げる者はひとりもいなかった。
夢人は輪廻ヒーローの象徴であるマフラーを巻いて、ひとり屋根から屋根へと渡っていた。夜風が紫のポニーテールをなびかせる。けれど、目の奥の疲れまでは吹き飛ばしてくれない。足取りも、いつもより少し重かった。人間道の力で蔡阿明の命を買い戻してから、彼は毎晩こうして見回りに出ていた。胸の底でどんどん重くなっていく罪悪感を、押さえ込むために——金は紙に戻った。借金は、それで消えたわけではない。
コンビニの大きなガラス窓の前を通るたびに、ガラスの中に紫のポニーテールの女の子が映る。寝不足で疲れきった顔をしている。その顔は、彼のものではない。彼は落ち込むときでさえ、他人の表情を使っているのだ。
古いアパートを飛び越えたとき、真下の路地で激しい追いかけっこが繰り広げられていた。髪の真っ白な老人が、息を切らしてパニックになりながら走っている。その後ろを、黒い翼を広げた男が追っていた。翼が街灯をかすめて、耳障りな金属のこすれる音を立てる。
老人は顔を上げて屋根の上の人影を見つけるなり、最後の藁にすがるように一直線に駆け寄ってきて、彼の背中に隠れた。君語の腕を死にものぐるいでつかむ。痛いほどの力だった。
「お嬢さん! 助けてくれ! 頼む、助けてくれ! わしは本当に、脅されてやっただけなんだ!」
ダークエンジェルは空中で止まり、冷たく笑って見下ろしていた。翼はゆったりと羽ばたいている。金髪が夜風に流れ、褐色の瞳には、客船が沈んだあの夜からずっと消えていない火が燃えていた。
頭には大きすぎるヘッドホンが引っかかっていて、イヤーカップには細かい傷が無数についている。タンクトップからむき出しの腕には黒い入れ墨がひと巻きあって、筋肉の動きに合わせてぴくぴくと脈打っていた。彼は声を低くして、何度も暗唱したような台詞を口にした。
「屑どもよ。我が前で、一言たりとも口を開くことは許さん。黒き羽の死の音が、この世界に響き渡るのだから」
その台詞の中二濃度に、君語の筋肉の記憶が興奮してぶるっと震えた。夢人は意志の力でそれを押し戻し、表情ひとつ変えなかった。
「おやおや、李さん。どうした? 女子高生の後ろに隠れて盾にするほど、落ちぶれちまったのか?」
老人は涙を流していた。それでも、腕をつかむ力は少しもゆるまなかった。
「前社長……わしは、本当に脅されていたんです……信じてください……」
「信じろ、だと?」ダークエンジェルは冷笑し、羽の刃を一寸ほど覗かせた。「女子高生を肉の盾にするようなクソジジイをか?」
腕をつかまれて、夢人は眉をきつく寄せた。二人がにらみ合っている隙に、ごく浅い〈心霊同調〉を一発、老人の肩にそっと送り込む。触れたのはほんの一瞬だった。それなのに、ばらばらの記憶が大波のように流れ込んできた。
確かに、この老人はかつて、以前いた会社の上層部に脅されて機密を盗んだ。けれどそのあと、自分からもっと多くの賄賂を求め、何度も何度も裏切りを重ねていた。もう、ただの被害者ではなかった。記憶の奥には、任天道の社章が刻まれていた。十字キーで切り分けられたリンゴのような形をしている。夢人には分かった。この男は、かわいそうなふりをするのもうまいし、人を売るのもうまいのだ。
老人の財布のいちばん奥に、子供の写真が一枚挟まっていた。前歯が二本抜けた顔で笑っている。ごちゃごちゃした記憶の中で、夢人が唯一きれいだと思えた光景だった。
胸がずしりと沈んだ。さっきまで抱いていたわずかな同情を、どこに置けばいいのか分からなくなった。
彼は深く息を吸った。老人がまだ生きているうちに、この場を「殺し」から引き戻したかった。
