序章04.5 不器用な日常
序章 間章4.5話 不器用な日常
▼1
学校に戻って二週目になっても、夢人はまだ、君語の席にどう座ればいいのか分からずにいた。
二年二組の四時間目は自習だった。天井の扇風機がカタカタと音を立てて回っている。半分は机に突っ伏して寝ていて、もう半分は手紙を回している。黒板の三角関数は誰も消していなくて、窓際に差し込む光の中を、チョークの粉がゆっくりと漂っていた。
彼は背筋を伸ばしすぎていた。君語がこんな座り方をしないことは分かっている。でも、彼女がどう座っていたのかが思い出せない。だから背筋を伸ばしたまま、模試の問題集をにらみつけていた。三問目の問題文を四回読んだのに、一文字も頭に入ってこなかった。
意識は全部、左側に向いていた。
通路をひとつはさんだ席で、章瑾萱がマーカーを引いている。黒縁メガネにポニーテール。蛍光ペンがまっすぐな線を引いていく。見ているこっちの手がだるくなるくらい、まっすぐな線だった。
屋上でのあの夜、彼はすべてを話した。瑾萱は叫びもしなかったし、警察を呼びもしなかった。一分近く彼を見つめたあと、ようやく息を吐いた。
「じゃあ、君語はまだいるのね。あんたの体に閉じ込められてるだけで」
「ああ」
「だったら、あの子の体をちゃんと大事にしなさいよ。戻ってきたときに太ってたり、成績が落ちてたりしたら、あんたの元の体を屋上から突き落とすから」
それが、瑾萱なりの受け入れ方だった。
でも、受け入れたからといって、毎日が元どおりになるわけじゃない。
一枚の紙切れが、彼の机に滑り込んできた。青いボールペンの字だ。『お昼、購買の焼きそばパン? それともお弁当温める?』
夢人はその紙切れを見つめた。
君語なら焼きそばパンを選ぶ。考えるまでもない。そしてそのあとに、必ず「イチゴミルク争奪戦!」と書き足すはずだ。びっくりマークは特大で。
彼は書いた。『焼きそばパン』
ペンが一瞬止まって、また書き足す。『イチゴミルク争奪戦』
びっくりマークは書かなかった。あの大きさには、描けなかった。
紙切れを押し返す。瑾萱は目を落とした。手の中のペンが、半秒ほど止まった。それから、紙に丸をひとつつけた。
彼女は笑わなかった。
(俺が演じてるって、分かってるんだ)
喉に、湿ったティッシュが詰まったような感じがした。黄君語をちゃんと演じたかった。半分は先生やクラスメイトをごまかすためだ。もう半分は瑾萱のためだった。せめて彼女が毎日振り向いたとき、隣に親友と同じ顔をした誰かがいるように。
でも、演技はひどいものだった。君語は鈴を転がすように笑うのに、彼は口を結ぶだけ。君語は怒ると頬をぷくっとふくらませるのに、一度やってみたら、自分でも息を止めているようにしか見えなかった。君語は誰に対しても無防備なのに、彼は誰に対しても、まず三秒様子を見てしまう。
チャイムが鳴ると、教室の半分が一気にからっぽになった。財布と足音が、いっしょに外へ飛び出していく。
瑾萱が彼の机の横まで来た。「君語、行くよ」
彼は立ち上がり、そのまま手をポケットに突っ込もうとして、空振りした。夏服のスカートには、ポケットがない。彼は手を下ろして、もともとスカートの裾を直すつもりだったふりをした。
「うん、行こう」
前の君語なら、瑾萱の腕にがしっと抱きついて、ぶら下がるようにくっついていたはずだ。彼はそうしなかった。瑾萱も手を伸ばさなかった。
二人は並んで教室を出た。あいだに、人ひとり分の隙間を空けて。
★ ★ ★
▼2
購買はとんでもなく混んでいた。二人はどうにか焼きそばパン二つとイチゴミルクをひとつ勝ち取って、中庭の花壇の縁に逃げ込んだ。
風は熱くて、顔にまとわりつくようだった。夢人の首に巻いた古い赤いマフラーは、この天気の中ではひどく目立つ。通りかかった生徒が何人も振り返っていった。
「ほんとに外さないの?」瑾萱がパンの袋を破った。
「外さない」
この質問は、もう何度もされている。答えは変わらない。
このマフラーは、あの日の午後二時三分から残っているものだ。君語が彼にくれたもので、今も彼の体に残っているのは、これだけだった。これを巻いていると、彼女がすぐそばにいる気がする。振り向けば、「暑い暑い」と文句を言いながら手であおいでいる彼女が見えるような気がする。
口にしていない理由がもうひとつある。これを巻いているときのほうが、あのピンク色のリボルバーを構える勇気が出るのだ。
瑾萱はちらりと彼を見て、それ以上は言わなかった。この人が一度意地を張ったらどうなるか、彼女は知っている。言っても無駄だ。