「あのさ……アメリカの兄さん……とりあえず、どっか座って、ゆっくり話さないか?」
「話すことなどない! こんな奴と話す価値はない!」
ダークエンジェルの目が冷たく光った。黒い翼が一気に広がり、刃のような黒い羽が数十本、老人の背中めがけて撃ち出される。
夢人の瞳孔が縮み、とっさに右手を上げた。
バン。
銃声が路地じゅうに響き渡った。一発の弾丸が正確に地面を撃ち抜き、二人のあいだに眩しい火花と弾痕を刻む。そして目の前にいたはずの老人は、その一瞬のうちに、奇妙にも消え失せていた。服の裾ひとつ残さずに。夢人自身もあっけにとられた。老人がどこに行ったのか、まるで分からなかった。
ダークエンジェルの目がさらに冷たくなり、君語の右手に突然現れたリボルバーを凝視した。
「女子高生。今、何をした? 奴はどこだ」
夢人は反動でしびれた手首を振った。左手にもう一丁のリボルバーを形にして、右手のものと持ち替え、身構える。顔を上げた。落ち着いた、それでいて揺るがない声だった。
「俺は、ただの女子高生ってわけじゃない。放課後に正義を執行してる、ただの六道人だ。こう呼んでくれ——輪廻ヒーロー」
ダークエンジェルは目を細め、口元に面白がるような笑みを浮かべた。
「面白い。私も、ただの外国人というわけではない。使徒の側に属する者だ。ダークエンジェルと呼べ」
彼は両翼を広げてゆっくりと地面に降り立ち、安全な距離を取った。
「お嬢さん、余計な首は突っ込まないことだ。これは、主が私に授けた、法の外での裁きの権利なのだから」
夢人は一歩も引かなかった。銃口をまっすぐ相手に向けたまま。手のひらは汗でびっしょりだった。
「ダメだ。『正義』なんて言葉で個人的な恨みを片づけていいとは思わない。勝手に人を殺していいとも思わない」
ダークエンジェルは鼻で笑った。その目には、いくらかの憐れみが浮かんでいた。その憐れみは、刃物よりも深く刺さった。
「お前はユートピアに住んでいる理想家か? 人を殺さずに、どうやって法の外で裁くというんだ。笑わせるな」
夢人の声が、急に低くなった。自分でも気づいていない疲れがにじんでいた。
「……俺はもう、誰かが死ぬのを見たくないんだ」
ダークエンジェルの目が、一瞬で凍りついた。
「ヒーロー気取りも大概にしろ!」
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▼3
「ダークエンジェルの翼の下で、永遠に沈黙せよ!! 黒羽!」
彼が勢いよく手を振ると、数十本の黒い羽がミサイルのように撃ち出された。鋭く空を裂く音が響く。夢人は立て続けに引き金を引いた。〈マインドバレット〉と黒い羽が空中でぶつかり、火花が四方に散る。けれど羽の数があまりにも多い。彼はたちまち押し込まれ、背中に、太ももに、次々と食らった。痛みのあまり必殺技でも叫びたくなった。でも叫んだところで、この黒い羽の嵐は止められない。
ピンク色の〈マインドバレット〉に込めたのは、彼がほんの一秒前に抱いた迷いだった。弾丸は黒い羽にぶつかって、小さな淡い光になって弾けた。羽は砕けなかった。ただ、一寸だけ軌道がそれた。彼に必要だったのは、その一寸だった。金属のぶつかる音が路地いっぱいに重なり、ダークエンジェルは一瞬眉をひそめて、ヘッドホンを手で強く押さえた。
結局、彼は冷たい屋上に倒れ込んだ。体じゅうに刃のような黒い羽が突き刺さり、血が少しずつにじみ出てくる。ダークエンジェルは彼を見下ろし、冷めた口調で言った。
コンクリートの床には、昼間の熱がまだ残っていた。彼は空を見上げていた。台北の夜空に星は見えない。飛行機の明かりがちかちかと瞬いているだけで、それは遠い、他人ごとのように見えた。
「二度とこの泥沼に足を突っ込むな。分かったな? 今回は、軽く灸を据えただけだ」
そう言うと、彼は刃を収めて羽ばたき、去っていった。巻き起こった風がマフラーを夢人の顔に吹きつけ、顔の半分を覆った。
痛みで目の前が暗くなり、意識がゆっくりと沈んでいく。頭の中には、言いかけたままの「李さん」がまだ引っかかっていた。
どれくらいたっただろう。凄まじい悲鳴が、彼を跳ね起こさせた。歯を食いしばって体を起こし、壁に手をつきながら、悲鳴の聞こえた一軒家へよろよろと駆けていく。一歩ごとに、背中の傷が引きつれた。ドアは開け放たれていて、明かりが煌々とついていた。
濃い血の匂いが顔に叩きつけられ、吐き気がこみ上げてきた。李さんが血の海に倒れていた。胸にぽっかりと大きな穴が開いている。目を大きく見開いたまま、死にきれない顔で息絶えていた。傷口の縁には羽の跡が残っているのに、羽そのものはどこにも見当たらなかった。
夢人の頭の中で「キーン」と音が鳴って、何も考えられなくなった。
「間に合わなかったのか……全部、俺のせいだ……俺の力が、足りなかったから……」
彼は老人のそばにひざまずき、震える手で脈を探った。もう、完全に止まっていた。そのとき、背後から震える男の子の声がした。
「……おじい……ちゃん……?」
夢人はばっと振り返り、とっさに銃を構えた。銃口の先にいたのは、死んだ老人の孫——学校から帰ってきたばかりの、小さな子供だった。子供は大きな目を見開いて、君語の顔と、まだ煙を上げているリボルバーを見つめていた。
夢人の唇がわなわなと震えた。言い訳の言葉なんて、ひとつも出てこない。よろめきながら立ち上がって「俺じゃない」と言おうとしたが、声にならなかった。彼はベランダの大きな窓を一発で撃ち砕き、二階から飛び降りて、無我夢中で逃げ出した。それ以上、そこにいられなかった。あの目に、人殺しだと思われるのが怖かった。
銃をポケットに押し込む。銃身は火の中から拾い上げたばかりのように熱くて、手のひらに赤い跡がついた。あの銃は誰も殺していない。ただ、そこにあっただけだ。それでも彼には分かっていた。あの子の目には、それだけで十分なのだと。
どれだけ走ったのか分からない。最後には力尽きて、冷たい路上に倒れ込んだ。意識がかすんでいく中で、たくましい腕に抱き上げられるのを感じた。耳元で、聞き覚えのある声がした気がした。苛立った声だった。それでも、「黙れ」とは言わなかった。
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▼4
もう一度目を覚ましたとき、彼は清潔で明るい特別室のベッドに寝かされていた。消毒液の匂いは、二〇一号室よりずっと薄い。ベッドの横では、真っ白な翼を生やした、とびきりきれいなピンクのショートヘアの看護師が、にこにこしながら身を乗り出して彼をのぞき込んでいた。目がきらきらしている。
壁は淡いベージュ色で、窓辺には、誰も水をやらなくても枯れないサボテンの鉢がひとつ。壁には小さな十字架が掛かっていた。視線を落とすと、自分の服がぶかぶかの患者着に替えられていて、傷はどれもきれいに包帯で巻かれていた。
「ねえねえ~、あなたもイエス様を、奇跡を、信じますか?」
夢人は驚いて跳ね起きた。そのせいで傷が引きつれ、痛みに顔をしかめる。相手の背中の聖なる翼をにらみつけながら、頭の中は大混乱だった。