彼女はイチゴミルクにストローを挿して、差し出した。
「飲みなよ。紙に、これ争奪戦って書いてたでしょ」
パッケージには大きなイチゴの絵。目に痛いほどのピンクだった。
彼は甘いものを飲まない。飲むのはブラックコーヒーで、せいぜい無糖の緑茶だ。イチゴミルクは君語のものだった。前に二人で図書館に行ったときも、彼女は必ずひとつ買って、ズズッと音を立てて吸いながら、数学の問題に文句を言っていた。
(いいから飲め)
目をつぶって、思いきり吸い込んだ。
甘い。喉がきゅっと締まるほど甘くて、むせそうになる。無理やり飲み込んだ。
「おいしい?」
「……うん、おいしい」彼は笑ってみせた。こわばった笑顔だった。
瑾萱は何も言わず、うつむいてパンを食べた。目は、遠くでバスケをしている男子たちに向いている。しばらくして、彼女が口を開いた。
「ほんとはさ、無理して飲まなくていいんだよ」
夢人の手が震えて、パックを落としそうになった。
「……え?」
「無理してイチゴミルクなんか飲まなくていいって言ってんの」瑾萱が彼のほうを向いた。「君語のしゃべり方を真似しなくていいし、あの子みたいに笑わなくていいし、あの子みたいに手紙を書かなくてもいい」
彼女は手を伸ばして、そのパックを取り上げた。
「元どおりにしようって、頑張ってるのは分かってる。でもね、夢人」声が少し震えた。彼女は唇を噛んで、指先で目尻を押さえた。「あんたがあの子の真似をすればするほど、思い知らされるの。あの子は今、ここにいないんだって」
夢人は何も言えなかった。
うまく演じれば演じるほど、瑾萱は楽になると思っていた。逆だったのだ。彼が真似をするたびに、彼女の傷を一回ずつ突いていた。
「ごめん……」彼は自分の膝に目を落とした。君語の膝には、うっすらと傷跡がある。小さいころ、自転車で転んだときのものだ。
「謝らないで」瑾萱はパックを脇に置いて、自分の無糖緑茶をひと口飲んだ。「あんたがあの子の体に住んでるのは、あんたのせいじゃない。事故なんだから」
彼女は少し間を置いた。
「でも、覚えときなさいよ。あんたは夢人なの。あんたにはあんたの癖があって、あんたの好きなものがある。君語が体を貸したのは、あんたに自分を消させるためじゃない」
「でも……」
「でもはナシ」彼女は遮った。「明日のお昼、ブラックコーヒー買ってきてあげる。いらないって言うのは禁止だから」
夢人は顔を上げた。
瑾萱は相変わらず笑っていなかった。でも、ずっと張りつめていた肩の力が、ふっと抜けていた。君語がやらかすたびに白い目を向けて、白い目を向けながらも結局は後始末を手伝う、いつもの章瑾萱に戻っていた。
「……分かった」鼻の奥がつんとした。君語のかすれた声で、彼は言った。「ありがとう、瑾萱」
「キモいこと言わないで」彼女はそっぽを向いた。「毎日お昼に、吐きそうな顔でイチゴミルク飲んでるのを見たくないだけ。バカみたいだし」
★ ★ ★
▼3
午後は体育だった。夢人にとっては、お昼よりつらい時間だった。
日差しは容赦なかった。女子は半袖の体操服と紺色のショートパンツに着替えて、木陰で準備運動をしている。夢人は列のいちばん後ろに立っていた。どうにも落ち着かない。
このショートパンツは短すぎる。少しかがんだだけで、太ももの裏がすうっと涼しくなる。何度裾を引っぱっても、布はまるで言うことを聞かなかった。
おまけに、首にはまだあの赤いマフラーが巻かれている。
「黄君語!」体育の先生——よく日に焼けた、がっしりした男——がピッと笛を鳴らした。「三十度超えてるのにマフラーか? 暑くないのか? 外せ!」
クラス全員が、一斉に彼のほうを見た。
彼はとっさに、マフラーの端を握りしめた。
「先生、あの、風邪ひいてて……喉が痛いんです」
「風邪で体育に来たのか? 端で座ってろ!」
夢人はほっと息をついて、大きなガジュマルの木の下の石段に逃げ込んだ。
座ったまま、グラウンドを走る女子たちを眺める。目が勝手に瑾萱を追っていた。真剣に走っていて、ポニーテールが後ろで揺れている。
君語がいたら、絶対に先頭を突っ走って、走り終わってから振り返って、瑾萱がのろいって笑っていたはずだ。
(君語……)
彼は自分の手を見下ろした。
この手で、あのピンク色のリボルバーを握った。〈マインドバレット〉を撃った。自分はもう六道人で、「輪廻ヒーロー」だ。世の中の悪を片づけて、君語を連れ戻すと約束した。
でも、悪はどこにいる? カフェにいたあの受け子か? それとも、屋上で斬りかかってきた黒炎骸姫か?