「ここはどこだ!? まさか俺……もう天国に来ちまったのか!?」
頭の中で、場違いなほど軽快なメロディが勝手に流れはじめた。彼はそれを即座にひねりつぶした。君語の中二っぷりのせいで、今夜はもう十分すぎるほど恥をかいている。
ラフィアは口元を押さえてくすくすと笑い、楽しそうに翼を揺らした。
「ここは、〈使徒〉専用の治療室みたいなものよ。でも見たところ、君語ちゃんは六道人のほうの陣営みたいね?」
彼はとっさに枕元へ手を伸ばした。リボルバーが一瞬で現れ、まっすぐ彼女に向けられる。
「お前、ダークエンジェルとグルだったのか!?」
ラフィアは呆れたように頬杖をついて、ため息をついた。
「もう。あなたをここまで運んできたのは、ダークエンジェルなのよ。体じゅう刺し傷だらけなのに走り回ってるから、出血多量で死んじゃうんじゃないかって、わざわざ連れてきてくれたんじゃない」彼女はふいに、うっとりとした顔になって、両手で頬を包んだ。「そういえば、あなたを抱き上げてたときのあの感じ……ほんと超かっこよかったんだから。完全に、ヒーローがヒロインを助けるやつよね」
「あなたを治療室の前に置いて、インターホンを三回連打して逃げていったわ。三回目で壊れたけど」彼女は「壊れた」の手振りをしてみせた。「ニュースであの翼を見たことがあったから、ひと目で誰だか分かったの」
夢人の顔に、さっと縦線が走った。ベッドの上で全身が固まり、しばらくしてからようやく声を絞り出した。
「……何言ってんだよ。あのキザ野郎がそんなこと……ああっ、くそ! 腹立つ! 今度会ったら、絶対に目にもの見せてやる!」
「キザ野郎」という言葉がこの口から飛び出したことに、自分でも一瞬あっけにとられた。でも頭に血が上っていて、それどころではなかった。
頬を真っ赤にして、恥ずかしいやら腹立たしいやらの彼を見て、ラフィアはとうとう吹き出した。澄んだ笑い声が病室に響き渡った。血と死に満ちていたはずのこの夜が、この瞬間だけは、なぜか妙に軽くなっていた。
夢人は、明らかにまともじゃない看護師天使をにらみつけた。それから、自分の体にきちんと巻かれた包帯を見下ろして、がっくりと肩を落とし、小さな声で言った。
「……それでも、ありがとう。ラフィア」
「ふふん、それでよろしい」
彼女はウインクして、急に声をひそめた。にやりと笑って、ひと言付け足す。
「それにね、私もちゃんとお礼はもらったから。えへへ、あのちっちゃな胸とか、きゅっと締まった太ももとか……ほんとにかわいかったわよ」
「…………!?」
耳が、一瞬で火がついたように熱くなった。
「お、お前……この——っ!」
病室に、少女の怒り狂った叫び声と、ある天使の隠す気もない楽しげな笑い声が響いた。笑い声は廊下を伝っていく。その廊下の反対側で、金髪の男が、ヘッドホンをもう少しだけ強く押さえた。
男は廊下の突き当たりの壁にもたれ、両手をポケットに突っ込んで、天井の蛍光灯を見上げていた。蛍光灯の中を流れる電流の音はか細く、彼は昔からこの音が嫌いだった。でも今夜は、あの笑い声がそれをかき消してくれていた。だから、その場を離れなかった。
窓の外にリンゴのネオンはない。ただの、ありふれた夜だった。遠くの街灯が、ひとつ、またひとつと灯っていく。この治療室の中で、血の匂いはゆっくりと、薬の匂いに上書きされていった。
——第七話 完
本作は、中国語の原案をAI翻訳によって日本語化したものです。
翻訳に不自然な点や、内容について気になることがありましたら、お気軽に教えてくださいね〜!