アンソニアは言っていた。これから、もっとたくさんの六道人がやってくると。
この学校は、今は静かに見える。でもその静けさが、いつ破られてもおかしくないことを、彼は知っていた。
「なにぼーっとしてんの?」
走り終えた瑾萱が、どさっと隣に腰を下ろした。汗だくで、顔が真っ赤だ。タオルで顔をぐいっと拭くと、それを彼にぽいと投げて、くるりと背を向けた。
「背中拭いて。手、届かないの」
夢人は固まった。
体操服は汗でぐっしょり濡れて背中に貼りつき、中の下着の形がうっすらと透けていた。
(待て。待て待て待て)
頭が完全にフリーズした。いくら今は女子の体だからといって、女の子の背中を拭けなんて、さすがにアウトだろう。
「君語、早くしてよ。ベタベタして気持ち悪いんだから」
彼はごくりと唾を飲んだ。手が震えて、タオルもまともに持てない。ゆっくり、ゆっくりと近づけて、背中にそっと押し当てた。
「なにやってんの? ご飯食べてないの? もっと力入れて」
仕方なく、少しだけ力を込める。タオル越しに、彼女の背中の熱が伝わってきた。生きている人間の熱だった。
(俺は何をやってるんだ……変態か俺は……君語ごめん、ほんとにわざとじゃないんだ……)
拭き終わると、瑾萱が振り返って、耳まで真っ赤になった彼の顔を見た。
彼女は笑った。今度は本物の笑いだった。ちょっと意地の悪い笑いだ。
「なに赤くなってんのよ。前は私の汗拭きながら、こっそり腰つつくのが大好きだったくせに」
夢人はそこでようやく気づいた。
わざとだったのだ。彼女は彼を試していた。そして、思い知らせていた。女の子同士なら当たり前の距離の近さが、今の彼には越えられないものなのだと。
「……ごめん」
「謝らないでって言ったでしょ」瑾萱はタオルをしまい、グラウンドのほうを見た。「ほんとはね、さっきほんの一瞬だけ、あの子が帰ってきたのかと思った」
彼女の声が小さくなる。
「あの子、体育サボるの天才だったんだよ。準備運動のときはお腹が痛いって言って、木の下に隠れて、こっそり持ってきたお菓子食べてた。なのに試合になると、絶対に一番に飛び出していくの」
夢人は何も言わずに聞いていた。
「夢人」瑾萱が顔をこちらに向けた。「二〇一号室のあの人……ほんとに目を覚ますの?」
彼女のほうからこのことを聞いてきたのは、初めてだった。
夢人は彼女の目を見た。今までのどんなときよりも、今にも崩れてしまいそうな目だった。
彼女が欲しいのは、ひと言の約束だ。それがあれば、このばかげた出来事に、彼と一緒にまだ付き合っていける。
彼は息を吸った。今度は君語の口調を真似しなかった。使ったのはこの喉がもともと持っている声で、ただ、込めた意味だけが彼自身のものだった。
「覚ます」彼は言った。「約束する。何を差し出すことになっても、絶対に彼を……あの子を、連れ戻す」
瑾萱は長いあいだ彼を見つめて、それからうなずいた。
「わかった。信じる」
★ ★ ★
▼4
放課後、夕日が教室を一面の橙色に染めていた。
人はあっという間にいなくなった。夢人はカバンをまとめて窓辺に立ち、校門のほうを眺めた。自転車を押している子がいる。ふざけ合いながら歩いている子がいる。バスを待ちながら、まだ単語帳をめくっている子がいる。
これは全部、借り物なんだ、と彼は思った。
借りていられる時間は、そう長くない。黒炎骸姫はまた来る。地蔵王との契約もまだ生きている。この街で彼がまだ出会っていない何かが、いずれ向こうからやってくる。
彼は右手を開いた。手のひらは空っぽだ。でも、彼がそう望めば、あのピンク色のリボルバーがそこから生えてくることを知っている。グリップは、ちょうどこの手の大きさだ。
「輪廻ヒーロー……」小さく口に出してみた。
やっぱり、中二くさかった。
自分がヒーローになれるのかどうかは分からない。分かっているのは、待っている人がいるということ。だから、戦い続けなきゃならないということだけだった。
「夢人、行くよー!」
がらんとした教室の入り口で、カバンを背負った瑾萱が手を振っていた。廊下には、もう誰もいない。
「今行く」
赤いマフラーを巻き直して、彼は教室を出た。夕日の差す廊下を、彼女と並んで歩く。
二人とも何も話さなかった。あいだの人ひとり分の隙間はまだそこにあった。でも、ほんの少しだけ、狭くなった気がした。
明日のお昼には、ブラックコーヒーがある。
明日はもう、ふりをするのはやめよう。彼はそう決めた。
——間章4.5話 完
本作は、中国語の原案をAI翻訳によって日本語化したものです。
翻訳に不自然な点や、内容について気になることがありましたら、お気軽に教えてくださいね〜!




